揺れる家族、〝死後離婚〟(2024年9月11日『産経新聞』-「産経抄」)

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婚姻関係終了届。インターネットからダウンロードでき、全国のほとんどの市区町村への申請に利用可能
 
「平民宰相」と呼ばれた原敬妻の浅は、琴瑟(きんしつ=むつまじい夫婦仲のたとえ)相和す仲だった。大正10年秋、首相にして立憲政友会総裁の原が、東京駅で暗殺された日の挿話がある。遺体が政友会本部に運ばれようとするのを、現場に駆けつけた浅が制した。
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養子の原貢(中央)と。左が浅。
「原が生きている間はお国のものですが、こうなったら私だけのものです」。夫の乱れた衣服を整え、自宅に連れ帰ったと聞く。原の墓碑は郷里岩手県の菩提(ぼだい)寺にあり、その横には浅の墓が仲良く並んでいる。「偕老同穴(かいろうどうけつ=夫婦が仲むつまじく添い遂げること。夫婦の契りがかたく仲むつまじいたとえ。夫婦がともにむつまじく年を重ね、死後は同じ墓に葬られる意から。▽「偕」はともにの意。「穴」は墓の穴の意)」を地でいく夫婦だった。
「死後も連れ添う」が、いつの時代も理想であることに異論はあるまい。昨今はしかし、配偶者の死後に義理の親らと縁を切る〝死後離婚〟が見られるという。先日の産経ニュースが報じていた。政府統計によれば、令和5年度の「姻族関係終了届」の提出は、3千件を超えた。
民法などの規定では、残された配偶者の意思表示で相手方との姻族関係を終わらせることができる。義父母の介護などへの負担感から、夫の死後に女性が届け出るのが大半だという。夫婦間の子供はしかし、義父母の孫であることに変わりはない。
一方的に縁切りしたことで、子供が板挟みになったこともあると聞く。夫婦間の日頃の話し合いが、いかに大事かを物語る事象と言えよう。どちらかが「死んで終わり」ではない。結婚は「家と家」の間のものでもある。「家族」の足場は、いつからこうも脆(もろ)くなったのだろう。
原敬の葬儀を無事に終えた浅は、遺骨の埋葬に立ち会った人たちにこう懇願した。自分が亡くなったら、夫の横で同じ深さに安置してほしい。お墓の中で「あなた」と呼びかけるのに困らないために、と。夫の死から1年4カ月後、浅の願いはかなっている。