崩れた家屋から救い出されたストリートピアノが、石川県輪島市門前町の総持寺通り商店街で音色を響かせている。持ち主で杉本木工々房の代表杉本豊さん(50)は輪島に移住して間もなく、能登半島地震で自宅兼店舗と工房を失った。それでもこの地に残ると決め、再び自宅前にピアノを置いた。「復興のシンボルとして、商店街に再びメロディーを響かせてほしい」と願う。(脇阪憲)
◆念願だった田舎暮らしが元日に一変
杉本さんは昨年4月、中学2年の長男和音(かずね)さん(13)と小学5年の次男悠樹君(10)と東京から移り住んだ。門前町は移住前に子どもたちが通っていた幼稚園の園長の出身地で、以前から毎夏のように遊びに来ていた。「田舎暮らしは長年の夢だった」。空き家だった木造2階建ての古民家を自宅兼店舗に改装。これとは別にまな板の削り直しなどの依頼を請け負う工房を町内で借りた。
ピアノの調律師の仕事もしている杉本さん。昨夏、「にぎわいに役立てば」と東京から持ってきたピアノを1階に設置。ストリートピアノとして、誰でも無料で自由に弾けるようにした。観光シーズンになると総持寺祖院の参拝客らが訪れ、演奏を楽しんでいた。
のどかな生活は元日に一変した。自宅1階にいた3人は地震後、抜け落ちた天井の下をはうようにして外に。その脇でピアノは天井の下敷きになっていた。
◆下敷きから2カ月…ボランティアの助けで運び出す
「もうダメだ」。諦めていたが、2月に出会いがあった。輪島を訪れていた北海道のボランティアが自宅近くを通りかかった。近所の住民が杉本さんの事情を説明すると、ピアノの運び出しを申し出てくれた。4、5人で天井を持ち上げ、2人がかりで外へ。2カ月近く下敷きになっていたが、ほぼ無事だった。
杉本さんが調律し直し、許可を得て自宅前の建物の軒下にストリートピアノとして置いた。「音楽が被災した人の癒やしになれば」。その一心だった。
◆東京へ戻る選択肢もあったが…家族ともに能登に
今は、輪島市内の仮設住宅に身を寄せる杉本さん。東京に戻る選択肢もあったが、家族全員が能登に残ることを選んだ。「門前の人は本当に人がいい。この場所で一日でも早く仕事を再開したい」。ほれこんだ地での再起を誓った。
杉本さんは18日までインターネットのクラウドファンディング(CF)で工房の再建資金を募っている。ウェブサイトは、杉本木工々房 CF。