きょうは防災の日である。
にもかかわらず、特段の備えをしていない家庭が半数近くに上るとする損害保険会社の調査結果もある。
災害リスクが常に身近にあることを自覚し、非常用品や家具の置き方など身の回りの備えを再確認する日としたい。
台風10号が列島を襲い人的被害が出た。不安定な天気は続いており被害の拡大が心配だ。
近年見過ごせないのが、災害に関連した偽情報が交流サイト(SNS)で拡散することだ。
最近の特徴として、閲覧数を稼いで収益を得ようとしていると思われる投稿が目立つ。
そうした行為は、社会を混乱させようとしているに等しく、極めて無責任と言うほかない。
実際、1月の能登半島地震では偽の住所が記された救助要請が発信され、警察や消防が振り回された。
一刻を争う救助活動に偽情報が入り込めば、助かる命も失われかねない。
私たちも情報をうのみにしたり、直ちに拡散したりするのは避けるべきだ。
不安にかられる情報に接した時は動揺せず、公的機関の信頼できる情報かなどを確認するよう心掛けたい。
だが海水浴場を閉鎖する動きが広がるなど、自治体や事業者によって対応が分かれた。
政府は、国民に分かりやすく、混乱を最小限に抑える情報発信のあり方について研究を深める必要がある。
東の果てにあるという桃源郷に不老不死の薬を求めた秦の始皇帝、永遠の美貌を切望した古代エジプトプトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ。どれほどの権力者でも、全ての人に平等に与えられた時の流れにあらがうことはできなかった。
自然の脅威もあらがえないものの一つ。東日本大震災の際、沖合から押し寄せる津波を押しとどめることは誰もできなかった。台風、地震、それによって引き起こされる関連災害。どこに住もうと災難が降りかかる可能性がある。自然の脅威は必ず襲いくると心して、絶えず対策を見直したい。
近年、気象変化が著しく災害の危険性、頻度は以前と異なるステージにある。これまでの経験値は通用しないかもしれない。身を守る判断は結局、本人に委ねられる。
日本の近代を精神的にけん引した福澤諭吉は著書「学問のすゝめ」で人の平等を説き、努力により結果は違ってくると書いた。その考えは災害対応にも通じる。年齢も貴賤(きせん)も関係ない。たとえあらがえずとも、一人一人が学び準備し、対策を講じれば結果は異なる。せめて年に一度、きょうをその機会にしたい。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤(きせん)上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥(どろ)との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教(じつごきょう)』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役(りきえき)はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
台風のさなか、裏の医院に飼われていた猿が逃げた。嵐の音に野生が呼び戻されたのか、屋根の上で叫び声を上げる。台風が去った後、猿は小さな亡きがらとなっていた
▼エッセーの名手、向田邦子が子どもの頃の台風の思い出をつづっている。猿の不思議な所業とは裏腹に、用心深くあれこれ備える向田家の人間模様がほほ笑ましい。兄弟げんか、夫婦げんかも休戦となり「父も母も、みな生き生きしていた」(「霊長類ヒト科動物図鑑」文春文庫)
▼向田家の夜。火を使わない缶詰がおかずとなり、子どもたちは歓声を上げる。父はいつも2本のお銚(ちょう)子(し)を1本に控え、母に懐中電灯の確認をする。騒々しいが「一家をあげて固まっていた」。天地が暴れるとき、人は肩を寄せ合う力をもらえる。
ズレ(2024年9月1日『福島民報』-「あぶくま抄」)
いつの間にか「ズレ」が生じ、見直しを迫られるようになった。江戸時代の「暦」、いわゆるカレンダーの話だ
▼平安時代から約800年間、中国由来の「宣明暦[せんみょうれき]」を使い続けていた。長い年月を経て、実際の日の巡りとは2日の食い違いが起きていた。地球の公転の周期はぴったり365日でないのが原因らしい。日食や月食の読みが外れるのは、幕府の権威にも関わる由々しき事態だったのだろう。さて困った…
▼修正に挑んだのが、幕府初代天文方の渋川春海だった。日本で最初の天文学者とされる。会津藩主保科正之公らの後押しを受け、昼は太陽、夜は星空の観測を繰り返した。天のことわりを読み解き、正確な暦を導くまで、困難と失敗の連続を乗り越えた。「宣明暦、天に後[おく]る二日なるを」。わが国独自の「貞享暦[じょうきょうれき]」を作り上げ、幕府に採用された
▼処暑を過ぎ、暦の上では暑さが和らぐはずなのに、今年は例年以上に猛暑が続く。嵐への備えは解けない。異常気象は農作物の不作や魚介類の不漁をもたらしているとも。人類の営みが引き起こした温暖化が季節の周期を狂わせたとしたら、一刻も早く正さねば。江戸の偉人が残した孤高の星図を道しるべに。
関東大震災が発生した9月1日は、教訓を伝えるため「防災の日」となった。震災から多くを学び備えてきたはずなのに1995年の阪神大震災以降も、想定外の事態に何度も直面している。だからこそ「今の備えで十分なのか」を問い、改善策を考える日とすべきである。
地震がもたらす被害の様相は人口減少や高齢化、インターネットの発達など社会の変化に伴って変容する。それに備える事前の対策は絶えず見直す必要がある。今年1月の能登半島地震では道路の寸断により、緊急消防援助隊や災害派遣医療チーム(DMAT)など初動の到着に時間がかかった。一方向からしか入れない半島地形の難しさのためだ。ネット上に出現した虚偽情報により救助は混乱した。
自宅再建の前提となる被災家屋の公費解体は人手不足もあり来年10月の目標通り完了するかどうか見通せない。若い世代は仕事のため被災地外へ移り、高齢者らが残る。人口減少下の復興の難しさを浮き彫りにした。
政府は初期対応の難航から災害対応の体制を強化する。政府中枢や各府省庁、被災地の首長らと調整して司令塔の役割を果たす「防災監」を新設し、千人規模の国の職員を被災地に派遣できる態勢も構築する。災害対応には被害の全体像を素早く把握し、判断できる専門家による統率が必須である。先進自治体では防災監などを置いている。首相や担当大臣、首長による政治主導では難しい。一方、新設するだけでは不十分だ。
阪神大震災以降、防災と復興を担う省庁の設置を求める声が有識者らから出ていた。役割は地震や洪水、火山噴火への即応や復興だけではない。防災の観点から国や自治体の政策を検証し、民間も含めて日頃から事前の対策を進めるのである。こういう組織が不可欠であり、さらなる体制の強化を求めたい。
8月8日には初めて「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が出された。南海トラフ巨大地震の想定震源域の西端、宮崎県で震度6弱の地震が起きたためだ。南海トラフでは1944年に想定震源域の東側で昭和東南海地震、2年後に西側で昭和南海地震が起きた。時間差で起きる大地震に備えるべきとの判断から臨時情報の制度がつくられた。
この時の、東西の震源域が別々に、時間を空けてずれる「半割れ」とは違い、今回の「一部割れ」の際に出される注意情報の切迫性は低い。パニックは起きなかったものの、ホテルや旅館のキャンセルが相次いだ観光地もある。海水浴場を閉鎖した自治体もある。これらの対応を政府で検証し、統一的なルールを設けるのか、キャンセルへの補償はどうするのか、半割れの際には社会や経済の活動をどれだけ制限するのかなどを具体的に検討しておきたい。
国難級の巨大地震に備えるには、危険な場所への人口や産業の集中は避けて、国土の均衡ある発展によって減災を図る思想がベースにあるべきだ。東京には首都直下地震の発生や、富士山噴火の恐れがある。防災を考えると、東京への一極集中は危険であることも思い起こしてほしい。
激甚化する自然災害 つながり深め命救いたい(2024年9月1日『毎日新聞』-「社説」)
災害が激甚化している。高齢化や地方の過疎化が進むなか、防災は社会の変化に即した対応を迫られている。
強い勢力を保って上陸した台風10号は、各地で大きな暴風雨による被害をもたらしている。
地球温暖化を背景に、近年は大規模災害のリスクが増大した。
日本損害保険協会によると、1970年以降の火災保険の支払額上位10件のうち7件がこの10年で発生した風雪水害だ。
こうした中で、市民の防災意識は高まっている。
危機意識の高まりを一時的なものに終わらせず、日ごろの心構えと行動につなげることが肝要だ。鍵を握るのは防災訓練である。
防災の日 災害情報への理解を深めたい(2024年9月1日『読売新聞』-「社説」)
注意が出たからといって、一律に日常生活を制限するのは適切とは言えない。自治体の実情を勘案して行事の見送りなどの対策をとるのであれば、「空振り」に終わっても無駄とは言えず、今後に生かされるのではないか。
臨時情報の制度自体が十分に知られていたとは言い難い。政府は今回の対応を検証し、分かりやすい発表の仕方を考えてほしい。
南海トラフ地震だけでなく、東北から北海道沖にかけての日本海溝・千島海溝でマグニチュード(M)7クラスの地震が起きた場合にも、同様の「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が発表されることが2年前に決まった。
地震に加え、近年は、夏場の酷暑や豪雨、台風などによる複合災害の危険が高まっている。このため防災気象情報は年々、拡充されてきたが、逆に情報過多となり、受け取る側の住民や自治体が消化しきれない問題も生じている。
洪水、土砂災害、高潮などの災害別に、「注意報」「警報」「特別警報」などがあるが、用語の使い方がバラバラで「理解が難しい」と不評だという。気象庁は、用語や表記を統一し、直感的に理解できる体系に整理する方針だ。
情報を正しく理解し、適切な行動につなげるには、情報を発信する側と受け取る側の双方の努力が求められる。
誰もが被災する時代の備えを(2024年9月1日『日本経済新聞』-「社説」)
交通機関は混乱が続いているが、計画運休で早めの周知が広がっている(31日、JR東京駅)=共同
台風10号は気候変動による偏西風の蛇行もあって速度が遅く、8月下旬から日本列島を迷走している。この間、高い海水温が大量の水蒸気を供給し、中心から離れた地域でも記録的な大雨となった。引き続き警戒が必要だ。
政府は災害に備え、1日に予定していた防災訓練を中止した。各地で土砂災害などが起きており、迅速に支援してほしい。
交通機関に早い段階から計画運休が広がったのはよい傾向だ。混乱や試行錯誤はあるが、被害を広げかねない無理な移動を減らし、早めの判断や行動が定着していけば、減災につながる。
行政は空振りを恐れず、必要な注意を呼びかける。国民も情報の意味を理解し、日常生活を送るなかで災害に備える。双方がリスクコミュニケーションの練度を上げ、災害時に自助、共助、公助がうまく機能するようにしたい。
気がかりなのは、台風被害の目立つ地域が南海トラフ地震の警戒区域に重なることだ。巨大地震と風水害が相前後して起こる複合災害の対策は、具体的な議論がほとんどない。風水害が頻発する今、真剣に考えるべきだろう。
1日は能登半島地震の発生からちょうど8カ月にあたる。半島部が被災すると救助や復旧が難航し、高齢化やインフラの老朽化も相まって復興を遅らせる。息の長い支援が必要だ。事情の似た地域は各地にあり、対策を急ぎたい。
いざというときは準備してきたことしかできないのが過去の災害の教訓である。平時から入念な備えを心がけたい。
過去最強クラスの勢力で8月29日に鹿児島県に上陸した台風10号は、非常に遅い速度で西日本を縦断し、日本列島の広い範囲に大雨と強風による被害をもたらしている。命守る行動に徹しよう
多くの人は台風と大雨に備えているはずだが、土砂災害や河川氾濫から命を守り抜くために、最大限の備えと行動を再確認してほしい。台風10号による被害をできるだけ小さくとどめることが、今年の防災週間の最重要課題である。
台風10号は上陸直前まで発達し、勢力を強めた。上陸後も動きは遅く、列島上の滞在期間が長引いた。梅雨前線が停滞する梅雨後期のように、大量の水蒸気を含んだ南の暖かい空気が日本列島に送り込まれ、台風の周辺が暴風雨に襲われただけでなく、中心から離れた東海、関東など広範囲に記録的な大雨を降らせた。
台風の勢力が弱まり熱帯低気圧に変わっても、広域に大雨をもたらす気象状況は続く。土砂災害や河川氾濫のリスクはさらに高まることを踏まえ、命を守る行動に徹したい。
一方で、台風の接近、上陸と大規模地震の発生が重なるような事態を想定し、災害対応を考える必要がある。
防災の日は大正12(1923)年の関東大震災の発生日に由来するが、日本海に中心があった台風による強風が、被害拡大の大きな要因になった。昼食どきの地震で多発した火災が強風で延焼し、竜巻のように炎が渦巻く火災旋風が起きた。10万5千人の震災犠牲者のうち9万2千人は焼死だった。
8月8日の日向灘を震源とする最大震度6弱の地震で、被害が大きかった宮崎県は、台風10号でも暴風雨に襲われた。日向灘地震を受けて出された南海トラフ地震の臨時情報「巨大地震注意」の期間中(8~15日)に発生した台風7号は日本の近海で発達し関東に接近した。
複数の災害が同時、または立て続けに発生すると被害が桁違いに大きくなる場合がある。
今の日本は、南海トラフ地震などの切迫度が高まり、マグニチュード(M)7級以上の大地震はいつ、どこで起きても不思議ではない。地球温暖化の影響とされる気象の激甚化で、台風や豪雨による甚大な被害を伴う水害が毎年起きている。
複合災害のリスクを小さくするために、9月1日とは別に台風や豪雨などの気象災害に備える日を設けるべきである。
最も頻度が高く、かつ全ての国民にかかわる気象災害に、政府、自治体、国民が連携して備える機会が必要であることは明らかだ。
台風や豪雨による大規模水害を想定した訓練の普及と定着を図り、地球規模の気候変動について多くの国民が学び、考える契機としたい。
あらゆる複合災害に万全に備えるのは不可能だとしても、地震、津波、水害や火山噴火を想定した訓練の積み重ねが、複合リスクの低減に結び付く。訓練が定着すれば、年々激甚化する気象災害への対応力が養われ、次世代の命も救えるだろう。
来年で発足から150年となる気象庁は、空模様に関するさまざまな記録をウェブサイトに載せている。それによれば国内で観測された最高気温は、埼玉県熊谷市(平成30年7月)と静岡県浜松市(令和2年8月)の41・1度である。
▼実は101年前、気象庁(当時は中央気象台)はこれを上回る高温を首都で観測している。大正12年9月2日の未明、温度計は46度を超える値を示したという。関東大震災の発生から半日あまり、各地で起こった火事は折からの強風に乗って広がり、火炎と熱が街を包んだ。
▼<この夜半に生き残りたる数さぐる怪しき風の人間を吹く>。被災した与謝野晶子は、こんな歌を残した。火と熱を運んだ強風は、北日本を西から東へ横切った台風がもたらしたとされる。逃げ惑う人々には不気味な魔の手に思えたかもしれない。
▼炎が迫る中、職員が命懸けで観測したに違いない46度超は、気温として公式に採用されることはなかった。重たい教訓を、現代人に残してくれたことは確かだろう。巨大地震はいくつもの災いを引き連れて、人と街を襲うという冷徹な現実である。
▼日向灘を震源とした先日の地震と台風5号の東北上陸は数日の差だった。地球という巨大な器の中の現象と考えれば、数ミリ、数秒の差と言えなくもない。死者を出した台風10号が列島に居座る中、「防災の日」を迎えた。時も場所も選ばぬ災害の無情を胸に刻む日でもある。
▼10万を超える人々に犠牲を強いた101年前の震災は、晶子にこう詠ませてもいる。<空にのみ規律残りて日の沈み廃墟の上に月上りきぬ>。歌人も仰いだのと同じ月が、夜空にかかる季節である。澄んだ光が、地上の平穏を約束するわけではないことも心したい。
週のはじめに考える 災害を知り、備えてこそ(2024年9月1日『東京新聞』-「社説」)
想定震源域内で発生確率が平常時に比べて相対的に高まったとして注意が呼びかけられました。ただ「通常の生活をすればいい」という一方で「地震学的に極めて高い確率」とされ、戸惑う人も多かったのではないでしょうか。
臨時情報では、1週間以内にマグニチュード(M)8級の地震が発生する確率は数百分の1と説明されました。世界から集めたM7級以上の地震記録1437例のうち、7日以内にM8級以上の巨大地震が発生した事例が6例あったことから算出されたものです。
◆巨大地震注意に戸惑い
集計には、南海トラフのような海溝型の地震だけでなく、異なるタイプの内陸の地震や、100年以上前の精度の低い地震記録も含まれています。臨時情報の仕組みを検討する初期段階から、こうした雑多なデータを論拠とすることには疑問の声もありました。
政府の地震調査委員会の元委員でもある纐纈一起・東京大名誉教授も「論拠としては弱い」と指摘し「政府が出す情報として論拠が何もないというわけにはいかず、弱くてもあえて出さざるを得なかったのだろう」と推測します。
多くの人が抱いた戸惑いの原因はまさにその点にあります。
現在の地震学では、地震発生の時期や規模について確度の高いことは分かりません。臨時情報はもともと「不確実な情報を防災に生かす」という挑戦的な制度だったはずですので、論拠が弱いことを恥じる必要はないのです。
早稲田大の高木秀雄教授(構造地質学)も「地震にはまだ不明な点が多い。地震発生確率の精度というのはこれぐらいのレベルだと言ってもらわないと、確率が上がっているということだけを伝えると、過度な反応を引き起こす可能性が出てくる」と話します。
◆高校で地学の授業減る
高木さんは、高校で地学の授業が行われているかどうかを調査して、全国にある高校の約8割に当たる4117校の2018年時点の状況をまとめました。
それによると、状況が分かった高校のうち、週2時間の授業「地学基礎」を開設している高校は44%でしたが、より詳しく学ぶ週4時間の「地学」の開設率は8・8%にとどまっています。
地域差も大きく、九つの県では「地学」を開設している高校がゼロでした。さらに「地学」を設けているとはいっても、実際には授業を行っていない高校が約半数に達することも分かりました。
背景には、授業を増やそうにも地学の先生が少ないという事情もあります。高木さんによると「都立高校では、最近は補充もほぼなく、地学教員は絶滅危惧種などと呼ばれている」そうです。
地学を履修する生徒が少なければ、地学教員を志す人も減り、どんどん先細っていく構図。地震国としては心細い状況です。
高木さんは「地学の履修機会が減れば、地震や津波、台風など自然災害情報を受け止めるリテラシー(読解力)も育ちにくい。どうしても知ってほしい地学知識を週1時間でも必修科目として組み入れられないか」と訴えます。
◆防災行動は納得の上で
地学を学んだり、地震の発生メカニズムに興味を持つ人が少なくなっていけば、政府が発表する根拠の薄い発生確率でもそのまま受け取らざるを得ず、疑問を持ったり、妥当性を検証したりすることはできなくなるからです。
水や食料、防災用品などの備蓄や、避難場所や連絡方法の確認など、事前に備えることはもちろん重要ですが、必要性を納得した上でないと長続きせず、自発的な防災行動も取れません。細かいことは気にせず、とにかく防災行動をと言われても、命や暮らしを本当には守れないのです。
災害を知り、普段から備える。基本的なことですが、あらためて心に刻む必要があります。
映画『天国と地獄』などの黒沢明監督が1923(大正12)年9月1日の関東大震災の記憶を書いている。当時、13歳
▼地震から自然の力と、「異様な人間の心」を学んだという。震災後、ある井戸の水は飲むなと町内の人に教えられた。井戸の塀に白墨で書いた変な記号があり、朝鮮人が井戸へ毒を入れた目印に違いない。黒沢さんはあきれかえったという。「その変な記号は私が書いた落書きだった」-
少年が大人たちの馬鹿馬鹿しさに呆れ返ることが続く。町内のある井戸の水を飲んではいけないと少年が近所の人に注意される。その井戸の外の塀にチョークで変な記号が記されているが、それは朝鮮人が毒を入れた目印だと言う。少年は唖然として言葉もない。と言うのも、その記号は、以前、彼が描いた落書きだったからである。
▼明少年が見た、震災の恐怖が人間の正気を奪っていく現実。震災後の闇におびえる人々は朝鮮人が襲ってくるというデマの「俘虜(ふりょ)」となった。「私は人間というものについて首をひねらないわけにはいかなかった」
▼災害時、人の心は乱れやすく、デマや偽情報の「俘虜」になる危険にもまた備えるべきなのだろう。デマが混乱を生み、ときに野蛮な行為にまで駆り立てる。SNSの時代にあっては偽情報はより巧妙で拡散の速度も関東大震災時の比ではあるまい
▼災害時に助け合い、励まし合う人の優しさとたくましさはよく知っている。その一方で「首をひねらないわけにはいかない」ほどの弱さと愚かさを人間はあわせ持っている。防災リュックのどこかには必ず入れておきたい「心構え」であろう。
きょうは「防災の日」だ。一人一人が災害列島に暮らしていることを自覚し、身の回りの備えを再確認したい。
現在も台風10号が九州などで暴風雨をもたらし、大きな爪痕を残している。速度が遅く長時間にわたり同じ場所が雨風を受けるため、土砂災害などの危険が高まる。積乱雲を次々と発生させ局地的に猛烈な雨を降らせ続ける「線状降水帯」も兵庫県などで頻発した。台風から離れた地域でも大雨となり、愛知県では土砂崩れが起きて家族5人が巻き込まれた。
地球温暖化などで、「数十年に一度」とされる雨が毎年のようにどこかで降っている。より強力な台風が増え、被害の激甚化が懸念される。これまでの経験にとらわれず、防災・減災対策を見直す必要がある。
15年前の兵庫県西・北部豪雨で甚大な被害があった佐用町の水害では、道路が水没する状況で、夜間に避難所に向かう住民が濁流に流された。避難の在り方が問われ、浸水の恐れのない2階以上への「垂直避難」も奨励される契機となった。
しかし、その後の災害でも逃げ遅れた人が犠牲になる惨事が後を絶たない。避難情報が出ても、すぐに行動に移す人はまだまだ少ない。
自治体は「空振り」を恐れず、早めに避難所を設け、住民に安全確保を促さねばならない。住民の側も、自宅や周辺の浸水域や水深を予想するハザードマップを確認してほしい。災害時の個人や家族の役割を時系列で決めておく「マイ・タイムライン」も避難行動の参考になる。
台風シーズンは続く。被害はゼロにできなくても減らすことはできる。行政の対応には限界があることを認識し、先手先手で自ら命を守る地域主体の防災への意識を高めたい。
災害時の学校支援 チームおかやまの強化を(2024年9月1日『山陽新聞』-「社説」)
今回の台風で岡山県内でも避難所が開設された。日本では学校が避難所になる場合が多い。政府は大規模災害が起きた際、被災地の学校を支援する全国的な枠組みを創設する方針を決めた。
きっかけとなったのは、岡山など5県が独自に設置する学校支援チームである。自治体が避難所を開設すると、学校の教職員は避難所運営にも協力しつつ、学校再開に向けて準備を進めねばならない。教職員自身も被災して疲弊する中、被災地外から応援に来てくれるのが支援チームだ。
こうした活動が成果を上げているとして、文部科学省が創設するのが「被災地学び支援派遣等枠組み」(略称D―(ディー)EST(エスト))だ。同省が5県のチームと連携しながら、他の自治体にもチーム設置を促す。南海トラフ地震など大規模災害が起きれば、言うまでもなく5県のチームだけでは対応できない。広域での派遣体制の構築は急務といえる。
チームおかやまは、災害支援に必要な知識を学ぶ養成講座を受けた小中高校の教職員らを災害支援員として登録し、現在108人。本年度末には約150人まで増える予定だ。本年度の養成講座には新たにチーム設置を目指す京都府の教職員も参加。他県の人材育成にも貢献している。
支援チームは被災地支援を目的とするが、もう一つの重要な役割がある。防災意識の高い教職員を増やし、勤務校のみならず、地域の防災力を高めることだ。
8月初めには岡山県内の災害支援員が一堂に会する研修会があり、能登半島地震の被災地の状況が報告された。避難所の開設前に住民がガラスを割って学校内に入り、職員室などを占有し、混乱した例もあった。断水でトイレが使えないことが極めて大きな課題だったという。
避難所に関しては、学校施設の開放範囲やトイレ対策などを学校だけでなく、地元住民や自治体と事前に協議しておく必要があろう。支援チームが被災地で得た貴重な教訓を地域で共有し、実効性の高い備えを進めたい。
台風10号が四国地方を巻き込みながら進んでいる。勢力は衰えたとはいえ速度が遅いため、長時間にわたって風雨にさらされている。油断のないようにしたい。
まずは台風10号が気がかりだ。暴風域はなくなったが、引き続き、線状降水帯や土砂災害の発生の危険性があるという。緊張感を緩めず警戒をしたい。
また秋雨前線の活動が活発になり、豪雨に見舞われる恐れがある時季でもある。10月にかけ、風水害への備えを怠ってはならない。
この間、備蓄飲食料を含む防災用品の確保や家具の固定など、日頃の備えの大切さを再認識した人が多かったはずだ。地震や台風で高まった意識や備えを継続し、さらに発展させていきたい。
現在はハザードマップの普及や災害の危険情報の提供など、ソフト面の防災対策が進んできた。しかし、それらを住民がうまく活用しているかどうかは別の問題である。
政府や自治体にはハード面の整備も含め、点検すべきこと、見直すべき課題は多い。対策を確実に強化していかなければならない。
子どもたちの短い交流を描いた話の解釈はさまざまだが、作品を輝かせるのが賢治の童話特有の展開力だろう。冒頭の一節もそう。又三郎も突然姿を消した。タイトル通り、風のような疾走感がある。
今年はきょうが二百十日にあたる。同じ節目だというのに、こちらの「風」は何と鈍いことか。本県に近づいた台風10号は、最初の予報なら既に通過しているはず。それがまるで暦に合わせるようにのろのろ進み、多くの人の月末の予定も狂わせた。
遅いだけではない。この間、海水温が高い海から湿気を吸い上げて発達し、離れた場所にも大量の雨を降らせている。そこには賢治の時代とは違って温暖化の影響もみえる。被害の深刻さも増した。予定が狂う程度で済めばまだましなのかもしれない。
立春から数えて210日目は9月1日に当たることが多いが、うるう年の今年は、きょう8月31日が「二百十日」である。台風が多い日とされ、農家にとっては「厄日」の一つ。まさにこの日に合わせたような台風10号の襲来だった。速度が遅く、迷走を続けている。どうやら「雨台風」のよう。被害が少ないことを祈るしかない
◆年齢によって台風の記憶はきっとさまざま。筆者が最初に思い出すのは1991年の17、19号。19号は特に怖かった。2004年の16、18号も記憶に残る。16号は今回と同じ8月末、「二百十日」に合わせるように九州を襲った。その傷も癒えない9月初旬に18号が襲来。山間部は「風倒木」被害に苦しんだ
◆80代以上の人は「ジュディス台風」を思い出すのではないだろうか。1949年8月中旬、九州に上陸。深い爪痕を残した。あれから75年がたつ。積み上げてきたものを一瞬で壊す自然の猛威。でも、命があればいつか取り戻せる
◆この2日間は交通機関の運休や商業施設の臨時休業も目立った。互いを思いやり、譲り合った結果と思えば少しの不便、不自由は受け入れられるだろう
◆「二百十日」に加え「二百二十日」も厄日の一つ。20年前の台風16、18号はその典型だった。備えに「空振り」は許されても「見逃し」は禁物。気を緩めないようにしたい。(義)
▲その意味は〈夏も終(おわ)りに近く、夜になると急に涼味をまし…もう秋の夜であるかのような、軽い錯覚を感じさせること〉。晩夏の夜なのにもう秋かと思い違いをしてしまう-と、そういうことらしい
▲台風接近、上陸の夜はやや気温が下がり、かすかに涼味を感じたものの、台風が夏を連れ去ったわけではない。嵐が通過しても、きのうの空は昼間も暗く、不穏な風もやまなかった
▲台風一過とは、風雨が収まり晴天に変わることを言うが、去ったあともまるで台風の予兆のような空模様が残る「一過」はほかに記憶がない。広い範囲で被害をもたらす「のろのろ台風」の、これも威力だろう
▲県内では崖崩れが起き、けが人も出た。台風とは遠い所でも尋常ではない雨が降り、川はあふれ、“夏の爪痕”に不安が募る。かすかに涼しさを覚え、秋の兆しと思ったのは、「夜の秋」の〈軽い錯覚〉だったと知る