「『あしながさん』になってくれませんか」夢かなえた奨学生、後輩たちのために募金呼びかけ(2024年5月4日『東京新聞』)

 一度は諦めた大学進学への夢をつなぎとめたのは、病気や災害で親を亡くした子どもを支援する民間団体の奨学金だった。電気通信大(東京都調布市)4年の豊島(とよしま)慶太さん(22)は街頭で、その団体「あしなが育英会」への寄付を募る。「今度は僕の番。少しでも奨学金を必要としている人をとりこぼしたくない」から。(鈴木里奈
 あしなが育英会 1993年設立。84年発足の「災害遺児の高校進学をすすめる会」と92年発足の「病気遺児の高校進学を支援する会」と合併した民間の非営利団体奨学金の対象は、高校生、大学生、大学院生、専門学校生。奨学金の大半の原資となる寄付金は随時、公式ホームページで、クレジットカードなどでも受け付けている。問い合わせは、フリーダイヤル(0120)916602(平日午前10時〜午後4時)。
◆教科書も中古、ひとり親の父に「お金ちょうだい」とは言えず
 「私たちのあしながさんになっていただけないでしょうか」。4月28日午後、大型連休中で多くの人が行き交う京王線府中駅。募金箱を持った豊島さんたち大学生5人が、大きな声で呼びかけていた。箱にお金を入れて「頑張って」と手を振る人の姿もあった。
 
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仲間たちと寄付を募る豊島慶太さん(右から2人目)=4月28日、東京都府中市府中駅
 
 長崎県平戸市で生まれ育った豊島さんは、5歳のころに母親をがんで亡くした。働いていた父親は、2歳年上の兄と自分を「大学に行かせる余裕はない」とよく言っていた。佐世保市高専に入学し、教科書はインターネットで中古品を買ったり、使用頻度の高くないものは友人に見せてもらったりしてしのいだ。「お父さんにお金ちょうだいとは、言いにくかった」
◆先輩が背中を押してくれたから「今度は僕の番」
 勉強が楽しく、専門的に学びたいと思う気持ちが強くなり、大学進学を夢見るようになった。高専2年時、あしなが育英会の集いに参加し、奨学金で進学した大学生から「奨学金を借りたら東京の大学にも行ける。行きたいなら行く方がいい」と背中を押された。
 父親を説得し、「そこまで考えているなら」と東京の大学へ進学することを許された。仕送りはないが、育英会奨学金などを頼りに、同会が運営する都内の寮で暮らす。
 地方では、あしなが育英会奨学金を知らない生徒もいる。「高校を出たら働くしかない」「家から通える範囲の大学に行くしかない」と思っている高校生も多いという。
 春と秋にそれぞれ4日間ある募金活動には、高専を卒業して大学3年に編入した昨年から欠かさず参加している。その理由を力強く言った。「奨学金の存在を広める使命がある」
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◆物価高やコロナ禍で申請急増、資金不足で半数以上は採用されず
 物価高騰や新型コロナウイルス禍で親の収入が減るなどした影響で、あしなが育英会への奨学金の申請は増えている。2023年度から高校に進学した生徒への奨学金は、返済が必要な「貸与型」をなくし、月3万円の「給付型」のみになり、申請者が急増。24年度は過去最多の1800人に上ったものの、資金不足で半数を超える985人を採用できなかった。
 
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 厚生労働省の22年調査では、「児童のいる世帯」の平均所得は約785万円。一方、母子世帯は約328万円。父子世帯も「児童のいる世帯」を下回っているとみられ、奨学金の有無は、子どもの進路の選択肢に大きく関わるのが現実だ。
 あしなが育英会は高校奨学金を優先し、大学奨学金は23年度から全て貸与型に切り替えた。主に理系の大学生や大学院生への奨学金を給付するため、22年度に三菱UFJフィナンシャル・グループと協力し「あしながMUFG奨学基金」を創設した。