「つばさの党の選挙妨害」と「札幌のヤジ排除」の本質的な違いとは? ヤジ問題のエキスパートに聞いてみた(2024年5月21日『文春オンライン』)

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公選法違反(選挙の自由妨害)容疑で逮捕された根本良輔容疑者(左から4人目) ©時事通信社
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  記事によると、党幹部3人は補選告示日の4月16日、江東区内のJR亀戸駅ロータリーで、無所属の乙武洋匡氏と小池百合子都知事らが街頭演説中、拡声機を使って大声を張り上げたり、車のクラクションを鳴らしたりして、聴衆が候補者の演説を聴くのを困難にし、選挙の自由を妨害した疑い。
 私はその現場にいた。選挙の現場を見ることが好きだからだ。
現場で感じたこと
 街頭演説はいろいろな候補者の考えを聞けるだけでなく、チャンスがあれば候補者に話しかけて質問もできる。同じ質問をすることで候補者の考えの違いや、答え方で人柄も知れたりする。とても自由な雰囲気がいい。さらにこのときの小池都知事「文藝春秋」(5月号)で元側近から学歴詐称疑惑を報じられたばかりだった。小池氏が応援演説で聴衆の前でどう振る舞い、聴衆はどう反応するのか? ぜひ確認したかったのだ。
 しかし、つばさの党がそのすぐ横や目の前で大音量で罵倒していた。自分達も立候補しているので「演説」と主張しているのだろうが、こうした行為のために多くの陣営は街頭演説の日程を公表しなくなった。いろんな候補を見にいくことは難しくなり、つまりは民主主義の危機だと深刻に感じた。
 一方で選挙戦最終日の街頭演説に行くと警察官がたくさんいた。とても静かだったが威圧感があって私語さえはばかれる雰囲気。これも民主主義の現場とは思えなかったのだ。
気になった「動き
 これら両極端な風景を見た上で気になったのは、まず政治家や候補者側からの「法改正で規制強化を!」という動きについてだ。次に、X(旧ツイッター)では、2019年の参院選期間中に演説中の安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばした男女が北海道警に排除された事案を引き合いに出す投稿が多数みられたこと。
 投稿の内容は、
表現の自由を侵害されたとして、男女が道に損害賠償を求めたことが報道されるなどしたことで、選挙妨害を取り締まる側の警察を萎縮させてしまったといった内容だ。》(毎日新聞4月28日)
 こうした論法については「ヤジは表現行為であり、表現の自由による手厚い保障が求められる。だが、一般人のヤジと公人でもある候補者の行為を同列に扱うことは不適切」(同前)と専門家は指摘するが、同列に扱う声は今も多い。
新聞の社説では…
 新聞の社説でも見解は分かれる。対照的な社説を紹介しよう。
《街頭で声を発するヤジは、有権者の政治的な意思表示の一環だ。候補者が他の候補者の演説を封じるような妨害行為とは明らかに違い、同列に扱うべきではない。》(5月16日)
 北國新聞は、
《2019年の参院選で、当時の安倍晋三首相の街頭演説中、「安倍やめろ」「帰れ」と大声でやじを飛ばした人物を北海道警が移動させたことがある。移動させられた男女2人は北海道に賠償を求めて訴訟を起こし、あろうことか高裁で「表現の自由の侵害」が認められた。
 一部のメディアはこの民事訴訟をめぐり、「ヤジも意思表示のひとつ」などとして警察批判に終始した。つばさの党のケースと何が違うのか。》(5月16日)
 北國新聞は札幌のヤジの件と今回のつばさの党の件は同じと断定していた。
 これらの「見解」を、ヤジ問題を取材してきたエキスパートはどう思っているのか? 札幌のヤジについては北海道放送報道部の取材班が追い続け、ニュース報道からドキュメンタリー番組にいたるまで発信し続け、『ヤジと民主主義 劇場拡大版』という映画になっている。
識者に見解を聞いてみた!
 さっそく監督の山崎裕侍氏に聞いてみた。札幌でのヤジと今回のつばさの党って同じなのですか?
《大きく違います。札幌でヤジを飛ばしたのは一般市民。つばさの党は政治団体。ヤジの相手は、札幌は現職の首相、つばさの党は対立候補。ヤジの方法も、札幌は「アベやめろ」「増税反対」などを地声で十数秒叫んだだけ。訴訟にはなっていないが、無言でプラカードを掲げた女性も警察に排除された。つばさの党は拡声機を使ったり車で追い回したり、候補の自宅に押し掛けたりするなど実力行使をしている。札幌では演説が中止されることはなく、東京では他候補は演説の変更・中止を余儀なくされました。》
 札幌のヤジとつばさの党を一緒にする言説にはどんな共通点があるか。山崎監督は以下のように論調を整理できると言う。
(1)2019年に札幌で起きたヤジは選挙妨害である
(2)札幌地裁の判決で原告が勝訴したので、警察は選挙妨害の取り締まりに慎重になった
(3)警察がきちんと取り締まれるように公職選挙法を改正すべき
 そのうえで(1) について。
警察の主張は?
《札幌で起きたヤジ排除問題では、ヤジが選挙妨害として議論になったことも、警察が主張したことも、裁判で争点になったこともありません。》
 警察も「ヤジ=選挙妨害」とは主張していなかったのですね。
北海道警察が議会や裁判で主張したのは、市民がヤジを飛ばしたことで周囲とトラブルになり、それによって犯罪が起きるのを防ぐために、あるいは周囲の暴力から避難させるために行ったというもの(警察官職務執行法)。札幌地裁の判決では、警察の主張が退けられ、排除行為は表現の自由を奪い、違法だとしています。》
 次に(2)について。札幌の裁判の結果、警察は選挙妨害の取り締まりに慎重になった?
《警察は、そもそも選挙妨害を主張していないため、裁判で負けても選挙妨害の取り締まりに何の影響も及ぼさないと考えるのが普通です。(編集部注:安倍元首相の)奈良での銃撃事件の警備については、警察庁が報告書をまとめ、「適切な警護計画により本件結果を阻止することができた可能性」があると結論付けている。 奈良の事件では「やるべきことをやっていない」、札幌のヤジ排除は「やってはいけないことをやった」といえます。》
(3)について。公職選挙法は改正すべき?
《過去の判例でも、選挙の自由妨害について具体的な事例が挙げられています。「聴衆がこれを聴き取ることを不可能又は困難ならしめるような所為」(最高裁昭和23年12月24日判決)、「選挙演説に際しその演説の遂行に支障を来さない程度に多少の弥次を飛ばし質問をなす等は許容されるべきところである」(大阪高裁昭和29年11月20日)。つばさの党に対する家宅捜索や逮捕などの強制捜査は、現在の公職選挙法でも対応可能だということを証明しています。》
 さらに山崎監督は続ける。
《法改正して選挙期間中でも逮捕できるように適用範囲を具体化するのは危険です。必ず恣意的に運用される。選挙妨害を理由に市民が意見表明する機会すら奪われかねない。2019年の札幌で起きたヤジ排除とつばさの党を一緒に論じることは間違いであるだけでなく、その先に法改正につなげる意図があるなら危険ですらある。》
見え隠れする「思想」
 では札幌のヤジとつばさの党は同じと書いた北國新聞の社説については?
《事実誤認に基づいた主張です。それだけでなく、「あろうことか高裁で『表現の自由の侵害』が認められた」と書いている。この言葉の背後には、時の政権に対して一般市民がヤジなどで批判することを許さないという思想が見え隠れします。》
 これまで取材してきた山崎監督は今回あらためてどう感じましたか。
《「またか…」というのが正直な感想です。要人を狙った事件や表現の自由が問われる事態が起きるたびに引き合いに出される。しかも、自分たちの主張を補強するために事実を捻じ曲げるだけでなく、声を上げた市民を攻撃する材料に使われる。公共の場での政治への意見表明を「ヤジ」という単語でしか説明できない政治文化の貧困が根本にあるのだと思う。日本には本当に表現の自由はあるのか。本当に民主主義国家なのだろうか、と感じます。》
 いかがだろうか。論調の違いは新聞の醍醐味であり読者が考えるきっかけになる。違いはあっていい。しかし「事実誤認に基づいた主張」は参考にならない。
 まず聴衆の「声」と候補者の「妨害」をごちゃ混ぜにせず、仕分けして議論していくのが最初の一歩ではないだろうか。