実は酔ってなかった「マタタビ反応」 ネコの生態を研究する岩手大農学部教授・宮崎雅雄さん<ブレークスルー 2024>(2024年4月7日『東京新聞』)

 
◆ざっくりいうと
 マタタビを与えられたネコがする不思議な反応は、蚊を避けるための行動だったことを突き止めた。

宮崎雅雄(みやざき・まさお) 神奈川県横須賀市出身。岩手大農学部卒業、同大学院連合農学研究科博士課程修了後、理化学研究所東海大の研究員などを経て、2011年、母校の岩手大に特任准教授として着任。20年から現職。21年、マタタビ反応についての研究成果を米科学誌で発表した。動物の嗅覚研究に取り組み、企業との製品開発などにも取り組む。ネコよりイヌ派で、イヌの研究もしており、家ではイヌを5匹飼っている。

研究室で飼育しているネコ「セル」を抱く岩手大教授の宮崎雅雄さん。世界的な科学誌が名前の由来で、他に「サイエンス」など17匹のネコがいる=盛岡市の岩手大で

研究室で飼育しているネコ「セル」を抱く岩手大教授の宮崎雅雄さん。世界的な科学誌が名前の由来で、他に「サイエンス」など17匹のネコがいる=盛岡市の岩手大で

 ネコにマタタビをあげると、転がったり葉をなめたりかんだり。日本では300年以上前から知られ、「マタタビ踊り」とも呼ばれるネコの不思議な反応で、その理由は「マタタビの匂いを嗅いで酔っぱらっているから」と考えられてきました。岩手大農学部教授の宮崎雅雄さん(49)=分子生体機能学=は、その定説に疑問を持ち、名古屋大との共同研究で本当の理由を明らかにしました。私たちにも身近で、暑くなるととにかく嫌われる、あの虫が関係していました。 (鈴木凜平)

◆好奇心で追究 含有物質に蚊よけの効果

 -ネコを研究するようになったきっかけは。
 動物が好きだったので、獣医師になろうと獣医学を学べる岩手大に進学しました。午前中は動物病院の診療を手伝っていましたが、午後は暇だったので好奇心でネコの尿を詳しく調べていました。2年生の時、健康なネコの尿からタンパク質が多く出てきたことを不思議に感じました。「タンパク尿は病気の兆候」というのは教科書にも書いていましたから。その後もさらに解析すると、未知のタンパク質だったことが分かり、「コーキシン」と名付けました。
 -それからネコの研究を続けてきたのですね。
 動物の生態に興味があったので研究者になり、一貫してネコをテーマにしてきました。2012年、共通の知人の紹介で、有機化学が専門の名古屋大の西川俊夫教授から「マタタビ反応」についてメールで問い合わせがありました。私も興味があったのですが、この反応に重要とされていた物質「マタタビラクトン」が入手しづらく、手を付けられていませんでした。そこで西川さんにマタタビラクトンを精製してもらい、共同研究でマタタビ反応の謎に迫ることにしました。
 -マタタビ反応は、どんな理由で起きると考えられていたのでしょうか。
 マタタビラクトンの香りを嗅ぐことで酔っぱらい、転がっているとされていました。しかし、この物質が特定されたのは60年以上前でした。そこで、当時は普及していなかった分析装置「液体クロマトグラフ」を使い、マタタビの成分を分離。ろ紙に染み込ませてネコに嗅がせる実験を繰り返して、強いマタタビ反応を示す物質を絞り込んでいったところ、マタタビラクトンより「ネペタラクトール」という物質に最も強く反応しました。
 ネペタラクトールがマタタビに含まれていることも、マタタビ反応を引き起こしていたことも、世界初の発見でした。さらにネコはネペタラクトールを嗅ぐと、人が幸せを感じた時に脳内で分泌され、「幸せホルモン」と呼ばれる「エンドルフィン」も増えていました。
 -ネコはネペタラクトールの香りで幸せを感じているのですか。
 幸せかどうかはネコに聞いてみないと分かりませんが、私はそもそも、陶酔がマタタビ反応を引き起こすという定説が疑問でした。実は、マタタビ反応はライオンなどの大型のネコ科動物でも確認されています。ライオンとネコが分岐したのは1千万年以上前。単に酔っぱらって転がるだけの、生存に不可欠とは言えないような反応機構が、1千万年にわたって受け継がれてきたとは考えにくいのです。しかし、その理由はなかなかわからず、研究は行き詰まっていました。
 -突破口は。
 20年、動物行動学の世界的権威で知人の英リバプール大のジェーン・ハースト教授が来日した際、ネコのマタタビ反応について見解を聞くと「転がっているのではなく、マタタビの葉に体をこすり付けているのでは」とヒントをもらい、ハッとしました。オマキザルなども虫よけの目的で、体にかんきつ系の果物の皮を塗っていることが知られています。
 そこでネペタラクトールを含んだろ紙を、床ではなく天井や壁に貼り付けると、ネコは転がらず、頭や顔をろ紙にこすり付けました。それから研究が一気に加速。ネペタラクトールは蚊よけの効果があり、さらにかむと効果が持続することや、依存性や毒性がないことも次々分かりました。ネコは、病原体である寄生虫を蚊が媒介する「フィラリア症」などにかかることがあり、最悪死に至ります。生存には不可欠で、本能的な行動として身に付いたのでしょう。
 -ネコの面白さとは。
 ミステリアスなところですね。こんなに身近にいるのに、分からないことがたくさんある。好奇心が尽きない。残された最大の謎は、なぜネコ科だけがマタタビ反応をするのか。これまでの研究成果は、いろんな人たちの縁があったおかげです。今後も全国の動物園を回って、研究を継続していきます。

マタタビ> つる性の植物で、日本や中国などに分布している。1704年に出版された儒学者貝原益軒の農業指南書「菜譜」では「猫このんで食す」と紹介され、江戸時代後期の浮世絵には、ネコがネズミの仕掛けたマタタビのわなにかかり、酔っぱらう様子が描かれている。