「殺すぞコラ」「火をつけてやる」…こんなお客様は神様ではない カスハラから従業員を守るルール作りが進む(2024年5月7日『東京新聞』)

<カスハラを考える・前編>
 コンビニやレストラン、量販店や電話窓口など、日常生活のさまざまな場面で、客が従業員らにありえない要求を突きつけたり、暴言を浴びせたりする「カスタマーハラスメント(カスハラ)」。近年被害が増加し、東京都が全国初となる防止条例の制定に乗り出すなど、社会的に大きな問題となっている。あまりに理不尽な「お客さま」の行為から、現場で働く人を守るにはどうしたらいいのか。また、正当なクレームとハラスメントをどう区別したらいいのか。前後編2回に分けて考えていきたい。まずは、民間企業の現場を取材した。(三宅千智)
キャプチャ
悪質クレーム防止を呼びかける動画の一場面(UAゼンセン提供)
 カスタマーハラスメント customer(顧客)とharassment(嫌がらせ)を組み合わせた造語。顧客や取引先などが立場を利用して企業・従業員に過度な要求をしたり暴言を吐いたりする迷惑行為を指す。厚生労働省は2022年、企業向けの対策マニュアルを作成。東京都の小池百合子知事は2024年2月の都議会定例会の施政方針演説で、「東京ならではのルール作りが強く求められている」とし、都独自にカスハラ防止条例を制定する考えを表明した。都によると、カスハラ防止に特化した条例は全国初。罰則のない理念条例となる方向。
◆罵声を浴び、職場に出られなくなったオペレーター
 「ふざけた回答してんじゃねえぞ」「殺すぞこら」
 2022年夏、会計ソフト会社freee(品川区)のコールセンターの電話口に怒鳴り声が響いた。ソフトの利用方法について問い合わせをしたという顧客はいら立ちをあらわにし、「なめてんのかよ」などの乱暴な言葉を吐き捨てた。対応したオペレーターは精神的ショックを受けて、その後しばらく職場に出てこられなくなった。
 当時、同僚を通じて対応方法の相談を受けた同社の久保友紀恵さん(29)=現・カスタマーハラスメント対策推進リーダー=は、約40分間の録音記録を聞き直してみた。罵声を浴びながらも、どうにか客に理解を求めようと懸命に応対するオペレーターの震える声が残っていた。
キャプチャ2
freeeカスタマーハラスメント対策推進リーダーの久保友紀恵さん
 久保さんが社内の法務部に働きかけたことを機に、同社ではカスタマーハラスメント対策プロジェクトが発足。社内アンケートや過去の対応履歴の確認を通して、180件の体験談が集まった。
◆「カスハラあればサービス断る」と明記する企業も
 「家に火をつけるぞ」「明日までに徹夜でエンジニアが修正しろ」。プロジェクトメンバーに加わった久保さんが一つ一つに目を通すと、顧客の脅迫じみた言葉や過剰な要求に社員が傷付いている実態が見えた。
 顧客からの問い合わせが通常の5倍以上に増える確定申告の時期に合わせ、同社は2023年2月、カスタマーハラスメント対応方針を社外に公開した。顧客の行為がカスハラに当たると判断した場合はサービスやサポートの提供をお断りさせていただくことがある、と明言している。
 こうした取り組みに、社内からは「安心感につながる」という声が寄せられたという。久保さんは「企業側がどんなに対策をしても、顧客側に『カスハラは良くない』という認知がないと難しい。都条例によってそうした認知が広がれば」と期待する。
 企業のカスハラ対策を巡っては、大手ゲームメーカーの任天堂が22年10月、カスハラがあった場合は修理サービスを断ることがある、と規定にはっきりと記した。同社の担当者は「働く従業員も笑顔でいるためのルール作りが必要と考えた」としている。JR東日本も今月26日、カスハラは「社員の尊厳を傷つけ、安全で働きやすい職場環境の悪化を招く」とし、カスハラが行われた場合は客への対応をしないとする方針を発表した。
◆東京都が初の条例制定へ、でも「国に動いてほしい」
 連合が22年11月、直近3年間で自身か同僚がカスハラを受けた18~65歳の1000人に行った調査によると、自ら受けたことのある人で最も多かった内容は「暴言」の55%。「説教など権威的な態度」が46%、「同じクレーム内容の執拗(しつよう)な繰り返し」が32%。過去5年間でカスハラの発生件数が「増えた」と思う人は36%で、「減った」の7%を大きく上回った。増加の理由の最多は「格差、新型コロナウイルス禍など社会の閉塞(へいそく)感によるストレス」だった。
キャプチャ3
連合東京が作成した「はらはらハンドブック
 条例の制定を都に求めてきた連合東京は今年1月、カスハラをはじめ、セクハラ、パワハラなどを含むさまざまなハラスメントの定義や相談窓口を載せた冊子「はらはらハンドブック」を作った。斉藤千秋会長は「『人を傷つける言動はダメ』という意識を広げ、世の中全体からハラスメントをなくしていきたい」と力を込める。
 東京経営者協会の神尚武総務部長も「都の積極的な取り組みが先進事例となり、他の自治体に波及していく意義もある」と歓迎する。一方、国の法律と異なり、条例の効力が及ぶ範囲は原則として、その条例を制定した自治体の区域にとどまるとされる。また、パワハラやセクハラは法律で禁止されているが、カスハラは法律上の禁止規定がない。
 神さんは「広域で事業活動を行う会員企業からは、都条例だけでは限界があるという声も届いている。法律として定めるなど、国として動いてほしい」と話した。