現在の静岡市清水区で1966年、みそ製造会社の専務一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さん(88)のやり直しの裁判(再審)で、静岡地裁(国井恒志裁判長)は26日に判決を言い渡す。死刑事件の再審は5件目。「島田事件」以来で、先の4件はいずれも無罪になった。再審公判を振り返り、判決で注目されるポイントを探る。
「一言で言えば、捜査機関による捏造(ねつぞう)と認定するかどうか」。元裁判官で法政大法科大学院教授の水野智幸弁護士は、判決の焦点をそう考える。
2023年10月に始まった再審公判では確定審と同様、袴田さんの犯人性が争われた。静岡地検は、犯人だとして再び死刑を求刑した。弁護団は無実を訴え、金品目当てではなく怨恨(えんこん)による複数人の犯行と反論した。
袴田さんを有罪とする決定的な証拠とされてきたのが、事件から約1年2カ月後に現場近くのみそタンクで見つかった半袖シャツやズボンなど血痕の赤みが残る「5点の衣類」だった。
ところが、再審を開くことを認めた第2次再審請求審の決定は、長期間みそに漬かった血痕に赤みは残らず黒くなることを示した弁護団の実験や専門家による鑑定、検察が開示した発見直後のカラー写真などに基づき、捜査機関が捏造した疑いや可能性を指摘した。
再審公判で、検察側は法医学者7人による「血痕に赤みが残る可能性がある」とする共同鑑定書を提出。ヤマ場は24年3月、弁護団と検察側が請求した法医学者らの証人尋問で迎えた。ここで検察側の池田典昭九州大名誉教授からは「ほぼ全ての法医学者は1年以上みそ漬けされた血痕に『赤みは残らない』と思うだろう。常識中の常識」「(そもそも衣類が事件直後にタンクに入れられた場合、新たなみそが仕込まれるまでの)20日間で(十分な酸素に触れて)黒くなるのは当たり前」と弁護団の見解に沿った証言も飛び出した。
袴田さんを犯人とするには合理的な疑いが残る―。そう判断できれば、無罪判決は導かれる。ただ、捏造を巡り検察側は公判で「空想上の話」と猛反発。激しく対立する中、袴田さんの再審弁護団の一員でもある水野弁護士は「裁判所として説明責任を果たすためには捏造に踏み込まざるを得ず、判断を示す」とみる。
事件直後に実施されたタンクの捜索時に5点の衣類は確認されず、当初はパジャマが犯行着衣とされた。再審に詳しい青山学院大の葛野尋之教授は、衣類のうちズボンの共布が突如として袴田さんの実家から押収された経過も踏まえ「衣類が犯行着衣でないとするならば、では何だったのだという当然の疑問に答えなくてはいけない」と述べる。
他方で公判では、半袖シャツに付着した血痕と袴田さんのDNA型は一致しないと結論づけた弁護団の鑑定をはじめ、双方の主張・立証は多岐にわたった。検察側は「5点の衣類を除いても犯人であることを示す証拠が多数あり、全体として犯人性を裏付ける」と主張。小長光健史次席検事は「衣類にフォーカスが当たっているが、証拠全体を見た上で立証できた」とする。
同年5月の結審から4カ月。水野弁護士は「裁判官としてはプレッシャーがあるだろう」と推し量った上で「十分に時間をかけている。今回の判決は、いわば集大成となる。自白(の信用性評価)も含めフルスペックで判断すべきだし、判断すると思う」と見通す。
■袴田事件 現在の静岡市清水区で1966年6月30日未明、みそ製造会社の専務=当時(41)=方から出火し、ほぼ全焼した。焼け跡から専務一家4人の遺体が見つかり、住み込み従業員の袴田巌さんが強盗殺人・放火容疑などで逮捕され、その後起訴された。袴田さんは同11月の初公判で否認し、以降は一貫して無実を訴えた。80年に最高裁で死刑判決が確定。袴田さんの姉ひで子さんが2008年4月に第2次再審請求を申し立て、静岡地裁は14年3月、再審開始を認めると同時に死刑と拘置の執行停止を決め、袴田さんは約48年ぶりに釈放された。一方、検察は地裁決定を不服として即時抗告。東京高裁は18年6月、一転して再審請求を棄却したが、最高裁は20年12月に審理不尽の違法があるとして高裁決定を取り消し、審理を差し戻した。高裁は23年3月、検察の即時抗告を棄却し、捜査機関によって証拠が捏造された可能性が極めて高いと判断。検察が特別抗告を断念したため、再審開始が確定した。