「コロンブス=侵略者」世界基準知らず…「不勉強」が生む過ちとは Mrs. GREEN APPLE炎上で考える(2024年6月19日『東京新聞』)

 人気バンド「Mrs. GREEN APPLE(ミセス・グリーン・アップル)」のミュージックビデオ(MV)が炎上した。近年は侵略者としても語られるコロンブスを扱い、類人猿に人力車を引かせる様子が奴隷制を想起させると批判を浴びた。浮かぶのは教養の欠落だが、1バンドの問題で済ませていいのか。何度も繰り返されてきたのが、この種の話だ。知っておくべき教養の欠落を生む背景は何なのか。改めて探った。(山田雄之、西田直晃)
◆「関わった人に世界史を学んだ人はいなかったのか?」
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公開停止になった「コロンブス」MVの一場面=YouTubeから
 「関わった人に世界史を学んだ人はいなかったのか?」。英BBC放送(電子版)は14日、今回の騒動を報じる際、ネット上のそんな反応を紹介した。
 騒動の渦中にある「ミセス」は2013年に結成。15年にメジャーデビューした。20年7月に活動休止したが、現在の3人体制で22年3月に活動再開。ヒット曲「ケセラセラ」は昨年の日本レコード大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも出場した。
 音楽評論家のスージー鈴木さんは「若い世代だけでなく中年層にも人気。複雑なメロディー構成に、日本人好みのハイトーンボイスが相まって満足度が高い楽曲を作り続けている。J-POPの最先端を走っているバンドの一つだ」と評価する。
◆2000年代以降でコロンブスの評価が変わった
 新曲「コロンブス」のMVは12日に公開された。ボーカルの大森元貴さんらメンバー3人がコロンブスやナポレオン、ベートーベンとみられる面々に扮(ふん)し、類人猿と遭遇。類人猿に人力車を引かせたり、乗馬や楽器の演奏方法を教えたりする場面も登場した。
 このMVは公開早々に批判が湧き上がり、歴史の研究者も厳しく評した。
 世界史の教科書作りに長年携わってきた一橋大の貴堂嘉之教授(米国史)は、コロンブスの評価について「2000年代以降は新大陸にたどり着いた航海者ではなく、植民地支配のきっかけになった人物としての位置付けが強まっている」と述べ「ダーウィンが『進化論』を唱えて以降、猿は『野蛮』や『劣等』なものとして描かれることが定型化している」と解説する。
◆人種差別的表現は明らか…「植民地支配を容認」
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日本レコード大賞を受賞し、笑顔を見せるMrs. GREEN APPLE=2023年12月30日、新国立劇場
 その上で「MVはコロンブスら西洋人が文明を教える側、類人猿が教えられる側として描いた。明らかな人種差別的表現で、植民地支配を容認するように受け止められる。世界基準で判断すれば教養不足と評価されても仕方ない」と語る。
 所属レコード会社のユニバーサルミュージックは13日、「歴史や文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていた」として公開を止めた。大森さんも「悲惨な歴史を肯定するものにしたいという意図はありませんでした」「不快な思いをされた方に深くおわびを申し上げます」とコメントを発表。「類人猿が登場するのは、年代の異なる生命がホームパーティーするイメージだった」と釈明した。
 ただ「教養不足」は「ミセス」だけか。公開までに携わった面々はどうか。
◆「細かな確認が不足」世界を狙うアーティストなのに
 ユニバーサルミュージックの担当者は「具体的な制作過程は申し上げられないが、今回も公開前に社内でMVをチェックする機会はあった。細かな確認が不足していた」と述べた。キャンペーンソングとしてタイアップしたコカ・コーラにもメールで取材を申し込んだが、18日午後8時までに回答を得られなかった。
 ジャーナリストの津田大介さんは一連の過程に疑問を呈し「海外展開を狙っているアーティストにもかかわらず、スタッフたちは世界基準を把握できていなかった。日本の教養の現在地を示している」と断じる。
◆曲名を聞いた時点で「注意深く扱う必要がある」
 津田さんは初期段階の対応も問題視する。
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タレントが各国の民族衣装を着てPRした全日空の駅広告=2014年、東京都港区の東京モノレール浜松町駅
 「コロンブスが曲名になっていると聞いた時点でスタッフは注意深く扱う必要があった。しかし法令違反の有無のチェックにとどまり、人権や倫理、社会の変化への意識が欠けていたのではないか」
 誰かを不快にさせないための教養は、一般常識として知っておきたいものだ。とはいえ今回以外でも「教養の欠落」「不勉強」に起因した問題は少なくない。
◆「欅坂46ナチス軍服に酷似した衣装が問題化
 2014年には、全日空ANA)のテレビCMが物議を醸し、金髪のかつらと作り物の鼻による扮装(ふんそう)が「白人への人種差別だ」と批判された。16年のハロウィーンの催しでは、女性アイドルグループ「欅坂46」のナチスの軍服に酷似した衣装が問題化した。
 21年には、東京五輪の開閉会式の侮辱的な演出案が物議を醸した。出演予定だった女性タレントに「オリンピッグ」というキャラクターを提案し、責任者のディレクターが辞任に追い込まれた。この年の日本テレビの情報番組では、出演者が披露した謎かけにアイヌ民族を差別する言い回しが含まれ、社長が北海道アイヌ協会に謝罪した。
 なぜ、こうした過ちが繰り返されるのか。
◆「日本人に希薄な考え方」とは
 「日本人には、ある意味で教養とも言える『人権は誰しも保障されるべきもの』という考え方が希薄だ。その意識の低さが根底にある」。北海道大の光本滋教授(教育学)はそう話す。
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欅坂46の衣装がナチスの制服に酷似していると伝える海外メディアのサイト
 他者の人権への感覚が鈍ければ、本人に自覚がないまま差別したり、侮辱したりするようになる。「例えば日本の学校の校則は、学生の権利を守るためというより、制約するために設けられている。教育機関や社会のあり方が人権への無関心につながっている」
 東京造形大の前田朗名誉教授(人権論)は「学校教育で詰め込まれた断片的な知識しかなければ、悪意はなくても差別的な思考がはびこる。誰もが知っておく必要がある見識が抜け落ちている」と懸念する。
◆「コロンブス=英雄」日本人は思い込む
 今回であれば、侵略者としての「コロンブス」、蔑視の象徴としての「猿」という知識だが、「すっぽり欠けてしまっているから、日本人の多くは思い込みで都合の良い物語を作ってしまう」と危ぶむ。
 「例えば、日本人にとっての奴隷解放とは、米国のリンカーン大統領の物語になりがちだ。実際には抑圧された人々が立ち上がり、その経緯はカリブ諸国の教科書には載っているのに。日本人は、『奴隷=貧困』というイメージは持つが、その地位になぜ置かれ、どのように抵抗したかという視点は全く乏しい」とも。コロンブスを単純に「新大陸到達の英雄」と捉える構図との類似性を指摘する。
 さらに前田さんは「他国に比べ、歴史を直視する施設やモニュメントが少ない。一部の市民の努力で残された碑などはあるが、各地の朝鮮人追悼碑にしたって、為政者が意義を軽んじたり、ごまかしたりしている。国内の問題にすら鈍感であれば、海外の問題への意識は余計になおざりになる」と警告する。
◆音楽界は「過度な商業化」?
 今回の騒動を巡り、音楽界の「過度な商業化」を批判する声も上がる。
 ジャーナリストの志葉玲さんは「格好いい、かわいい、面白いだけで突っ走る。そんな風潮は改善してほしい」と訴える。
 一方で「本来、ロックバンドは社会への問題意識、既存の権力への反抗心を抱えるはずの存在。こうした騒動が起きるのは情けない」と憤慨し、こう続けた。
 「負の歴史のようなネガティブな話題でも、関わりを避けるべきではない。アーティストは表現者として萎縮せず、対象への敬意や理解を深める努力を始める契機と捉えるべきだ」
◆デスクメモ
 MVの炎上は経済的にも打撃だっただろう。曲を売り出しにくい。タイアップの商品も。歴史や人権、文化を軽んじるとこんな事態が簡単に生じうる。経済活動を進める上で文系の学問が大切だと改めて浮かび上がったはず。「文系廃止」「稼げる大学」を唱える人々はそう学ぶべきだ。(榊)

音楽ビデオ停止 歴史を理解する契機に(2024年6月19日『東京新聞』-「社説」)
 
 人気バンド「Mrs. GREEN APPLE(ミセス・グリーン・アップル)」の新曲「コロンブス」のミュージックビデオ(MV)が植民地主義などを連想させると批判され、公開を停止した。
 「負の歴史」に肯定的評価を与えることが許されないのは当然だが、歴史自体から目を背けることになっては本末転倒だ。国際的に受け入れられている歴史認識への理解を深める契機としたい。
 MVには「新大陸到達」の冒険家、コロンブスらに扮(ふん)したメンバーらが、訪れた小島で「先住民」の類人猿に人力車を引かせたり、乗馬や音楽を教えたりする場面があり、植民地主義や人種差別を想起させると指摘された。
 コロンブスは近年、欧州による先住民征服、虐殺の象徴として語られ、米国の反人種差別運動では銅像が撤去されている。
 レコード会社などは歴史の理解に欠ける表現があったと公開を停止し、キャンペーンソングに起用した日本コカ・コーラ社も同曲を使ったCMの放映を中止した。
 メンバーは謝罪文で、差別表現とされる懸念を持ちつつも「前向きにワクワクできる映像」を目指したと釈明したが、認識が甘かったと言わざるを得ない。
 国際理解とかけ離れた芸能表現が問題視された例は過去にもあった。2016年にも女性アイドルグループの衣装がナチスの制服に似ていると批判され、運営側が謝罪に追い込まれた。
 日本発のMVは今や世界中で視聴されている。歴史認識に対する無理解は日本のポップカルチャーの水準に疑問符を付けかねず、官民挙げての「クールジャパン戦略」にも影響が及びかねない。
 ただ、こうした事例が表現の自由を萎縮させてしまう事態も避けなければならない。歴史的な出来事を扱うことを避ける傾向が強まれば、歴史への無理解が一段と広がりかねないためだ。
 日本政府や自治体には、関東大震災時の朝鮮人、中国人虐殺など「負の歴史」に背を向ける傾向があるが、こうした姿勢は歴史の検証を促す国際潮流に逆行する。開かれた議論こそが歴史認識の違いを乗り越え、相互理解を促す。
 今回の問題も、単なる謝罪やビデオの公開停止、責任追及で終わらせてはならない。歴史を学び、人類文化の向上を図る機会として幅広く議論されるべきである。