「平和のための活動が今できているとうれしい」 被爆体験を語り継ぐ 最年少20歳の伝承者デビュー 広島 (2024年6月12日『RCC中国放送』)

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被爆者に代わって体験を語り継ぐ伝承者として現在、226人が活動しています。その中で最年少となる20歳の伝承者が初めて講話を行いました。
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増本夏海 さん。現在、大学3年生で、7日が初めての講話です。
被爆者に代わって、その体験を語り継ぐ「伝承者」として、2年の研修を経て、デビューすることになりました。
始まる1時間前に来て、会場で機材の使い方を確認…。
被爆体験伝承者 増本夏海 さん
「ここでお話するのは、練習含め初めてです。マニュアルもいただいていたんですけど、ちょっと自信がなかったので」
リハーサルも入念です。きょうは家族も付き添いに…
母 増本真澄 さん
「来てくれないの?っていう感じで。『娘のデビューの日だよ』って言われて。娘はあまり緊張してないようですけど、わたしの方がドキドキして…」
資料館地下で行われる「定時講話」は、来館者が自由に立ち寄って聴く仕組みです。
講話開始の20分前、増本さんは「定時講話」の存在を少しでも多くの人に知らせようとチラシ配りを始めました。
兵庫からきた小学生に語りかけます。
被爆体験伝承者 増本夏海 さん
「聴いてほしいなって思ったんですけれども、この後、予定がまだあるよね? 何するか、もう決まっとるんよね? じゃけえ、みんなが大きくなった後でもいいけぇ、何年後とかになってもいいけぇ、お姉さん、地下で待っています」
■初めての被爆体験伝承講話 聴いた人の反応は?
増本さんが体験を引き継いだ、被爆者の 岸田弘子 さんも会場に到着しました。
被爆体験伝承者 増本夏海 さん
「コールタールのような、油っこいドロッとした黒い雨の粒が、真っ赤なトマトに流れていました…」
小学生の頃からつらい経験を語り継いでくれる被爆者のために何か役に立ちたいと思っていたという増本さん。具体的で落ち着いた話しぶりが、聴いた人たちに好評でした。
聴講した人
「画を使いながら言葉を聞くっていう発表になっていて、すごく印象的で伝わりやすいなと」
被爆体験証言者 才木幹夫 さん(92)
「こうして実際に若い人が一生懸命みなさんにお伝えしている姿、本当に感動しております。ありがとうございました」
増本さんが体験を引き継いだ被爆者 岸田弘子 さん(84)
「満点以上。平和の実現をしようという人をたくさん生み出したいという意気込みがすごい。自らがうずうずして(じっとして)いられないっていうのが、ほとばしってくるんです」
被爆体験伝承者 増本夏海 さん
「あ、この感じでできるんだ、この感じが平和のための活動になるんだ、わたし、今、できている!っていうのが、うれしい気持ちです」
増本さんの次の講話は、8月以降の予定です。

第36回 安⽥⼥⼦⼤学・安⽥⼥⼦短期⼤学 エッセイコンクール
⾃由部⾨
優良賞「平和を叫ぶこと」
教育学部 児童教育学科 1年1組 増本夏海
私は平和を叫びたい。あなたに、私の平和の叫びを聴いてほしい。そして、⼀緒に考えてほしい、私たちには、何ができるか。
平和とは何か。
私が考える平和とは、まだない。明確に定義することはできないが、その過程には、核兵器廃絶があると考えている。きっと、あなたが考える平和の過程、あるいは最後にも、核兵器廃絶が含まれている。私もあなたも含んだ、世界中の多くの⼈が平和を望み、平和を祈っている。しかし、核兵器がなくなることはない。貧困や差別、紛争が絶えることはない。その理由の⼀つに、ほとんどの⼈が平和を望むだけで何の発⾔も⾏動も起こさないことが含まれている、と、私は考えた。
⾃分が考えていることも、⾃分が感じたことも、⾔動に⽰さなくては、誰にも伝えることができない。ましてや、核兵器を廃絶し、平和を実現するなど、何者かの⾔動なしでは何も始まらない。たとえ、すべての⼈が同じ平和を願っていてもこの事実は変わらない。ほとんどの⼈は、平和を望み、戦争や殺⼈を嫌い、弱きものに⼿を貸すべきであると思いながら、何の⾔動も起こさない。しかし、⼀般的な学⽣、社会⼈は、毎⽇が忙しくて、⾃分の⽣活に精⼀杯の⼈が多くいる。そのように多忙な現代⼈が、平和のためにできることを、私には思いつくことができなかった。それでも私は、思うだけで何もしないのは、⾔い訳のように感じて⾃分を許せなかった。そこで私は、平和を叫ぶために、平和に少しでも近づくために、被爆体験伝承者になると決めた。被爆体験伝承者とは、⾃らの被爆体験等を伝える「被爆体験証⾔者」の被爆体験や平和への思いを受け継ぎ、それを伝える⼈である。
今年の夏から、被爆体験伝承者研修⽣として、市の平和推進課の⽅々が主催する研修に参加することにした。被爆者の⽅の被爆体験を拝聴したり、情報資料室や図書館で書籍を読んだり、⻑崎の原爆資料館を訪れ広島と⽐較したり、同じ被爆体験伝承者を⽬指す⽅とお話したりして、知識を多く学んだ。しかし、学んでいく中で、私⾃⾝の⾏動が不合理であるように感じ始めた。⽇本は唯⼀の被爆国であり、広島は世界で最初に核兵器を使われた地である。
戦争はいけない。数えきれない⼈の命を、夢を、⽣活を、奪って踏みにじって、もう⼆度と同じことを繰り返してはいけない、⾮⼈道的な兵器を所持してはいけない、と頭の中で繰り返しているうちに、⾝勝⼿な事を⾔っているように感じた。⽇本も、数え切れない⼈の命を、夢を、⽣活を、奪って踏みにじった。それなのに、終戦のきっかけとなった原⼦爆弾の被害
だけをとりあげて、⾃国のしてきたことは棚に上げて、今核兵器を保持している国々を批判して、被害者ぶっているように感じられた。世界には、ホロコーストなどの悲惨な事件は、多く存在する。それらの出来事に詳しくない私が、原⼦爆弾のことを、多くの⼈に知ってほしいからと伝えようとするのは⾝勝⼿なのではないか、と、平和を叫ぶ権利について考えた。
他国に⾮⼈道的な⾏為をしてきた⽇本が、他国の被害に詳しくない私が、どうして平和を叫ぶことができるのか。
そこで私は、平和を叫ぶ前に、平和を叫ぶための正統性について⾃問した。その答えも、被爆者の⽅のお話の中で⾒つけることができた。
被爆者の⽅のほとんどが、「アメリカを憎んでいるわけではない」と、仰った。中には当時、よくも僕の家族を、よくも私の友達を、と、アメリカをひどく憎んでいた⽅もいた。しかし、戦争中はそうするしかなかった。⽇本も敵国を攻撃していたように、⼈を殺すことが正しく、称えられる⾏為であった。そのため被爆者の⽅々は、近年、原⼦爆弾について学んでいくうちに、アメリカではなく、原⼦爆弾が憎いと思うようになったそうだ。そこに私は、平和を叫ぶための権利と、意義を⾒つけた。
私は、当時の原⼦爆弾について、より多くの知識を持っていてほしいから⼤勢の⼈に話を聴いてほしいわけではない。核兵器を保持している国々を、真っ向から批判したいわけでもない。平和を叫ぶということはそういうことではない。私は、原⼦爆弾をはじめとする核兵器の悲惨さを伝え、もう⼆度と、同じことを繰り返さないでほしいだけだ。核兵器の恐ろしさを知り、恒久平和の⼤切さを、いつも覚えておいてほしいだけだ。恐ろしいのは原⼦爆弾で、憎いのは原⼦爆弾で、その原⼦爆弾を肯定することができる戦争が恐ろしい。被爆国、ほかに作らないために、また、他国を傷つける、加害国を作らないために、戦争を繰り返してはならない。このメッセージを伝えるために、私は平和を叫びたい。
私は、ニュース番組で、メディアの⽅が他県の学⽣に、「8⽉6⽇は何の⽇か知っていますか?」とインタビューし、その学⽣が「え?ハムの⽇ですか?」と、答えているのを⽬にしたことがある。更にここ数⽇で、広島東洋カープが勝利したある試合で、相⼿側のサポーターが、「ケロカス」という野次を⾶ばしたことを取り上げた記事を⾒た。「ケロカス」とは、原⼦爆弾によるケロイドの「ケロ」と、罵倒語の「カス」に由来する蔑称である。私は、これらの事実を知り、⼼底悔しく思った。同じ⽇本⼈ですら、原⼦爆弾のことをここまで軽く捉えるほど、その悲惨さは伝わっていないのか、と、悔しく思った。
私は、私の平和の叫びを聴いてくださった⽅に、思うだけでは平和にならないから、みんなも被爆体験伝承者を⽬指しましょう、などと、伝えたいわけではない。ただ、原⼦爆弾の事実を受け⽌めてほしい。そして、あなたも、多くの⼈に広めてほしい。⾝の回りの数⼈でも良い。ただし最後に必ず、多くの⼈に広めてほしい、と、あなたからも伝えてほしい。原⼦爆弾を知り、平和を望む⼈の分⺟を増やすことで、きっと、⾏動を起こそうとしてくれる⼈も増える。
最後に、平和を叫ぶことは、決して同情してもらうためにすることではない。ただ、多くの⼈に知ってもらって、平和を望む⼈が増え、平和を叫ぶ⼈が増え、その連鎖が⽌まることなく後世に続いていってほしい。それだけを願い、私は平和を世界中に叫びたい。