産経新聞
議会から全会一致で突きつけられた不信任の重みを、正面から受け止めていないのではないか。
発端は、知事のパワハラや視察先での贈答品受け取りなどを告発する匿名の文書が3月、報道機関や一部県議に送られたことだ。
その後の知事の対応は常軌を逸していた。
ただちに告発者を特定するよう部下に指示した。側近の副知事が当時の県西播磨県民局長に目星をつけ、本人を詰問して告発者と特定した。
県議会の調査特別委員会(百条委)による証人尋問やアンケートでは、告発の内容を裏付けるような職員の証言が相次いだ。知事自身も大声を出したり机をたたいたりしたことは認めている。
告発が「うそ八百」に当たらないのは明白だ。通報を理由にした不利益な扱いを禁じる公益通報者保護法に反していたと言わざるを得ない。にもかかわらず、知事は告発者を特定して処分したことについて「最善の対応だった」と正当性を主張している。
出直し知事選で県政の混乱はさらに長引く。自らの振る舞いが県民の不信を招いているのを理解せずに再出馬する感覚を疑う。
兵庫知事失職へ 問題の本質に目を凝らせ(2024年9月29日『信濃毎日新聞』-「社説」)
「知事が職を辞すべきことなのか」
県議会の全会一致による不信任決議を受け、30日付で失職し、出直し知事選に臨むと表明した記者会見での発言だ。告発を機に高まった知事の言動、資質への批判に対する反論といえる。
理解しているのだろうか。この間、より厳しく問われたのは告発の不当な取り扱いであり、そこに浮かぶ知事の独善である。
文書が報道機関などに配られるや、知事は公益通報者保護法が禁じる“犯人捜し”を徹底した。内容に真実相当性がなく、誹謗(ひぼう)中傷性が高いからだと後に説明したが、公益通報に当たるかどうか真摯(しんし)に検討した跡はない。
告発した県幹部は庁内の公益通報窓口にも通報したが、知事はその調査結果を待たず、幹部を懲戒処分にした。これも法が禁じる通報者への「不利益な取り扱い」に触れていると、制度の専門家らが指摘している。
それでも知事は、当時の判断は適切だったと繰り返した。県政運営に違法性があったおそれがあるとの認識はないようだ。
幹部は退職後、真相究明を訴えるメッセージを残して亡くなった。一連の問題を巡っては、ほかにも職員が1人、自殺とみられる死を遂げている。これらについても「哀悼の意を表したい」とだけ述べ、道義的責任を問う声すらかわし続けた。かたくなな自己弁護と言うしかない。
一方で、自身の給与カットや高級公用車の見直し、大型事業の中止、県立高校の支援といった「実績」は何度も強調。「改革」の歩みを続けるのか、ハコモノ、しがらみの昔の県政に戻すのか―と重ねてアピールした。
少なくとも、「斎藤県政」継続への強い執着ははっきりした。知事が言う改革の中身と、これまでに明らかになった問題の所在の見極めが、今後行われる知事選で有権者に問われることになる。
この3年間、知事や職員らと接していながら県組織内で起きていた問題を見過ごしていたのだとしたら、二元代表制としての監視機能に猛省が必要である。
公益通報を巡る兵庫県政の混乱は半年に及んでいる。発端は3月、県民局長だった男性が匿名で作成した告発文書だった。知事や県幹部のパワハラや企業からの贈答品受領、補助金を巡る不正など7項目の疑惑を記して報道機関などに配布。県の公益通報窓口にも通報した。
しかし、県は知事の指示で公益通報として扱わず、男性の身元を特定。疑惑の当事者でもあった当時の副知事が男性を厳しい言葉で聴取するなどし、男性を懲戒処分にした。男性は7月に死亡した。遺族によると「一死をもって抗議する」とのメッセージを残していたという。
公益通報は法令違反や不正行為を早期に発見し、または未然に防ぐことで国民の利益を守ることを目指すものだ。2006年に施行された公益通報者保護法は告発者を探すことや、告発者への不利益な取り扱いを禁じている。
県議会が設置した調査特別委員会(百条委員会)では、参考人として出席した専門家らが県の対応について「公益通報者保護法に違反する」と相次ぎ批判。疑惑についても、百条委で職員らが知事のパワハラや贈答品受領について証言しており、事実を含む告発であったことは既に明らかになっている。
県の対応に問題があったと言わざるを得ないが、知事本人は認めていない。26日の記者会見でも、告発文書を公益通報として扱わなかった県の対応は「適切だった」と従来の主張を繰り返した。不信任決議についても「知事が職を辞すべきことなのか」と述べ、納得していない考えを示した。こうした知事の認識をどう見るか、選挙で有権者が判断することになろう。
言うまでもなく、知事が失職した後も疑惑の検証は続けられなければならない。百条委に加え、県が設けた弁護士による第三者調査委員会も活動を始めている。昨年のプロ野球の阪神、オリックスの優勝パレードで資金を集める際、金融機関に補助金を増額し、協賛金としてキックバックさせた疑いなど、解明されていない疑惑はまだ多い。
公益通報の問題は兵庫県だけにとどまらない。ほかの自治体や、ビッグモーターなど民間企業においても通報者の保護や、通報に基づく改善が適切に行われていない事例が相次いでいる。所管する消費者庁は法改正を検討中だ。日弁連などは通報者に不利益な扱いをした場合の罰則の導入などを求めている。通報者を守る手だてを、できるだけ早く強化したい。
兵庫知事失職 県政の混乱どう立て直す(2024年9月29日『中国新聞』-「社説」)
兵庫県の斎藤元彦知事が、30日付で失職する。
県議会による全会一致の不信任決議を受け、地方自治法が選択肢として定める議会解散は見送った。その判断は妥当だとしても、自ら辞任せず自動失職を選び、出直し知事選への立候補を明言したことに強い違和感を覚える。
パワハラなどの疑惑を告発する文書を発端に県政が混乱し、不信任を招いた。その非を斎藤氏はいまだに認めたくないのだろう。記者会見では「職を辞すべきことなのか」と不満を漏らし、知事として「県政改革」にいかに力を入れてきたかを強調した。
2021年の就任から3年余り。自発的な辞職なら、出直し選で当選したとしても任期4年の残存期間を務めるだけとなる。自動失職なら4年丸々の任期―。その皮算用もあるとみていい。最後の登庁では「また県庁に戻ってきたい」と平然と語った。
政治は信頼が基本という当たり前のことをどこまで理解しているか。今回、問われたのは政策の評価というより、知事としての適格性であることを忘れてはならない。
何より公益通報者保護法に違反の疑いが指摘される、県幹部による告発文書の扱いだ。「誹謗(ひぼう)中傷」と県が一方的に断じて、懲戒処分とした。通報者は後に命を絶ったとみられるが、斎藤氏は「適切だった」と繰り返すばかりだ。
自分を応援する声もあると斎藤氏は口にするが、まともな反省のないまま有権者の信任が得られると思うなら勘違いにも程がある。自らが置かれた状況を直視し、再度の選挙に出る資格が本当にあるのかを、まず考えるべきだ。
そもそも疑惑の解明が決着したわけではない。県議会の調査特別委員会(百条委)の結論はこれからで、県も第三者調査委員会を置く。
さらに言えば県と県議会の側も、ここに至る経緯を謙虚に振り返ってもらいたい。
前回の知事選は日本維新の会と自民党が総務省官僚だった斎藤氏を推し、前任の知事が後継指名した元副知事を破った。それ以降、県議たちは知事の言動をどう見てきたのか。県立大無償化など思い切った施策の半面、知事や側近幹部の独善的な県政運営がなぜ生じたか。その検証がなければ県民は納得できまい。
出直し選に向け、各党に候補者擁立の動きが出始めた。知事を支えた維新は独自候補を出そうと懸命のようだ。大阪の地方選で敗北が続くのは斎藤氏の問題による逆風だとの見方があるからだろう。
選挙の期間によっては石破新政権が踏み切る衆院選と重なるかもしれない。もし政局と連動したとしても、中央政党の党利党略だけでこの知事選を捉えるのはおかしい。
兵庫県の人口は530万人余り。流出は深刻で、もとより県域の南と北で活力の差が大きい。来年1月に阪神大震災から30年となり、さらに続く復興事業の借金返済とともに新たな災害への備えも急がれる。どうすれば県政を立て直し、こうした懸案にまともな態勢で向き合えるのか。そこを最優先に考えるべきだ。
不信任決議は、県政に停滞と混乱をもたらした政治的責任は免れないとして県議会全会派による全会一致で可決していた。
県民を代表する県議の総意が持つ意味は極めて重い。職を去るのは当然だ。ただ会見では、不信任について「職を辞すべきことなのか」と述べた。
辞職ではなく強制的な失職を選ぶことで、自らの非をできるだけ認めない形を取ったとの見方がある。知事は県政続投へのこだわりを見せるが、疑惑にはまだ解明すべき点が多い。何より重要なのは説明責任を果たすことである。
問題の発端は、県民局長だった男性が3月、知事のパワハラや企業からの贈答品受領疑惑などを告発する文書を作り、報道機関などに配ったことだ。
これに対し、知事は「うそ八百」と非難した。その後、男性は県の公益通報窓口にも通報したが、停職3カ月の懲戒処分を受け、7月に死亡した。自殺とみられている。
県議会は6月、疑惑を検証する調査特別委員会(百条委員会)を設置し、調査を進めている。証人尋問や職員アンケートでは、パワハラや多数の贈答品を受領した「おねだり体質」に関する証言が相次ぎ、疑惑を裏付ける内容もあった。一方、知事は「問題ない」と主張してきた。
一連の問題の中でもとりわけ深刻なのは、告発文書を公益通報として扱わなかったことだ。
しかし県は「真実相当性がない」との理由から法律の対象外と判断し、内部調査を進めた。文書が誹謗(ひぼう)中傷に当たると認定し、処分に踏み切った。
公益通報に伴う調査の結果を待たずに県が告発者を特定した行為は、法律が禁じる「告発者捜し」に当たる恐れがあるとの指摘がある。
第三者による調査が顧みられなかったことも問題だ。
告発を受けた側が公益通報対象となるかどうかを決めることは、恣意(しい)的判断につながる恐れがある。真実性の有無は当事者が判断するべきではない。
兵庫知事失職へ 出直し選に臨む大義あるのか(2024年9月27日『読売新聞』-「社説」)
兵庫県の斎藤元彦知事が30日に自動失職し、次の知事選に出馬する方針を表明した。
不信任決議に対し、辞職するのか、議会を解散するか、何もせず自動失職するかの選択肢の中で、失職を選んだことまではよいとして、問題はその先にある。
知事は記者会見で、辞職や解散は当初から考えていなかった、としている。辞職しないのは自らに非はないと言いたいのだろう。
議会の不信任については、一連の問題を巡り、「知事が職を辞すべきことなのか」とも述べ、納得できないとの考えを示した。
議会の不信任は、知事の資質そのものを全会一致で不適格と判断したものだ。議員の総意をあまりにも軽んじている。
失職後に、再出馬するという説明は、さらに理解しがたい。
公益通報の対応を巡る知事の資質そのものが問われた今回とは様相が全く異なっている。
法律で認められているからといって、自分の誤りを認めず、県民のお墨付きを得て続投しようという判断は筋違いだ。率直に議会の意思を受け止めるべきだった。
知事は出馬理由について、改革を進めるためと説明した。仮に当選すれば新たに4年の任期を得るが、議会との信頼関係が失われている現状では、自分が考えるような改革を進めるのは難しい。
百条委や県の第三者調査委員会による調査は、いずれも年度内には終わる予定だが、結論が出た段階で知事の重い責任が改めて問われることになるだろう。
3月の告発後、県政の混乱は深まるばかりだ。これ以上、県民不在の政治を続けてはならない。
兵庫県議会で不信任が全会一致で決議された斎藤元彦知事は、30日付で自動失職した上で出直し知事選挙に立候補する意向を明らかにした。
斎藤氏は26日の記者会見でパワハラ疑惑などが文書で告発された問題について「反省したい」と述べる一方、「改革を止めるわけにはいかない。自らの信を問うのが大事だ」と説明した。
斎藤氏には不信任が決議された19日から10日以内に県議会を解散するか、辞職・失職する選択肢があった。議会解散を選んでも、改選後初の議会で再び不信任決議があれば失職することになる。辞職して再選した場合の任期は、今の任期である来年7月末までだが、失職して再選すれば4年間となる。
問題の発端は、幹部職員だった男性が3月に、斎藤氏のパワハラなど7項目の疑惑を告発する文書を報道機関や県議に送ったことだった。男性は4月、県の公益通報窓口にも通報したが、県は調査結果を待たずに懲戒処分にし、男性は7月に死亡した。自殺とみられる。
斎藤氏はすべての疑惑を否定し、職員の処分も「適切だった」と主張してきた。
一方、疑惑の解明はまだ途上だ。県議会の調査特別委員会(百条委)は、斎藤氏が失職しても続行できる。県が設置した弁護士による第三者調査委員会の調査も始まったばかりだ。
保護されるべき通報者が処分され死亡したという結果は極めて重い。百条委では、告発に対する県の対応は、通報者に対する不利益な扱いを禁じる公益通報者保護法に違反するとの指摘が相次いだ。再発防止策の構築も急ぐ必要がある。
斎藤知事失職へ/「県民の負託」を裏切った末に(2024年9月27日『神戸新聞』-「社説」)
兵庫県の元西播磨県民局長が斎藤元彦知事らの疑惑を文書で告発した問題で、県議会の不信任決議を受けて去就が注目されていた斎藤知事は議会を解散せず、失職を選ぶことを明らかにした。出直し知事選に立候補する意向も表明した。
不信任決議は、政策の是非ではなく、知事の言動や資質を巡り、全議員86人が一致して退場を求めた。斎藤氏は議会の解散か辞職・失職かの選択を迫られていた。
文書問題に端を発した県政の混乱は半年に及ぶ。状況を打開できないままの失職は斎藤氏が強調する「県民の負託」への裏切りでしかない。
解明すべき疑惑はまだ多く、県政の正常化は待ったなしだ。失墜した県民の信頼を取り戻し、多岐にわたる課題に対処できる体制を築き直さねばならない。
◇
戦後の兵庫県知事は斎藤氏を含めて7人いるが、失職した知事はいない。斎藤氏は会見で県政混乱を招いた責任を認める一方、「仕事を続けたい。県民に信を問いたい」と述べた。不信任については「職を辞すべきことなのか」と不満も漏らした。
県庁舎再整備事業の凍結など行財政改革を進め、県の貯金に当たる財政基金は23年度末時点で約30年ぶりに100億円を超えた。斎藤氏は会見で財政健全化に一定の成果を上げたと主張した。その財源を生かし、人口減対策として県立大授業料無償化など高等教育の負担軽減、子育て世帯の転入・定住促進事業などに取り組んだ実績も強調した。
一方、会見では文書問題に関する新たな事実が語られることはなかった。出直し選挙に向けた斎藤氏のアピールに終始した印象が拭えず、強い違和感を覚えざるを得ない。
■見過ごせぬ制度軽視
斎藤氏は会見で文書を「うそ八百」と非難し男性を解任した。男性は4月に県の公益通報窓口にも通報したが、県は内部調査で男性を懲戒処分にした。その後男性は死亡した。
公益通報は組織の健全性を保つ手段の一つだが、いくら制度があっても運用する組織の理解が欠如していれば機能しない。軽視した結果、告発者の人命が失われた事実は重い。斎藤氏は会見で道義的責任を改めて問われたが「仕事を続けることが責任の取り方だ」などと認めようとしなかった。議会解散や辞職は最初から考えなかったとし、失職を選んだ真意も曖昧な説明にとどめた。
斎藤氏はすべての疑惑を否定しているが、今後も説明責任は免れないと肝に銘じてもらいたい。
■県政「刷新」の虚と実
多選知事の下でトップダウンが浸透した県庁組織の意識改革へ斎藤氏は「ボトムアップ型県政」を唱えた。だが実態は前知事を支えた職員を排除し、宮城県庁時代に交流があった片山安孝元副知事ら「身内」を重用した側近政治に過ぎなかった。
全職員アンケートでパワハラなどを訴える声が噴出したのは、知事への忖度(そんたく)や、言動に異を唱えにくい空気がまん延していた証しでもある。県政にゆがみが生じれば県庁内部から声が上がり、トップも耳を傾ける組織風土への改革が欠かせない。
斎藤氏を相乗りで推薦し県政運営を支えてきた自民党、維新の会など県議会の責任も重い。百条委による調査途上での不信任は各会派の政治的思惑も絡んだとの批判もある。
選択の行方は(2024年9月27日『長崎新聞』-「水や空」)
例えば、和定食の「松・竹・梅」のように、目の前に選択肢が三つあると、真ん中のプランが選ばれやすいという法則があるそうだ。それが無難な選択に思えるのか、決定的なミスチョイスを避けたい心理か、行動経済学では「極端性の回避」と呼ぶらしい
▲辞職すれば自身の非を認めることになり、かと言って議会の解散に踏み切るのでは「暴走・暴発」などの批判が避けられまい。彼もまた“真ん中”を選んだように思える-のは気のせいか
▲さて、選択肢が二つに絞られると…。程よい逃げ道はない。世のアドバイスも「勇気のいる方へ」「困難に見える道を」と“精神論”に傾きがちだ▲〈あなたの選択が恐れでなく、希望とともにあらんことを〉と語ったのは南アフリカの偉人ネルソン・マンデラ。フランスの大女優ブリジット・バルドーは〈大切なのはどの道を選ぶかではなく、選んだ道をどう生きるか〉。深い
▲9人の候補者が争った自民党総裁選はきょう投開票。上位2人の決選投票が必至とみられる。誰と誰の2択が残るか。その先の選択は。(智)