畑に70センチの段差が…「奥能登を離れることも考えた」 絶望の縁で踏みとどまった柿生産者の決意(2024年5月10日『東京新聞』)

 農薬を極力控え、肥料を使わない果樹栽培を続けてきた能登の農家が苦境に立っている。能登半島地震の影響で、石川県能登町の農地に亀裂が入り、同県輪島市の加工場も被災した「陽菜実(ひなみ)園」の柳田尚利(たかとし)さん(51)。「能登の強みは1次産業。今後も磨いていきたい」と話し、再建に向けて歯を食いしばっている。(井上靖史)
 
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地震でできた亀裂に頭を悩ませる柳田尚利さん=石川県能登町
 
◆加工場も加工の機械もダメージを受けた
 「根がむき出しになって乾いてしまっている。今年どれだけ実を付けてくれるか不安はある」。能登町合鹿の農園で、柳田さんが表情を曇らせた。干し柿用の木200本とブルーベリーの木50本を植えた2.6ヘクタールの畑には100メートルほどにわたり、70センチほどの段差ができた。「通常なら作業車で行う手入れが遅れがちだ」と肩を落とす。
 輪島市町野町真久の加工場も壁がはがれ、干し柿を作るのに使う大型の乾燥機や皮むき機がゆがんだ。近くの自宅も「天井に穴が開いて空が見える」状態。多額の修繕費が見込まれる。
◆おいしいと言ってくれる人たちのために
 柳田さんは大阪府東大阪市出身。2012年、奥能登農業法人インターンシップ(就業体験)に応募して農業を一から学び、17年に独立した。ここで出会った妻との間に長女(10)も授かった。「自分の子どもが安心して口に入れられる柿を作りたい」。そんな思いから、有機肥料や化学肥料を使わない栽培を追い求めた。大きさでは劣っても糖度が高く、雑味が少ない柿を作ってきた自負がある。
 元日の地震発生時は奥能登にはいなかったが、2次避難を余儀なくされた。「奥能登を離れることも考えた」というが、自身が作る柿をおいしいと言ってくれる人たちに励まされ、踏みとどまることを決めた。「戻ると決めた以上、もっとおいしい物を作って能登の魅力アップにつなげたい」と力を込めた。