庶民生活にも心砕ける人を 「もう1人の総理」選び 編集委員・久原穏(2024年9月11日『東京新聞』)

 「もう、きみには頼まない」。戦後の有力政治家で当時大蔵大臣(現・財務相)の水田三喜男に向かって、こう啖呵(たんか)を切り、席を蹴った気骨の経済人がいた。
 官僚から転じ、第一生命や東芝の社長で辣腕(らつわん)をふるい、1956年から12年間にわたって経団連の第2代会長を務めた石坂泰三である。時の総理、鳩山一郎に退陣を求めたことまである。その威厳と強大なリーダーシップから付いた異名が「財界総理」。以来、この呼称は経団連会長に付いて回るようになった。
 今まさに総理の椅子に直結する自民党総裁選が佳境を迎えたが、実は「財界総理」の後任選びも水面下で進んでいるのである。現在の第15代会長、十倉雅和(住友化学会長)の任期は来春の総会(5月末ごろ)までで、年明けには十倉の指名により後任が内定するのが慣例だからだ。
 だが、多くの国民にとってはそれほどの関心事ではない。それは「財界総理」なる呼称は今は昔、もう政治家に物を申せる力関係になく、名ばかりなのである。
 そんな「今は昔」を象徴するような出来事がある。第12代会長、米倉弘昌(元・住友化学会長)の一件だ。米倉は、政権への返り咲きがほぼ決まった安倍晋三に対し「近隣諸国はあなたの愛国主義を警戒している」と忠告、また講演でアベノミクスの看板となる大規模な金融緩和について「無鉄砲だ」と批判した。
 まさに正論ではあったのだが、安倍の逆鱗(げきりん)に触れ、経団連と安倍との間に深い亀裂が入った。米倉は経団連会長の「指定席」だった政府の経済財政諮問会議の民間議員に選ばれず、干され続けた。米倉以降の会長は政治に、ほとんどひれ伏す状態が続く。
 「歴代の経団連会長で思い浮かぶのは?」と問われたら、どんな名前を挙げるだろうか。「誰も知らない」が相当数に上る一方で、シニア世代からは第4代の土光敏夫(元・東芝会長)を挙げる人が多いのではないか。
 石坂の強い推しにより77歳の高齢で就任、実直な人柄と「怒号敏夫」のあだ名が示すような厳しい姿勢で大きな仕事を次々と成し遂げた。それ以上に強い印象を残したのは、生き方だった。財界人に付き物である夜の宴席はすべて断り、夕食は自宅で夫人との粗食。メザシにかじりつく姿がテレビで流れ、清貧な暮らしぶりが庶民の心を打った。
 さて後任会長候補だが、ソニーや日本製鉄、NTTなど巨大企業から名前が挙がる。誰になろうと「大企業のための利益団体」の職責を優先するだろう。それは仕方のないことだとしても富める者だけでなく、広く市井の暮らしにも心を砕いてほしいと思う。
 城山三郎が小説「もう、きみには頼まない」で描いたのは、大局をつかむ力があり、懐の深い人間だった。そんな財界人が輝いた時代はもう現れることはないのだろうか。=文中敬称略

キャプチャ
石坂泰三の世界 もう、きみには頼まない (文春文庫 し 2-23) 文庫 – 1998/6/10
城山 三郎 (著)
石坂泰三をなぜ書いたか。
現職の大蔵大臣や総理に向かって、「もう、きみには頼まない」という啖呵の切れる気骨人だったということだけのためではない。
存在感のある人間が、いま求められている。
大不況の壁の前で、揃って足踏みしているのではなく、広い野原へ連れ出してくれる大きな人に会ってみたい。王道や大局をつかむ力があり、懐の深い人に――。
これは、わたしひとりの思いではない、と思う。(あとがき)。
石坂泰三――第一生命、東芝社長を歴任、高度成長期の昭和31年〜43年、経団連会長を務め、“日本の陰の総理"“財界総理"と謳われた、気骨ある財界人の生涯を描いた長篇小説。