岐路に立つシンボル(2024年4月7日『山陰中央新報』-「明窓」)

存続か、撤去か、「在り方」の議論が始まった日野橋=米子市車尾6丁目
存続か、撤去か、「在り方」の議論が始まった日野橋=米子市車尾6丁目

 陽気に誘われ、1級河川・日野川に架かる米子市内の日野橋を歩いた。長さ約370メートル。雪を頂く大山をバックに白い六つのアーチを連ねるトラス橋は、黄砂の霞(かすみ)がかかる空にも映え、絵になる

▼カメラを手にやって来た年配男性の独り言が聞こえた。「健在なうちに撮っとかんと」。1929年の供用開始から95年。「歴史的景観」として国登録有形文化財にもなっている橋は、存続か、撤去か、岐路に立つ

▼塗膜部分から有害物質の低濃度ポリ塩化ビフェニール(PCB)が検出され、市はPCB除去と塗装の塗り替えを含む補修費用を「12億~20億円」と概算。5年後、さらに20年後、40年後の補修で、その都度「数十億円が必要」と想定する。市内649橋を「長寿命化」する市の修繕予算は年間2・2億円。ざっと、その10倍になる

▼先日あった有識者らの検討委員会の初会合でも、市担当者はこうした数字を並べて説明。これに対し「壊すのが前提か」と一般公募の委員が、性急な議論にくぎを刺す場面があった

▼米子らしい景観、利用者の愛着を含む文化財的な価値をどう評価するか。鳥取県内の国登録有形文化財で「費用」の問題で登録抹消となった例はないという。一度失えば取り戻すことができない文化財の性質を考えれば、年内にも「在り方」について判断する委員会の議論と並行して、市民目線でもいま一度、その価値をかみしめたい。(吉)

 

 

日野川に初めて本格的な木造橋がかけられたのは明治21年(1888)ですが、大正12年(1923)の洪水で流されてしまいました。そのため、日野川をまたぐ全長365.8m、幅5.8mの現在の旧日野橋が、約2年の工期をかけて昭和4年(1929)に完成しました。2本の円柱をつないだコンクリート橋脚5基に6連の三角形組合せの骨組みを曲弦材(きょくげんざい)でつなぎ、垂直の間柱(まばしら)をいれる「曲弦トラス」という構造で、各連のつなぎ目に半円アーチをくりぬいた曲線型の橋門(きょうもん)梁(はり)を渡しています。親柱には四角い切石積みの花崗岩(かこうがん)が用いられています。道路のトラス橋としては県内で最大、最古の橋です。

大山を背景とする白い旧日野橋の姿は、米子を代表とする景観として、地域の人々に親しまれています。