おしるこを「井筒屋」で食べた人はいませんか? 新富町の名物だったはず…味を何とか再現したい<ニュースあなた発>(2024年4月23日『東京新聞』)

 
 東京都中央区新富で大正時代に建てられた木造の元和菓子店「井筒屋(いづつや)」の外観の雰囲気を残しながら改修した建築家の板坂諭(さとし)さん(45)は、ある人を捜している。店の名物だった「汁粉(しるこ)」は、味もどんなふうに売られていたのかも情報がない。実際に味わった人の話を基に、再現したいという。井筒屋でお汁粉を食べた人はいませんか?(鈴木里奈

関東大震災も再開発も生き延びた

 東京メトロ新富町駅のそば、通り沿いのビルに挟まれて窮屈そうに木造3階建ての建物がある。ギャンブレル屋根と呼ばれる腰折れ屋根が特徴的で、壁には「井筒屋」の看板が残る。
大正時代に建てられた木造の元和菓子店「井筒屋」

大正時代に建てられた木造の元和菓子店「井筒屋」

 板坂さんによると、井筒屋は明治初期に浅草から移転した歌舞伎の芝居小屋「新富座」の向かいにあり、劇場の甘味処だった。関東大震災や戦時中の空襲、戦後の再開発を免れ、この地にとどまり続けたという。
新富座の向かい、井筒屋の場所(網掛け部分)に「しるこ」とある(一部画像加工)=中央区沿革図集「京橋篇」(中央区立京橋図書館所蔵)より

新富座の向かい、井筒屋の場所(網掛け部分)に「しるこ」とある(一部画像加工)=中央区沿革図集「京橋篇」(中央区京橋図書館所蔵)より

 中央区沿革図集「京橋篇」の昭和7~11(1932~36)年火保図(火災保険図)には、井筒屋の場所に「しるこ」とあり、名物だったことが推測できる。30年ほど前までは和菓子店だったが、店主だった女性は高齢で記憶をたどれない。近所の人からも「普通の和菓子を売っていた」という証言しか得られていない。
 約3年前に女性が転居して空き家となっていたが、「100年先もこの建物を残したい」と、近くに住む板坂さんが借りて改修し、耐震性も強化した。2階外壁の「亀甲貼り銅板」は技術継承者がいないという。

◆「建物の価値に気付いてもらうきっかけにしたい」

 今年1月から、板坂さんの建築設計会社「ザ・デザインラボ」の事務所兼ギャラリーとなったが、井筒屋の看板と2階のきりだんすは女性の希望で残した。
井筒屋であった和風スイーツを楽しむイベントでは、当時をイメージしたお汁粉が振る舞われた

井筒屋であった和風スイーツを楽しむイベントでは、当時をイメージしたお汁粉が振る舞われた

 「またこの建物に甘い香りを漂わせたい」。板坂さんはそんな考えから、3月下旬~4月上旬、東京・等々力などに店を構える人気パティシエの岩柳麻子さんによる和風スイーツを楽しめるイベントも開催。店の雰囲気からイメージした「お汁粉」も振る舞われた。
 名物だった汁粉の再現につながる情報は得られるのか。板坂さんは「この建物の価値に気づいてもらうためのきっかけになれば」と呼びかけている。
 情報提供や問い合わせは、ザ・デザインラボ=電03(6222)8333。下記の「ニュースあなた発」でも情報を募っている。

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