増える老衰と「逝き方」(2024年5月17日『産経新聞』-「産経抄」)

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 『私の死亡記事』(文芸春秋)というユニークな1冊が出たのは平成12年、いまから24年前である。自身が亡くなったと仮定して、各界の著名人に生前の事績や逸聞を書いてもらう。「棺を蓋(おお)いて事定まる」をご自分の筆で、と。
▼中でも末期(まつご)についての書きぶりには、死生観がにじみ出て味わい深い。例えば名文家として知られた女優の高峰秀子さん(22年に肺がんで死去)。「死因は不明」としながらも、「強いていえば天寿でしょうね」と医師の言葉を添えている。穏やかな臨終を、という願いだろう。
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▼昨今の訃報記事を読み返すと、「老衰」で亡くなった著名人の多いことに気づかされる。写真家の篠山紀信さんは83歳、元NHKアナウンサーの鈴木健二さんは95歳、脚本家の小山内美江子さんは94歳だった。惜しまれながら旅立った方々である。
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▼国内では一昨年、約157万人が亡くなり、そのうち約18万人が老衰だった。がん、心疾患に次ぎ3番目の多さで、その数はこの20年で8倍になったと聞く。しかし、「天寿を全う」する人が増えるにつれ、周りにとっては頭の痛い課題もある。
▼単身の高齢者はさらに増えよう。どこで最期を迎えるか。誰がみとるか。財産分与は。社会も、われわれも答えの先送りはできない。『私の死亡記事』ではないが、心身の壮健なうちに余生と死後のあり方をまとめておきたい。「終活」を始めるのに早過ぎるということはない。
▼「僕本月本日を以(もっ)て目出度(めでたく)死去致(いたし)候(そうろう)…」。明治の文人斎藤緑雨は死の翌日にこんな広告を新聞に載せている。没年36。棺の蓋を自ら閉めるために、早くから準備をしていたらしい。生き方だけでなく「逝き方」もまた、人生の大切な一部なのだと改めて思う。
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斎藤 緑雨(さいとう りょくう )は、明治時代の小説家、評論家。本名・賢。「正直正太夫」をはじめ、「江東みどり」「登仙坊」など別名も多数ある。幸田露伴がつけたという戒名は「春暁院緑雨醒客」。
生年月日 1868年1月24日
死亡日 1904年4月13日
出身地 伊勢国神戸
 
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本人が書いた本人の死亡記事!
「自分が死んだ時の記事を人にまかせられるか!」本人が書いた死亡記事から見えてくる意外な素顔と死生観。人生を考えさせる傑作
担当編集者より
「失踪二十年目に香港で」桐野夏生、「葬式は無用」高峰秀子、「カラス駆除中、転落死」渡邊恒雄……。「ご自身の死亡記事を書いて下さい」という大胆無謀な企画に各界102人が応えてできた前代未聞の書。全篇にそれぞれの人柄、人生観が窺われ、時に抱腹、時に粛然とさせられる名篇ぞろい。文庫化にあたり新たに12人が執筆!