立憲民主党の蓮舫参院議員が6月20日告示の東京都知事選に無所属で出馬することを表明した。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「『党の顔』を都知事選に差し出した意味は大きい。選挙戦を通じて、『目指す社会像の違い』をしっかりと示してほしい」という――。
■「首都決戦」にようやくまともに取り組み始めた
立憲民主党が本気を出した。まずはそう評価できるのではないか。同党の蓮舫参院議員が5月27日、東京都知事選(6月20日告示、7月7日投開票)への出馬を表明し、3選を目指すとされる現職の小池百合子知事に挑戦する考えを示したことだ。
国会での質問力に定評のある蓮舫氏が、政権交代も視野に入ってきたこの状況で国政を離れることには、残念な思いもないわけではない。しかしそれ以上に、これまでどの野党もまともに取り組んできたとは言えない「首都決戦をガチンコ勝負に持ち込む」ことに向けて、初めてそれなりの「構え」をつくることに成功した蓮舫氏と立憲の判断を、ここは高く評価したいと思う。
野党第1党に求められているのは、選挙における「選択肢の提示」である。
国政では政権与党、地方政治では自治体の首長が進める政治の方向性に対して「別の道があるのではないか」と問いかけ、「目指す社会像」の選択肢を示す。つまり、選挙で対立候補を擁立し、その選択を有権者に委ねる。これが野党の大きな仕事であるはずだ。
■都知事選で現職が敗れた例はない
国政選挙では、与党と野党が大きく2大政治勢力を形成して政権を争う形が、曲がりなりにも確立されつつある。だが、地方自治体の首長選は必ずしもそうではない。多くの自治体の首長選では「国政と地方選挙は違う」と釈明しながら、与野党が現職に「相乗り」するのが常態化していた。立憲に限らず、歴代の野党第1党は、自治体の首長選挙では、これまで十分な役割を果たしてこなかった、と言っていい。
それでも、誰かがリスクを取って、現職への「まっとうな選択肢」を提示しなければ、選挙は現職の信任投票の様相を呈し、選挙そのものが死んでしまう。
■野党にとって都知事選は「捨て選挙」だった
もちろんこれまでも、それなりに著名で識見のある人物が何人も、現職への対抗馬として都知事選に名乗りを上げてきた。しかし、最近の都知事選を振り返れば、彼ら彼女らが現実に「現職を脅かす存在」として認知されたことは、実はほとんどなかったと思う。
なぜそうなってしまうのか。原因は「擁立の枠組み」にあったのではないか。
都知事選では過去、市民団体が主導して擁立した人物が「完全無所属」で出馬し、各政党は後景に引いて支援する、という形で支援の枠組みがつくられることが多かった。確かに「都民の幅広い支持を得る」ためには、こういう枠組みにも意味があったかもしれない。
だがこの枠組みは、結果として政党の存在を希薄にした。「選挙結果に誰が責任を持つのか」が曖昧になり、都知事選で敗北を重ねても、誰も責任を取る必要はなかった。多少厳しい言葉になるが、野党は「勝てないことが見えている」都知事選を事実上捨てて、自らの主張を訴えることのみに満足するだけの選挙戦を漫然と続けてきた、と言わざるを得ない。
■無所属だがあえて「立憲色」を出す
今回の都知事選でも、野党統一候補の擁立を目指す市民団体や野党各党の代表者が「選定委員会」を設けており、蓮舫氏の名前も早くから取り沙汰されていた。しかし、蓮舫氏が出馬表明会見の場所に選んだのは立憲の党本部。手塚仁雄・同党東京都連幹事長が司会を務めたものの、会見には基本的に蓮舫氏1人で臨んだ。
もちろん蓮舫氏は、その後選定委員会の場に駆けつけたし、出馬にあたっては立憲を離党する考えのようだ。これを「立憲隠し」と批判する向きもあるが、「無所属での出馬」は多くの首長候補が昔から当たり前に行ってきたことであり、これらの批判は難癖以外の何ものでもない。
むしろ「立憲ど真ん中」の蓮舫氏が出馬することも、出馬会見を党本部で行ったことも、どちらかと言えば「政党色を出す」方向に振れているとさえ見える。こういう形になったのは「出馬情報が事前に報じられたため」との情報もあるが、結果として良かったのではないだろうか。
■立憲が先頭に立つことで「ひ弱な野党連合」を脱する
とは言うものの、これは立憲にとってリスクでもある。現職に圧倒的に有利で、新人候補は相当厳しい戦いを強いられる都知事選。蓮舫氏が敗れれば、4月の衆院3補選に全勝し、5月26日の静岡県知事選にも勝利したここまでの勢いに水を差しかねない。
だが、蓮舫氏と立憲は、そのリスクを取った。立憲が事実上「選挙戦の先頭に立つ」姿を演出したことで、ようやく「勝ち筋」が見えてきたのだと、筆者は考える。
野党勢力が結集して事実上「1対1」の選挙戦に臨む時、従来のように外部の団体が大小の野党を平等にまとめる(いわゆる「野党共闘」と呼ばれる)形の結集は、その輪の外にいる一般の有権者からは、中核がぼやけた「ひ弱な野党連合」のようにしか見えないため、「構え」に力強さが生まれない。
「多弱連合」を脱し、立憲が野党の中核として、自らが責任を持って「勝ちに行く」姿勢を見せた上で、さらにそれぞれの中小野党や市民団体などが、ほどよい距離感を保ちつつゆるやかに「大きな構え」をつくる方が、陣営の求心力を高め、勝利につながりやすいと考える。
■結果次第では衆院選にも良い影響を与える
それに立憲は今、相次ぐ選挙の勝利で「上げ潮」状態にある。立憲が前面に出た方が「勝ちやすい」空気が生まれつつある。その意味で「立憲ど真ん中」の蓮舫氏は、まさにうってつけの候補だ。中核政党たる立憲が「構え」の中で一歩前に出た上で、立憲だけでは固め切れない野党支持層や小池氏に批判的な無党派層の支持を、他の中小野党や各種支援団体がウイングを広げて拾い上げていく、そんな形を構築すべきだろう。
こうした考え方は、中小野党や市民団体には納得がいかないかもしれない。だが、この「中核をはっきりさせる戦い」への意識を共有できるか否かが、都知事選の帰趨を左右すると思う。この戦い方で一定の成果を上げることができれば、近く行われるだろう衆院選での野党間協力にも応用が利き、個々の小選挙区にも一定程度のよい影響を与えるのではないか。
■「小池vs.蓮舫」で都民が見極めるべきこと
ここまで都知事選における野党協力の「枠組み」のあり方について書いてきたが、今回はさらに注目したいことがもう一つある。「小池vs.蓮舫」の戦いになることで、両者の政策的な対立軸が明確になり、選挙戦が「目指す社会像の選択」に近づく可能性が出てきたことだ。
小池氏は政界入りした後、かつての小沢一郎氏や小泉純一郎氏など、いわゆる新自由主義、国民に「自己責任」を求める政治をうたう有力政治家の側近として頭角を現してきた、いわゆる改革保守系の政治家だ。2017年の「希望の党騒動」で小池氏は、自らが立ち上げた新党「希望の党」に、当時の野党第1党・民進党を吸収し、さらに同党内のリベラル勢力を「排除」して、事実上その政治生命を断つことをもくろんだ。
蓮舫氏が所属する立憲民主党は、この時小池氏によって「排除」された勢力が中心になって結党した政党だ。「新自由主義的な社会を終わらせ『支え合いの社会』を目指す」ことを掲げた立憲は、結党の経緯から言っても、希望の党の政治、すなわち「小池氏の政治」に対する明確な対立軸を持っている。
つまり小池氏と蓮舫氏は、候補者として並び立つだけで「目指す社会像」の選択肢になり得る、希有な存在なのだ。
蓮舫氏は都知事選に向けた基本政策をまだ発表しておらず、小池氏に至っては出馬表明もしていない。しかし、両者が打ち出す基本政策は、単にキャッチーな「ワンフレーズもの」にとどまらず、それぞれの「目指す社会像」に沿ったものになるだろうし、そうでなければいけない。
仮に小池氏が「○○ゼロ」などといった「ワンフレーズ政策」ばかりを並べ立てたとしても、蓮舫氏は選挙戦を通じて、自らとの「目指す社会像の違い」を丁寧に見いだし、有権者に分かりやすく提示した上で選択を迫るべきだ。それが蓮舫氏出馬の意義であると思う。
「日本一の人気投票」ともやゆされてきた都知事選だが、今回「小池vs.蓮舫」の構図ができれば、筆者が国政でも望み続けてきた政治が実現するかもしれない。つまり「目指す社会像の対立軸」を明確にした上での、候補者同士のまっとうな政策論争である。
今回の都知事選が、政治がこうした方向にアップデートする大きな機会となることを、筆者は強く期待している。
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(おなか・かおり)ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)、『野党第1党 「保守2大政党」に抗した30年』(現代書館)。
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