講演する被団協代表委員の田中熙巳さん=2023年9月、さいたま市
長崎市が平和祈念式典にイスラエルを招かなかったことについて、長崎で被爆した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の田中熙巳さん(92)=新座市=は「長崎市長は個人の考えではなく、『ガザで残虐な行為をしているイスラエルに来てもらいたくない』という市民や被爆者の気持ちを受けて、イスラエルを招待しなかった。それに対して怒ったり、いちゃもんをつけるのがおかしい」と指摘する。さらに「G7(先進7カ国)の大使が皆参加しないというのも不自然。説得できなかった日本政府にも責任があるのではないか」と話した。
広島で被爆した県原爆被害者協議会(しらさぎ会)の高橋溥さん(84)=川口市=は「非核は人類全体の問題。差をつけず、地球全体のことを考えて皆を集めるべきではないか。今起きている目の前のことだけではなくて、世界の人が集まって皆で取り組んでほしい」との考えを示した。
「原爆の図」を常設展示する丸木美術館(東松山市)の学芸員、岡村幸宣さん(50)は「戦後、誰が主導権を握り、世界を形成してきたのかをあらわにした出来事」と国際社会の“現実”が浮き彫りになったと指摘する。
「(イスラエルとつながりのある)米国などの国々(の大使)が、一斉に欠席するという非常に政治的な反応。力を持つ側が圧力をかける、ある意味のパワーハラスメントだ。ロシアは駄目だが、イスラエルは参加できる五輪のように、立場の強い国を中心に世界が回っている仕組みに、私たちは知らないうちに巻き込まれている」と述べた。
イスラエルを招待しなかったことに賛否の意見があるが、岡村さんは「長崎市もリアクションが起こることを予想していたと思う。けれどもあえて空気を読まなかった。結果的に世界の不均衡への異議申し立てというメッセージを示しており、その決断を尊重したい」と話した。
絶対ダメ…川で抱き合う母と娘、遺体だった もはや怖くない15歳女子、感情奪う戦争 無数の小さな手の意味(2023年3月25日『』埼玉新聞)
広島の被爆者の講演内容を発表する粕谷陽来さん
78年前の東京大空襲を体験した名倉幸子さん(93)=埼玉県さいたま市=が、市立与野本町小学校(児童数537人、森裕子校長)で、6年生を対象に講演した。無数の焼夷(しょうい)弾により火の海と化した街、土手に並んだ人形のような遺体。名倉さんは当時の心境を語り、「戦争の恐ろしさは、人間の感情や思考力を奪うこと。戦争は絶対に起こしてはいけない」と平和の大切さを子どもたちに訴えた。
太平洋戦争末期の1945年3月10日未明、米軍のB29爆撃機の大編隊が来襲した。東京の下町を中心に約38万発の焼夷弾が投下され、推定10万人が死亡したとされる。名倉さんは当時15歳。午前0時15分に空襲警報が鳴り響き、すぐに飛び起きた。夜空を見上げると、「いつもはトンボぐらいにしか見えない敵機が、オオワシが羽を広げたように見えた」と振り返る。
関東大震災を経験した母親は、掛け布団を防火水槽に入れて水に浸し、名倉さんの頭からかぶせた。ものすごく重く、「布団を捨てて逃げよう」と母親に訴えたが、「火が付いたらどうするの」と厳しい声で言われ、飛んで来る火の粉をよけながら逃げた。
近くの小学校に避難して、母親と一緒に自宅の方向を見ると、一面は火の海で、ぼんぼんと燃えていた。自宅にお雛(ひな)さまや習っていた琴を飾っていたことから、「大切にしていたものが全部焼けた」と思ったという。
空襲後、兄と一緒に墨田川の土手に行くと、お人形さんが見えた。川から引き揚げられ、並べられた遺体だった。顔のよく似た母親と娘が抱き合っている姿が記憶に深く刻まれている。小さな手をあちこちで目撃した。子どもの手ではなく、焼けて小さくなった手だった。「怖い、かわいそうという感情が湧いてこなかった。戦争によって、感情や思考力を奪われていた」
名倉さんはロシアによるウクライナ侵攻に触れ、「心が痛みます。普通に暮らすこと、平和がどれほど大切か。平和が続いてほしいと思う。戦争を絶対にしてはいけないと伝えてほしい」と呼びかけた。
■児童の要望で講演実現
名倉さんの講演が実現したのは、同校6年の粕谷陽来(ひらる)さん(12)の要望がきっかけだった。粕谷さんはロシアのウクライナ侵攻のニュースを見て、戦争のことをもっと知ろうと、「直接体験した人から学びたい」と考えた。冬休み中に東京都内の高校を訪れ、広島の女性被爆者の講演を聴いた。
講演の内容をまとめて、担任の先生に見せた。「聞いたこと、感じたこと、学んだことをみんなに伝えたい。僕たちが卒業しても戦争を体験した人から話を聞いてほしい」と学校側に要望した。森校長が知人の名倉さんに連絡して、今回の講演が開催された。