五輪閉幕に関する社説・コラム(2024年8月13日)

パリ五輪閉会式で、 花火が上がったフランス競技場
キャプチャ
パリ五輪の閉会式で写真に納まるレスリングの(右から)元木咲良、須崎優衣ら日本の選手たち

パリ五輪閉幕 感動そして多くの課題(2024年8月13日『北海道新聞』-「社説」)
 
 パリ五輪が閉幕した。
 コロナ下で無観客だった3年前の東京大会とは異なり、世界から集まった観客の大声援が選手を後押しした。選手の躍動が人々の感動を呼んだ。
 観衆の中で競い合えたことを「幸せ」と表現した選手も少なくなかった。国境を超えて人々をつなぐスポーツの価値が再認識されたのは確かだろう。
 活躍が目立った日本勢の中でも旭川出身の北口榛花選手がやり投げで獲得した金メダルは、陸上フィールド種目で女子選手初の快挙となった。
 持ち前の気持ちの強さと身体能力、単身渡ったチェコでの鍛錬のたまものにほかならない。心から祝福したい。
 観光名所などを競技会場に活用し、花の都を広く舞台にした運営も注目された。
 その一方で、五輪に付きまとってきたさまざまな課題は今回も浮き彫りになった。
 五輪は国際情勢に翻弄(ほんろう)されてきた。ウクライナとガザで戦争が続く今回も「平和の祭典」とならなかったのは残念だ。
 救いは、選手間の敬意や友情が輝きを放ったことだろう。
 体操団体で橋本大輝選手は鉄棒で金メダルを引き寄せる演技の後、人さし指を口に当て大歓声の客席に静寂を求めた。次に演じる中国選手のためだった。
 卓球では北朝鮮、韓国、中国の選手が表彰台で一緒に記念撮影する姿が見られた。こうした交流の一つ一つが平和への礎となるよう願う。
 水質が問題視されたセーヌ川トライアスロンなどを行ったのは、選手本位ではなかった。
 パリの都市景観を世界に見せようと、仏政府は水質改善に巨費を投じた。だが出場し、体調を崩して入院した選手も出た。
 選手の健康より、演出を優先したと言われても仕方ない。
 近年は欧州も暑さが厳しさを増している。なのに真夏に開かれるのは、国際オリンピック委員会IOC)が収入を頼る米テレビ局が他のプロスポーツと重ならない7、8月の開催を求め続けているのが大きい。
 五輪の肥大化を支える商業主義が選手に負担を強いている。
 関心の高まりの半面、交流サイト(SNS)上では選手らへの中傷が深刻だった。
 ボクシングでは選手の性を巡る議論が起きた。いずれの問題も放置できない。
 来年退任するバッハIOC会長は、閉会のスピーチで「センセーショナルだった」などと自賛に終始した。IOCは抜本改革なくして五輪の持続は見通せないと自覚すべきだろう。

強化結実 県勢も活躍光る/五輪閉幕 日本メダル45(2024年8月13日『東奥日報』-「時論」/『茨城新聞山陰中央新報佐賀新聞』-「論説」)
 
 パリ五輪が閉幕した。最大の懸念だったテロ事件は起こらず、聖火が消えた。無観客で寂しく幕を閉じた東京五輪閉会式から3年。約7万人がスタンドを埋めた閉会式は、スポーツの素晴らしさを再認識した観客の歓声と拍手に包まれた。
 
 「広く開かれた大会に」をスローガンにした運営が成果を上げた。会場の95%は既存または仮設施設。観光名所も活用し、近代建築の展示場のようだった近年の五輪イメージを一新した。祝祭感あふれる会場には史上最多となる約950万人の観衆が詰めかけ、声援で盛り上げた。
 各会場では観客と選手の接点が多くあった。メダリストが市民から直接、祝福を受ける企画も盛況だったという。開放的な運営で事件、事故をよく防止できたものだ。周到な警備を評価したい。
 日本選手の活躍は見事だった。海外開催の五輪では最多となる金20個を含む計45個のメダルを獲得した。
 近代五種男子の佐藤大宗選手(青森市出身、青森山田高出、自衛隊体育学校)が銀メダルを獲得。同競技で日本勢初のメダルとなる歴史的快挙を成し遂げたほか、バドミントン女子ダブルスで銅メダルの志田千陽選手(青森山田高出、再春館製薬所)ら県勢の活躍が光った。
 マラソンを除く陸上女子で史上初となるやり投げ・北口榛花選手の金メダルのほか水泳飛び込みでも日本初のメダルがあった。好成績だった東京大会の遺産も生かした強化の結実とたたえたい。体操男子で52年ぶり3冠の20歳、岡慎之助選手に代表される若手の台頭も今後への期待をつないだ。
 日本の多くの選手が「これまでの周囲のサポートに感謝したい」と口にした。練習もままならなかったコロナ禍の苦しみを経験し、制約なしにスポーツに打ち込める幸福をあらためて実感したのだろう。選手たちの精神面での成長も感じた。
 毎回、物議を醸す審判の判定は各競技で映像判定導入が進みトラブルは減少した。しかし柔道では反則負けにつながる「指導」の判断が統一性を欠いた。日本発祥の柔道が五輪に採用されて60年。改善点はまだ多い。
 交流サイト(SNS)での選手への誹謗(ひぼう)中傷や、五輪を題材にした偽動画の氾濫は国際的な問題だ。世界中の関心を集めるトップ選手やイベントは標的になりやすい。早急な防止策が必要だ。
 国際オリンピック委員会IOC)はコロナ下の無観客開催強行、ウクライナに侵攻したロシアへの対応などで批判され「五輪の危機」が指摘されていた。パリ大会は成功といえるが、IOCが抱える五輪肥大化、行き過ぎた金権主義、不透明な開催地選定方法などの課題が解決されたわけではない。五輪再生はパリで緒に就いたばかりだ。
 「五輪休戦」の呼びかけもむなしくロシアとウクライナの戦闘、イスラエルによるパレスチナガザ地区への攻撃は続いた。フェンシングで優勝したウクライナ女子選手は「金メダルはロシアに殺された人、祖国を守る兵士にささげる」と話した。戦時下の大会を象徴する悲しい言葉だった。2026年のミラノ・コルティナダンペッツォ冬季五輪(イタリア)、28年ロサンゼルス五輪では、世界中のあらゆる戦火が消えた真の「平和の祭典」実現を切に望む。

パリ五輪閉幕 選手の熱戦に平和への祈り(2024年8月13日『読売新聞』-「社説」)
 
 各国の選手たちが熱い戦いを繰り広げ、時に感極まって涙を見せた。世界各地で紛争が続く中、勝敗を超えて相手を 称たた える姿に、平和の尊さを実感した人もいたに違いない。
 パリ五輪が閉幕した。高速鉄道の設備への破壊行為があり、緊張の中での開幕となったが、その後は大きなトラブルなどもなく、無事に競技日程を終えた。
 日本は幅広い年齢層の選手が活躍した。スケートボード女子で金メダルを獲得した吉沢恋選手は、14歳の中学生だ。決勝では「練習でもほぼ成功したことがない」という大技を鮮やかに決めた。
 馬術は、92年ぶりのメダル獲得という快挙を成し遂げた。メンバーの平均年齢は40歳を超え、自分たちで名付けたチームの愛称「初老ジャパン」が話題になった。
 「大逆転」も大きな感動を呼んだ。体操の男子団体では、最終種目の鉄棒で中国を逆転して優勝を飾った。スケートボード男子の堀米雄斗選手も最終滑走で大技を決め、五輪2連覇を達成した。
 いずれも最後まで諦めずに挑戦する姿勢が印象的だった。
 「お家芸」のレスリングは男女計8個の金メダルを獲得した。女子やり投げの北口榛花選手も実力を見せ、佐藤大宗選手は近代五種で日本勢初のメダルを取った。
 日本の金メダル獲得数は20、銀と銅を加えた総獲得数は45で、いずれも海外開催の五輪では最多となった。努力を重ねた選手たちに大きな拍手を送りたい。
 今大会は、ロシアのウクライナ侵略や、パレスチナ自治区ガザへのイスラエルの攻撃が続く状況下で開催された。金メダルに輝いたウクライナの女子走り高跳び選手は、「国を守る人々のためのメダルだ」と語った。
 戦況の悪化で苦境にある選手が安心して競技に臨めるようにすることが国際社会の務めである。
 今回はコロナ後の「新しい五輪」の提示を試みた大会だった。
 性別や人種、文化の違いを超えた「多様性」や、環境面への配慮など「持続可能性」を掲げ、施設の新設ではなく、パリ市街や既存施設を会場として利用するなど、経費の節減にも取り組んだ。
 開会式の演出に、ローマ教皇庁が不快感を表明するなど課題もあったが、「商業五輪」から脱却し、魅力ある大会を開催するためのヒントになるかもしれない。
 五輪を巡っては、SNS上の選手への 誹謗ひぼう 中傷や、国際競技団体によるメダリストへの賞金授与など、検討すべき問題も残した。

パリ五輪閉幕 大歓声の祝祭復活を喜ぶ 日本勢の躍進に心が躍った(2024年8月13日『産経新聞』-「主張」)
 
 
 パリ五輪は「歌う閉会式」で熱戦の幕を閉じた。大会中、各会場で聞かれた観衆による「ラ・マルセイエーズ(フランス国歌)」の大合唱が耳に残る。
 大会組織委員会のトニー・エスタンゲ会長は閉会のあいさつで「パリ五輪は多くの世界記録を塗り替えた」と語り、観客動員数や歓声の大きさを、その項目に挙げた。この言葉が大会の成功を象徴する。
 無観客開催を強いられた東京大会を経て大歓声に包まれる本来の五輪が帰ってきたことを、なによりも喜びたい。
競技会場だけではなく、表彰式翌日にメダリストがエッフェル塔の足元で市民と交流する「チャンピオンズパーク」の演出も祝祭感を盛り上げた。
遠慮なく自国の応援を
 エスタンゲ会長は開会式のあいさつでも五輪のあるべき姿を示唆した。一つは「五輪によって全ての問題が解決するわけではない。世界の差別も紛争もなくならない」と断言し、期間中の「美しい姿」に理想像を求めたことだ。「戦争も止められない五輪に存在価値はない」といった短絡的な五輪不要論を排するものと聞こえた。
 異例だったのは仏選手団を名指しし「メダルを取れば国民全体が誇りに思う。表彰台で泣いたら国民全員が喜びで涙する。勝利ごとに国民はまとまる」と呼びかけたことだ。立場はどうあれ、自国の応援に遠慮はいらないのだと印象付けた。
 五輪憲章には「五輪は選手間の競争であり、国家間の競争ではない」の一文がある。これをもって国の存在を忌避し、表彰式から国旗掲揚を排すべきだとの意見もある。だが憲章は、選手の国に対する思いを否定するものではない。国旗の掲揚は勝者をたたえるとともに、他国への敬意の表れでもある。
 侵略国やドーピングなどの不正に関わる国家は、その栄誉にあずかれない。これが明確に示された大会でもあった。
大会の成否を分ける大きな要素に開催国の活躍がある。仏は男子バレーボールを制し、男女のバスケットや男子サッカーも決勝を戦った。パリの観衆は自国を熱狂的に応援し、対戦国にも声援を惜しまなかった。
 日本選手団は、その仏の16個を上回る20個の金メダルを獲得した。メダルを量産したお家芸レスリングや男子体操、競技発祥の仏で躍動したフェンシングの男女や、新たなお家芸ともいえるスケートボードやスポーツクライミング、ブレイキンの活躍にも心が躍った。
 殊勲の個人名を一人挙げるなら、陸上競技女子やり投げで金メダルの北口榛花だろう。メイン競技場のセンターポールに日の丸を揚げた彼女はスタンドを見渡し「こんなに多くの人と興奮や緊張を共感できた喜び」を口にした。無観客の東京大会に続いて柔道男子66キロ級で連覇の阿部一二三も会場の声援に「これが本当の五輪」と話した。感動は歓声が増幅させる。
キャプチャ
 期待した団体球技はメダルに届かなかったが、男子バスケットボールは銀メダルの仏を残り10秒で4点リードの窮地に追い込み、男子バレーボールは4強のイタリアから何度もマッチポイントを得た。女子サッカーは金の米国と延長の死闘を演じ、銀のブラジルには1次リーグで逆転勝利を挙げた。個々の内容は悲観するものではない。
 歓喜、感謝、後悔、忘我などさまざまな涙も見た。強く記憶に残るのは、柔道女子52キロ級の阿部詩だ。五輪連覇を目指す詩は2回戦で一本負けの不覚を取り、会場に響き渡る大号泣はなかなかやまなかった。柔道好きのパリの観衆は「ウタ」コールの大合唱で彼女の再起を促し、彼女は混合団体戦の豪快な背負い投げで、これに応えた。
表彰の光景が胸を打つ
 勝者の涙についても触れておきたい。ゴルフ男子は現在の世界ランク1位、スコッティ・シェフラー(米国)が制した。終始笑顔だったシェフラーは表彰台の中央で星条旗を仰ぎ、国歌を聴いて涙をあふれさせた。

選手の名言で振り返るパリ五輪(2024年8月13日『産経新聞』-「産経抄」)
 
 パリ五輪が閉幕した。数々の名シーンが思い浮かぶが、コラムでは再現が難しい。そこで選手の発した言葉を再録して、名残を惜しみたい。
▼最初に登場願うのは、女子やり投げで65メートル80をマークして優勝した北口榛花選手(26)である。「心残りがあるとすれば名言が残せなかった」。記者会見で意外な発言が飛び出した。英語やチェコ語でも取材に対応する事情もあった。ただ「夢では70メートル投げていた」というのは十分名言に値する。
▼「幸せすぎて、涙が出ちゃう」。体操の橋本大輝選手(23)は得意の鉄棒で団体金に大きく貢献した。とはいえ東京五輪に続く個人総合の連覇を逃した。岡慎之助選手(20)という新しいスターの誕生に立ち会った先輩の言葉として聞けば、なおさら味わい深い。
▼極め付きの名言といえばこれに尽きる。「神様は2回も助けてくれない」。レスリング女子62キロ級の金メダリスト、元木咲良選手(22)は準決勝で大きくリードを許していた。大逆転を引き寄せた投げ技は練習したこともなかった、と知れば納得がいく。
▼ただ神様は味方とは限らない。卓球女子の早田ひな選手(24)は左手のケガという「神様の意地悪」に苦しみながらも、銅メダルを勝ち取った。さらに団体戦の準決勝に勝利してメダル獲得が決まると、「4人で写真を撮りたい」と出番のない木原美悠選手(20)を気遣った。東京五輪で補欠を経験した選手ならではである。
▼メダル獲得表に改めて目を通す。ロシアとの戦闘が続くウクライナは金3、銀5、銅4のメダルを獲得した。「勝利を祖国に捧(ささ)げる」。選手は五輪で国家を背負うべきではない、としたり顔で論じる識者の耳に、ウクライナのメダリストの言葉はどのように響くのか。

パリ五輪閉幕 アスリートの「心」守れ(2024年8月13日『東京新聞』-「社説」)
 
 パリ五輪が閉幕した。最高峰の熱戦や華やかなドラマの陰で、浮かび上がったのがアスリートの心のケアの問題だ。大会中は交流サイト(SNS)での誹謗(ひぼう)中傷が相次ぎ、傷つけられた選手も少なくなかった。注目が集まる五輪期間中だけではなく、選手を守る取り組みを充実させていくべきだ。
 陸上競歩の柳井綾音選手は大会中、SNSで「身勝手」などと非難された。混合団体に専念するため個人種目の出場を辞退したためだ。試合後に号泣した柔道の阿部詩選手にも非難が殺到。バレーボールではミスをした選手への攻撃的な言葉がネットで飛び交った。
 問題は大会中のSNSだけではない。レスリングの高谷大地選手は大会前、自身を追い込み過ぎて「うつ症状だった」と告白。喫煙、飲酒で代表を辞退した女子体操選手も、背景には過度のプレッシャーがあったという。
 日本で選手の精神面への関心が高まった契機は、テニスの大坂なおみ選手が2021年にうつ病症状を告白したことだ。東京五輪でも、体操界のスター、シモーン・バイルス選手(米国)が心の健康問題を理由に途中棄権し、世界的な注目が集まった。
 勝負の重圧と対峙(たいじ)するアスリートは肉体だけでなく「心も強い」と思われがちだ。だが、国際オリンピック委員会IOC)の資料などによれば、エリート競技者の3割以上が「不安やうつ」の症状を経験しているという。しかも、「弱音を吐く」ことへの抵抗が強い傾向があるとされる。
 まず、充実すべきは選手の苦しみを理解し、受け止める態勢だろう。パリ五輪では、IOCが選手村に初めてメンタル面をケアするスペースを設置。悩みを聞くスタッフが常駐したというが、こうした「人対人」のサポートを拡充していくのも一つの方向だ。
 冷静な批評とは違い、感情に任せてアスリートを誹謗中傷する行為自体、非難されるべきなのは当然だが、匿名に隠れたネットの世界では、言葉が過激化しやすいのも特性とされる。ファンとつながる大事なツールだとしても、時には選手自身がSNSなどと距離を置くことを考えてもいいだろう。
 体操のバイルス選手は東京五輪後、定期的セラピーなどで回復。パリ五輪では金3個を含む4個のメダルに輝いた。そうした事例も、ケアの参考になるのではないか。

「ふうせん持った子がそばにいて、/私が持ってるようでした」…(2024年8月13日『東京新聞』-「筆洗」)
 
 「ふうせん持った子がそばにいて、/私が持ってるようでした」。パリ五輪の閉幕に、金子みすゞの「ふうせん」を思い出した
▼お祭りの日の光景だろうか。「ふうせん」を持っている子を見れば、自分までも「ふうせん」を持っているような気がして、そのうれしさが伝わってくるというのだろう
▼五輪の選手たちが手にしているそれぞれの「ふうせん」を空想する。ふくらませているのは競技への熱や努力か。家族や幼き日の記憶、夢も詰まっているはずだ。選手それぞれの「ふうせん」を見て、こちらの心も高鳴る。同じ「ふうせん」を持っている気になり、声を上げる。がんばれ。負けるなと
▼世界中から集まったつわものたちが政治もむごい現実も無関係にただ、目の前の試合に集中し競い合う。そして笑い、泣く。異論もあろうが、やはり五輪は続いてほしい。どこの国の人間も同じ「ふうせん」を持つ同じ人間であることをこれほど教えてくれる祭りはあるまい
▼「ぴい、とどこぞで笛が鳴る、/まつりのあとの裏どおり」。幸運にも「ふうせん」の中にメダルを入れて帰る人もいる。君のには入ってない? 気にすることはない。メダルの代わりに入っている後悔や反省もまた「ふうせん」を大きくする
▼「ふうせん持った子が行っちゃって、/すこしさびしくなりました」-。次はパラリンピック。28日開幕である。

パリ五輪閉幕 「平和の祭典」実現次こそ(2024年8月13日『新潟日報』-「社説」)
 
 五輪は世界の一体感を醸成する重要な大会だと実感させる17日間だった。メダルに届かなくても各国の選手が積み重ねてきた努力をたたえ、拍手を送りたい。
 
 一方、「平和の祭典」の開催中も戦火はやまず、多くの人が犠牲になった。国際社会の分断が深まる中で、競技を通じた友好や平和を希求する五輪精神が、世界の人々をつないでいくことを願う。
 パリ五輪が11日夜(日本時間12日未明)、閉幕した。
 3年前の東京大会は新型コロナウイルス禍で原則、無観客開催だったのに対し、パリ大会の会場は連日盛況だった。五輪本来の姿を取り戻したといえる。
 開幕直前には高速列車TGV路線網が放火され、テロの発生が懸念されただけに、混乱なく終えたことは安堵(あんど)する。
 日本勢は最終日までメダルラッシュが続き、国内を沸かせた。獲得したメダル総数は金20個を含め45個となり、海外開催の五輪で最多を更新したことは喜ばしい。
 女子やり投げの北口榛花(はるか)選手は、マラソン以外の陸上競技では、日本女子初の金メダルだ。レスリング女子76キロ級の鏡優翔(ゆうか)選手は、女子最重量級での日本勢初制覇を果たした。
 お家芸レスリングは、1大会最多8個の金メダルを取った。飛び込みや近代五種などでも、日本勢初のメダルを獲得した。
 本県勢では、フェンシング男子エペ団体で、古俣聖(あきら)選手(新潟市西区出身)が銀メダルに輝いた。
 3回目になるパリ大会は、「広く開かれた大会に」をスローガンに、新時代の五輪を目指した。男女同数の出場枠や市民参加型の企画を実施した。
 市民が競技コースを走るマラソン大会を開催し、127の国・地域の4万人が参加したほか、メダリストが一般客と触れ合って祝福を受ける「チャンピオンズ・パーク」を設けた。
 国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が「フランスは驚くべき舞台を用意した。新たな時代の大会となった」と評価した。次世代に続く五輪像を示したのではないだろうか。
 課題も残った。交流サイト(SNS)などに、ミスをしたり敗れたりした選手への誹謗(ひぼう)中傷があふれたことは、看過できない。
 IOCは選手を保護するため人工知能(AI)を活用してSNSの監視を強化したが、全てに目を光らせることは難しく、対策は道半ばだった。
 日本選手団が「行き過ぎた内容に対しては、警察への通報や法的措置も検討する」との声明を発表する事態に至ったことは、残念でならない。
 ロシアのウクライナ侵攻や中東パレスチナ自治区ガザでの戦闘が続く中での開催だった。
 ロシアやベラルーシの選手の中立を条件にした個人資格参加や、難民選手団の参加は分断が進む国際情勢を反映した。
 4年後のロサンゼルス大会は、世界が平和を取り戻し、各国・地域が等しく参加できる大会になるよう、国際社会は紛争をなくすために力を注ぐべきだ。

パリ五輪閉幕 大きな足跡残した岡山勢(2024年8月13日『山陽新聞』-「社説」)
 
 パリ五輪が閉幕した。「広く開かれた大会に」のスローガンの下、五輪本来の祝祭感にあふれた祭典となった。岡山県勢も堂々と戦い、大きな足跡を残した。
 米国、中国に次ぐ世界3位の金メダル20個を獲得した日本選手団の中でも、とりわけ誇らしいのが体操男子の岡慎之助選手=岡山市出身=だ。団体総合、個人総合、種目別鉄棒で優勝し、体操の日本勢で52年ぶりとなる1大会3冠を達成した。
 岡山県勢で、五輪の個人種目で金を取ったのはロサンゼルス五輪の体操種目別鉄棒での森末慎二選手=岡山市出身=以来、40年ぶり。さらに、1大会で複数の金を獲得したのは全競技を通じて初である。平行棒では銅をつかんでおり、過去をさかのぼっても突出した成績で見事と言うほかない。まだ20歳。「体操王国・岡山」を支え、「体操ニッポン」をけん引する大黒柱として今後の活躍に期待が膨らむ。
 県勢は体操以外でも見せ場をつくった。8位以内の入賞でみると、アーチェリーの中西絢哉選手=岡山市出身=が混合団体で5位、男子団体で8位に入った。自転車は長迫吉拓選手=笠岡市出身=が1走、太田海也選手=岡山市出身=が2走を務めたチームスプリントが5位。太田選手は個人種目のスプリントで7位だった。
 入賞に届かなくても、それぞれの奮闘ぶりに地元は沸いた。健闘をたたえたい。
 日本選手団はメダルを量産したレスリング、フェンシングが大躍進を見せた。都市型スポーツで五輪新採用のブレイキン女子も金に輝いた。スケートボードは男女ストリートを制した。片や柔道は3年前の東京五輪に比べて振るわず、競泳は銀1個に終わった。立て直しが急がれよう。
 今大会は際どい判定に注目が集まる場面が多かった。自転車の太田選手はケイリン準決勝で、内側に寄せた動きが他の選手の落車を誘発したと判断され、2度目の警告を受けて失格となった。しかし接触はなく、不可解とも思えるジャッジだった。
 東京五輪で問題視された誹謗(ひぼう)中傷は、やむことはなかった。プレーに対して意見を述べることと、人格を否定するような言葉の暴力は別であり、言語道断だ。
 国際オリンピック委員会人工知能(AI)を活用してSNS(交流サイト)の監視を強化。ただ、インターネット空間の膨大なやりとりにくまなく目を光らせるのは難しく、対策は不十分と言わざるを得ない。過剰な攻撃への対応や選手の心のケアについて有効な手だてが求められる。
 セーヌ川での開会式や、メダリストが観客と触れ合って祝福を受ける新企画などは好評だった。パリ中心部を「五輪公園」に変身させ、選手と市民をつなげることにこだわった大会運営は、新たな五輪の形を示したと言えよう。

パリ五輪閉幕 「持続可能」へ宿題残した(2024年8月13日『中国新聞』-「社説」)
 
 パリ五輪が閉幕した。期間中にテロ事件などはなく、無事に余韻を味わえるのは何よりだ。3年前に新型コロナウイルス禍で無観客だった東京五輪から一転、選手の活躍を観客が歓声と拍手でたたえて盛り上がりを取り戻した。
 観光名所を生かす競技会場やメダリストが祝福を受ける催しなど、「広く開かれた大会」の演出が効き、史上最多の約950万人が集った。映像を通した観戦を含め、選手と共にスポーツの喜びを再確認したといえよう。
 日本選手は金メダル20個を含む計45個を獲得し、ともに海外開催の五輪で最多を更新した。技で圧倒したレスリングをはじめ選手の努力には頭が下がる。欧州勢が強かったフェンシングや陸上女子やり投げの躍進は目を見張った。望む結果を出せなかった選手にも同時に拍手を送りたい。
 目を引いたのは新たなスポーツ文化だ。スケートボードは競争相手にも全力で声援を送り、勝敗を決した直後に笑顔で互いをたたえる。スポーツクライミングは選手同士でルートの攻略方法を相談し、高め合う。日本女子選手が初代金メダルを獲得したブレイキンも新風を吹き込んだ。
 国対抗のメダル至上主義とは異なる価値観も広がった。戦争や迫害から逃れるため祖国を離れた選手たちでつくる難民選手団が初めてメダルを得たのは象徴的である。
 多様性を強く打ち出し、慣例を破る試みが見られた。出場枠の男女同数を初めて実現し、女子マラソンを男子の翌日の大会最終日に据えた。
 一方、ボクシング女子で金メダルを取った選手の性別を巡って騒動が起き、現行の男女の競技区分では対処が難しいことも浮き彫りとなった。開会式では、性的少数者らがパフォーマンスをする演出が保守派の批判を浴びた。理念と現実との溝は深く、平等の実現は道半ばと言える。
 五輪そのものが果たして持続可能なのか。改めて突きつけられた大会でもあった。
 何より戦時下の開催となったのは痛恨である。国連が呼びかけた五輪休戦どころかウクライナの戦争や、イスラエルによるパレスチナガザ地区への攻撃は苛烈さを増す。ロシアとベラルーシから「中立選手」としての参加者はわずかで、事実上、排除したことで「平和の祭典」の理念に逆行したのは否めない。
 さらに国際的な交流サイト(SNS)の課題が持ち込まれたのは看過できない。選手への誹謗(ひぼう)中傷は明らかに度を越し、五輪を題材にした偽動画も氾濫した。
 肥大化し、金がかかる五輪を払拭するため、大半の会場は既存か仮設の施設とした。街全体を使った運営は無駄な経費を抑えたが、水質の悪いセーヌ川トライアスロンなどを実施し、粗も目立った。主役である選手の競技環境を損なっては本末転倒だろう。
 行き過ぎた商業主義や気候変動への対応、招致活動や組織委の疑惑など、パリが残した宿題は山積みだ。4年後にロサンゼルス五輪を迎える。原点に立ち返り、大会のありようを問い続けたい。

五輪と平和(2024年8月13日『中国新聞』-「天風録」)
 
 日本のメダルラッシュで寝不足になったパリ五輪で、記憶に残る言葉の一つが「バロン(男爵)西以来」。馬術で92年ぶりのメダルに輝いた朗報で西竹一を知った人もいよう。大戦末期の硫黄島で戦死した金メダリストだ
▲陸軍軍人で広島の幼年学校で馬術に目覚める。1932年ロサンゼルス五輪で優勝。父が外交官で、爵位を持つため米国で親しまれた。その国が相手の激戦では一緒に栄冠をつかんだ愛馬のたてがみを身に着けて散る
西をはじめ日本の「戦没オリンピアン」の生涯を、いま福山市人権平和資料館の企画展で学べる。元五輪選手の曽根幹子さんの調査に基づく展示に、決して過去の話ではないと痛感する
▲戦禍の中を走り抜けたパリ五輪。フェンシングや陸上で金メダルのウクライナ代表が「母国で多くのアスリートが死んでいる」と口々に訴えたのも目を引いた。祝祭色が強まる一方で平和の祭典の役割は果たせたのか
▲「五輪が平和をつくり出すことはできないが、平和の文化を生み出せる」とはバッハ会長の閉会式の言葉だ。戦争の現実から微妙に目をそらせたようにも思える。次の舞台は西と愛馬が輝いたロス。世界はその時どうなっていよう。

一つのチーム(2024年8月13日『高知新聞』-「小社会」)
 
 今春亡くなった大相撲元横綱曙太郎さんがこんな言葉を残している。「力士は孤独でありながら孤独じゃない。多くの人に支えられているからこそ、その勝ち星や地位がある」
 プロの土俵でさえそうなのだから、アマチュアのマット上の勝負はなおさらだろう。パリ五輪レスリング。郷土出身の清岡幸大郎選手が、桜井つぐみ選手に続いて金メダルを獲得した。鮮やかな勝利はもちろん、高知から駆け付けた応援団との歓喜の抱擁に目頭が熱くなった。
 清岡選手はまず、母えりかさんにメダルをかけた。小さい頃からの恩師で、桜井選手の父でもある優史さんには桜井選手と2人でそれぞれのメダルをかけた。まるで映画を見るような場面。マットでは1人でも、皆一つのチームだと伝わった瞬間だった。
 「チーム高知」―。両選手の姿にテレビ中継の解説者が紹介していた。会場で優史さんが身に着けていたTシャツにも英語でそう記されていた。なんだか地方の矜持(きょうじ)にも希望にも思える響きだった。
 むろん高知だけの力ではない。四国勢の切磋琢磨(せっさたくま)や2人が進学した大学の指導陣がいなければ成し遂げられなかった。それでも核となるチーム高知の力があったからこそ、その上に一層強固なチームが編成できたのだろう。
 五輪を制した2人とチームはさらなる偉業を目指すことになる。4年後の五輪連覇。マットの上と外の新たなドラマが待ち遠しい。