腰を痛めて近所の整形外科に駆け込む。夕方のことで、ずいぶん…(2024年5月5日『東京新聞』-「筆洗」)

 腰を痛めて近所の整形外科に駆け込む。夕方のことで、ずいぶんと混雑している
▼小学生らしい子どもが目立つ。学校で転びでもしたか。親に連れられ、この時間に来たのだろう
▼待合室。女の子を連れたお母さんが小声で電話をしている。相手は家で待つ女の子のきょうだいのようだ。「○○ちゃんがけがをしてかわいそうだから、晩ご飯はマクドナルドでもいい?」
▼女の子の腕は折れていたらしい。「簡単に折れてしまうものですね」。お母さんが看護師さんと話している。腕の三角巾が痛々しいが、女の子の方はめったにない経験に自慢げでもある。分かる、分かる。君、夜はマックらしいよ
▼午後5時を過ぎて小学高学年の男の子がお母さんとやって来る。お母さんのスーツ姿から察するに、子どもの急に会社からあわてて家に戻り、ここに来ているのだろう。気の毒に受付時間を過ぎてしまっている。別の病院へと向かっていく
▼夕方の病院の待合室からあふれる親の心配。<うしろを振りむくと/親である/親のうしろがその親である/その親のそのまたうしろがまたその親の親である…>。詩人、山之口貘の「喪のある景色」。地球上の歴史とは子を案じる親とその親とそのまた親と果てしなく続く長い列なのだろう。「こどもの日」に心配の絶えない親の列を思う。親なき身は病院から1人でマクドナルドに向かう。
 

喪のある景色
 
 
うしろを振りむくと
親である
親のうしろがその親である
その親のそのまたうしろがまたその親の親であるといふやうに
親の親の親ばつかりが
むかしの奧へとつづいてゐる
まへを見ると
まへは子である
子のまへはその子である
その子のそのまたまへはそのまた子の子であるといふやうに
子の子の子の子の子ばつかりが
空の彼方へ消えいるやうに
未來の涯へとつづいてゐる
こんな景色のなかに
神のバトンが落ちてゐる
血に染まつた地球が落ちてゐる