なんだか生きづらい「繊細さん」のために 学校に行けなかった高校生は「HSP」支える活動をライフワークに(2024年4月22日『東京新聞』)

 
 「繊細さん」って知ってますか。
 あなた自身はどうでしょうか。
HSP(エイチ・エス・ピー)」と呼ばれる繊細な気質のせいで、学校に行けなくなる子どもがいる。当事者の一人、中津井楓真さん(18)=埼玉県=は同じ悩みを持つ子を支援しようと、学生団体を立ち上げ、活動してきた。今春、高校を卒業し、新天地へ旅立つ彼がいま伝えたいこと、描く理想の社会とは。(デジタル編集部・戎野文菜)
 
HSPを支援する学生団体「HsP’eers(エイチエスピアーズ)」のメンバーたち。後列中央が代表の中津井楓真さん=2023年5月撮影、同団体提供

HSPを支援する学生団体「HsP’eers(エイチエスピアーズ)」のメンバーたち。後列中央が代表の中津井楓真さん=2023年5月撮影、同団体提供

HSP=感じる力が強い人

HSPとは英語の「Highly Sensitive Person」の頭文字を取った略語。直訳すると「とても過敏な人」。アメリカの心理学者エレイン・アーロン博士が提唱した概念で、5人に1人の割合で存在するとされる。病気や性格上の課題ではなく、生まれ持った気質という。
後天的な「内気」とは異なり、HSPは先天的に脳の神経システムに違いがあるといわれる。刺激に反応しやすく、同じストレスにさらされた場合、コルチゾールなどのストレスホルモンがより多く出る。
日本では特に「繊細さん」の名前で数年前から知られるようになった。「『繊細さん』の本」の著者で、HSP専門カウンセラーの武田友紀さんはHSPについて「感じる力が強い人」と説明する。
 
武田友紀さんの著書「『繊細さん』の本」=飛鳥新社提供

武田友紀さんの著書「『繊細さん』の本」=飛鳥新社提供

HSPは光や音、気温などの外的刺激だけでなく、人の気持ちや場の雰囲気、自分自身の体調やひらめきにも敏感。「周りの人が気付かないことにまで気が付くため、知らず知らずのうちに、生きづらさやトラウマを抱えることもある」。ただ、「繊細な人は、その感性をとことん大切にすることで楽に生きていける。HSPだと、必ずしも生きづらさを抱えるというわけではないのです」とも話す。
 

◆鉛筆の音がうるさい、強い香りで吐き気…

中津井さんも繊細な気質で生きづらさを感じてきた。学校でテスト中に鉛筆が机をたたく音がうるさく聞こえたり、ジーというスピーカーの低音がやけに気になったりするという。強い香りがするせっけんやスキンケア商品を売る店に行くと「吐き気を感じることもあった」。
繊細な気質は幼い頃から。中津井さんの母、幸絵さん(48)は「母親の姿が見えなくなるとすぐ泣き出す子どもだった」と振り返る。「知らない場所に出かけるときは、楽しみより不安が上回り『何があるところ?』『もしそこで火事があったらどうするの?』と質問攻めだった」
幸絵さんがアドバイスのつもりで「気にせず楽にやればいいのに」と言うと、口論になった。「ママの言う通りにやってるのに!って怒られて…。私の育て方が悪かったのかもと悩みました」と明かす。

◆「なぜか分からないけど、学校に行けない」

繊細な気質で悩んだ過去を話す中津井楓真さん=3月30日、渋谷区で

繊細な気質で悩んだ過去を話す中津井楓真さん=3月30日、渋谷区で

小学5年生の頃、中津井さんは急に学校に行けなくなった。理由は自分でも分からなかった。「とにかく気力が起きなかった。みんなと一緒に勉強したり遊んだりしたいという思いと、人と関わりたくないという気持ちが入り交じっていた」と当時の心境を話す。
父が海外勤務だったため、5~10歳をアメリカで過ごして帰国。埼玉県内の小学校に通い始めて1か月ほどたった頃だった。2週間学校に行かず、家で天井を見詰める日々が続いた。その後も学校を休みがちになった。
学校に行けなくなった原因は特定できないが、「友だちからの何気ない一言にショックを受けていたのかもしれない」と中津井さんは考えている。友人にまたすぐに転校するのだと思われ「いつまでいるの?」と尋ねられたことがある。「もしかしたら、傷付いていたのかも」と、今は思う。

◆葛藤の末、「休みな」と言えるようになった母

中津井さんが中学3年生の時、幸絵さんはたまたまテレビでHSPの存在を知った。関連書籍を読むと、「まさに楓真の気質そのものだと思った」。
幸絵さんは本を通し「感じやすい気質は自分で変えらない。『気にせずやれば』と言われてもそうはできないんだとやっと理解できた」と話す。
それまでは、本人の希望通り学校を休ませてあげたい気持ちもあったが「このままずっと通えなくなったらどうしよう」と不安も抱いていた。「楓真が学校を休みたいと言ったときは、もういっぱいいっぱいなんだ」と気付き、以来、迷いも葛藤もなく「休みな」と言えるようになったという。

HSPチェックリスト、「無敵な言い訳」に?

幸絵さんは学校から帰ってきた中津井さんに1枚の紙を渡した。「アーロン博士のHSPセルフテスト」。HSPかどうかの判断基準となる27項目が記載されたチェックリストだ。

・自分をとりまく環境の微妙な変化によく気づくほうだ
・他人の気分に左右される
・痛みにとても敏感である
・豊かな想像力を持ち、空想に耽りやすい など27項目


中津井さんは23項目に当てはまった。14項目以上であれば、HSPである可能性が高いとされる。
「無敵な言い訳ができた」。中津井さんは自分がHSPだと分かり、「解放感があった」と語る。HSPに関する本や英語の論文を読みあさり、理解を深めた。
状況はすぐには好転しなかった。HSPだと分かってからも、学校を休む日はあったという。だが、自分の特徴を知り、向き合うことで「少しずつ光が見えてきたような気がした」。そして「同じように悩む子のために何か行動してみよう」と思い始めた。

◆同じように悩む子へ 「安心して」と伝えたい

小学校でHSPについてプレゼンした様子を伝える中津井さん㊨=渋谷区で

小学校でHSPについてプレゼンした様子を伝える中津井さん㊨=渋谷区で

中学3年生の時、HSPだと気付いた中津井さんは、高校2年生で同じ気質を持つ子を支援するための学生団体を立ち上げた。名前は「HsP’eers(エイチエスピアーズ)」。東京を中心に中高生17人で活動している。
これまで中津井さんが東京や埼玉の小学校計3校に出向いてHSPへの理解を深める授業をし、SNSでも情報発信してきた。
3月30日、東京・渋谷でエイチエスピアーズがイベントを開いた。オンラインだけでなく、対面で誰でも参加できるイベントの開催は初めて。中学生から高齢者まで約30人が会場に集まり、オンラインでも70人が参加した。
 
中津井さん㊨に悩みや質問を話す参加者たち=3月30日、渋谷区で

中津井さん㊨に悩みや質問を話す参加者たち=3月30日、渋谷区で

HSPではない人には、HSPの人とどう接すればいいか考える力をつけてほしい。HSPの人には、みんなと特別違うわけではなく、安心していいんだよと気付かせたい」というのが中津井さんの思い。自身の生い立ちや団体を立ち上げた経緯をプレゼンした。その後、参加者は6人ほどの班に分かれて意見交換した。
参加した東京都の女性(48)は「小学5年生の娘も私自身もHSP。みんなとワイワイするより、ひとりで自分と向き合う時間のほうが多いので、共感できる人がいてよかった」と話した。さらに、「若者のパワーがすごくて、私もできることをしようと思いました」と明るい笑みを浮かべた。

◆なぜアメリカでは不登校にならなかったか、確かめたい

中津井さんは今春、東京学芸大学付属国際中等教育学校を卒業し、秋からアメリカの大学に進学する。社会学や心理学を学ぶ予定。「子どもの頃、アメリカでは不登校にならなかった。なぜなのか、自分自身で確かめたい」と話す。
学生団体をNPO法人化し、この活動を続けたいと夢を語る中津井さん=渋谷区で

学生団体をNPO法人化し、この活動を続けたいと夢を語る中津井さん=渋谷区で

大学を卒業して帰国したら、「HSPの子どもたちを支える活動を自分の仕事にしたい」と中津井さん。エイチエスピアーズをNPO法人にするため、現在手続きを進めている。「人として理解し、信頼し合える関係をみんなが築ける社会にしたい。この活動をこれからのライフワークにできれば」と夢を語った。