下町で愛されたケーキ店、オーナシェフの急死を乗り越えて 「最後の弟子」に託された名店の復活(2024年5月7日『東京新聞』) 

 「最後の弟子」として店の名と味を引き継ぎたい。
 東京都文京区根津で30年以上営業し、昨年9月にオーナーシェフの急逝により閉店した洋菓子店「パティスリー・セレネー」を今夏に再開しようと、弟子のパティシエ原田彩夏さん(29)が準備を進めている。閉店を惜しんだ地元の人たちからもエールが寄せられている。
 
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店内で慎次大さん(右)と記念撮影する原田彩夏さん=2021年11月、東京都文京区で=東京都文京区で(原田さん提供)
◆急逝…予約のケーキをすべて完成
 オーナーシェフの慎次大(しんじ・だい)さん=当時(59)=がサーフィン中の事故で亡くなったのは昨年9月25日。その2日後から4日間、店を開けた。妻の亜希子さん(53)が「けがをしても、お客さんにケーキを届けることを優先する人だった。私たちがしょげかえって何もできなかったら悲しむだろう」と考えたからだ。当時一時的に店を離れ、時折手伝っていた原田さんがフル回転し、予約のケーキはすべて完成させた。
 セレネーは、慎次さんがホテル勤務などを経て、1989年にオープン。支店を出したりせず、地元密着の店づくりにこだわった。「家族みんなの誕生日は、いつもセレネーのケーキで決まり!でした」「私の思い出にはいつもセレネーのケーキが一緒でした」。店頭のメッセージ帳には、客たちが思い出や感謝の言葉を次々と書き込んだ。4日間で延べ460人が来店。慎次さんが生前作っていた焼き菓子も完売した。
 最後の営業を終えると、閉店に向けた話が進んだ。しかし、原田さんは葛藤していた。慎次さんが人生をかけて守ってきた店を継ぐことは簡単ではない、でも…。亜希子さんらに「シェフの味を残したい」と繰り返し思いを伝え、店を再開する了承を得た。
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店舗の前で語り合う原田彩夏さん(左)と慎次さんの妻亜希子さん=東京都文京区で
◆中学2年の就学旅行で上京し職場体験
 原田さんが初めて慎次さんと会ったのは中学2年の時。愛知県豊田市から修学旅行で上京し、職場体験をさせてもらった。ケーキ職人になりたかった原田さんは、何度も読み返したケーキの本に載っていた東京の店に片っ端から電話。受け入れてくれたのが慎次さんだった。「見たことのないケーキばかりで。東京のパティスリーは本当にキラキラしていた」。慎次さんはその本にレシピを載せていたコーヒー味のケーキも作って食べさせてくれた。
 その後も折に触れて連絡していたが、原田さんは高校卒業後、慎次さんの勧めで東京の専門学校に進学。その1年後、セレネーでの修業の日々が始まった。
 下積みは厳しかった。「特に掃除。衛生には人の命もかかっていると。セレネーの厨房(ちゅうぼう)は本当にきれいで、よその店の厨房に入ってもうちが一番と思えた」
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慎次大さんの作った美しいケーキが並ぶショーケース=原田さん提供
◆地元の住民たちもエール
 加えて先輩弟子が辞めてしまった。1年目のクリスマスから3日間で300台のケーキを1人でデコレーションして箱詰めした。「シェフは本当に厳しかった。でも、その経験がなかったら、店を継ごうと思えなかった」
 慎次さんと親交があった根津の老舗串揚げ店「はん亭」の店主、高須徹さんも「一緒に頑張ってみよう」と背中を押してくれた。老朽化した設備の入れ替えや改装の費用の一部に充てようと、4月22日からクラウドファンディング(CF)で支援を募り始めた。目標は600万円と高額だったが、1週間で達成。原田さんは「地元で愛される店であり続けたい」と感謝する。
 原田さんは「停滞は後退なり、がシェフの口癖だった。お客さんに満足し続けてもらうために、常にやり方を変えていく人だった」と慎次さんをしのんだ上で、「店再開は、そんな仕事を見てきた私にしか受け取れなかったシェフからのプレゼント。そして、シェフから最後に与えられた試練だとも思っています」と決意を新たにしている。
 再開は7月半ばの予定。支援は、CFサイト「CAMPFIRE(キャンプファイヤー)」で5月末まで受け付けている。(小林由比)