「どうせなら俺らしく」中尾彬さんの終活 トレードマーク「ねじねじ」200本処分 「無」直筆の墓デザイン(2024年5月23日『スポーツ報知』)

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都内の墓地に中尾さんが生前に建てていた墓石
 映画やドラマ、バラエティー番組などで幅広く活躍した俳優の中尾彬(なかお・あきら=本名同じ)さんが、心不全のため16日に死去していたことを22日、所属事務所が発表した。81歳だった。
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中尾彬さん&妻の池波志乃、仲良し夫婦ショット
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 中尾さんは、10年ほど前から妻の女優・池波志乃(69)との「終活」を精力的に行っていた。
 きっかけは、夫婦が直面した大病だった。2006年、沖縄滞在中に池波がフィッシャー症候群(目や手足が動かせなくなる難病)で倒れ、翌年に中尾さんも急性肺炎で生死の境をさまよった。2人には子どもがいない。愛する伴侶が残された時のことを考えての生前整理で、終活との意識はなかったという。
 まず着手したのは遺言。派手な旅立ちは望まず、シンプルに送ってもらう旨を公正証書にしたためた。もともとは都内の一軒家に加え、沖縄のセカンドハウス、故郷の千葉にアトリエを構え、3拠点で暮らしていたが、すべて売却。2人で都内のマンションに移り住んだ。
 インテリアや家財道具一式、書店並みの種類がある蔵書も躊躇(ちゅうちょ)なく手放し、バラエティー番組では「二束三文だよ」と笑い飛ばしていた。トレードマークの「ねじねじ」も200本以上処分。18年の著書「終活夫婦」では「柄物より一色がやりやすいね」と思わぬ“ねじねじ哲学”も語っていた。思い出やキャリアも例外はなし。1万枚以上の写真を捨て、演劇作品には出ない覚悟で楽屋のれんも処分した。
 中尾さんが東京・谷中の寺院に建てた墓は、自らデザインしたもの。池波の母方の実家、池波の両親、そして中尾家をイメージした。3つの墓石が鏡餅のように折り重なって積まれている。墓の下に書かれた直筆の「無」という文字には「死んだ人は『無』なんだから」という中尾さんの考えからだという。「どうせなら俺らしく」と、こしらえた唯一無二の墓の中で中尾さんは眠ることになる。