「核のごみ」最終処分場の選定めぐり地方の当事者に伝わらない「敬意と感謝」 背景には「人ごとと捉える空気感」(2024年5月17日『西日本新聞』)

◆都市部含め公平議論を
 
キャプチャ
文献調査の受け入れを表明した佐賀県玄海町の脇山伸太郎町長
 
 「心から敬意と感謝を表したい」(岸田文雄首相)
 「町長の判断に敬意と感謝を申し上げたい」(斎藤健経済産業相
 「心から敬意と感謝の意を表します」(近藤駿介原子力発電環境整備機構=NUMO理事長)
 佐賀県玄海町の脇山伸太郎町長が10日、原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場選定に向けた文献調査を受け入れると表明した。3人のコメントはこれを受けたものだが、そろって「敬意と感謝」を使ったのは、偶然一致したわけではないだろう。政府が閣議決定した最終処分事業の基本方針に、このフレーズが明記されている。
 ただ、基本方針を読むと「敬意と感謝」の主語は、政府だけではない。
 「(最終処分事業の)実現に貢献する地域に対し、敬意や感謝の念を持つとともに、社会として適切に利益を還元していく必要があるとの認識が、広く国民に共有されることが重要である」
 つまり「敬意や感謝の念を持つ」主体は「国民」だ。では、基本方針通りの状態かというと、現実は違う。一連の動きが表面化して以降、ネットでは「原発を動かせと言っている連中の土地に埋めるのがいい」「近くの福岡に核汚染が来る」など、玄海町への非難の投稿が目立つ。共通するのは、最終処分場の建設を、特に都市部を中心に人ごとと捉える空気感だろう。
 忘れられがちだが、高レベル放射性廃棄物は既に青森県六ケ所村に“一時保管”されており、県外への搬出期限が約20年後に迫る。最終処分場は原発への賛否に関係なく、仮に原発をいま全停止しても、全国のどこかに必要なものだ。
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 2011年3月の東京電力福島第1原発事故当時、私は電力業界を担当していた。終わりの見えない混乱の中、地方の自治体や経済界の関係者が、政権の決定に強く反発したことがあった。
 11年5月6日夜、当時の首相が緊急会見を開き、南海トラフ地震のリスクを踏まえ、浜岡原発静岡県)の全面停止を要請した。理由は「浜岡原発で重大事故が起きた場合に日本社会全体に及ぶ甚大な影響も考慮した」。この判断を世論の多くは支持したが、原発立地自治体を含む地方が怒った。「首都圏など大都市への影響が大きいから停止する、と言っているのと同じ。地方のリスクはどうでもいいのか」。九州のある企業首脳はこう憤っていた。
 当時も、それ以前も、今も、この構図は変わっていない。約1時間に及ぶ記者会見で「苦渋の決断」「思い悩んだ」と繰り返した脇山町長の言葉も、「佐賀県はエネルギー政策に十分に貢献しています」とする山口祥義知事のたった4行の談話も、私には原発立地自治体に共通した国への憤りに映った。少なくとも「敬意と感謝」は、地方の当事者に伝わっていない。
 全国知事会は政府に対し、最終処分場について都市部を含め検討するよう要望したことがある。確かに、NUMOも最終処分場に関する対話型全国説明会を東京都や大阪市、福岡市など都市部でも開いているし、国が適地を示した「科学的特性マップ」でも福岡市を含め都市部に適地の可能性があるとする地域が多い。だが、実際に都市部も候補地とみなす国の具体的な動きは見えてこない。
 政府は基本方針で「国は政府一丸となって、かつ政府の責任で、最終処分に取り組む」とうたう。政府が批判を浴びるリスクを負い、本気で都市部も選定対象としてフェアで透明な議論を働きかけることでしか、「敬意と感謝」は「広く国民」が抱くものにならないだろう。
(佐賀総局長・川合秀紀)