週のはじめに考える 海を越えて学ぶ意義(2024年4月7日『東京新聞』-「社説」)

 

 

 「日本」の国号を公式に使い始めたばかりの717年、吉備真備(きびのまきび)や阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)ら557人が4隻の帆船で、難波(なにわ)の港(現・大阪市)から旅立ちました。その半数は船の漕(こ)ぎ手。目指すは最大の国際都市、長安(中国西安)でした。
 玄宗皇帝が治めた唐の都はシルクロード交易で繁栄。中央アジアのソグド人、ペルシャ人、ムスリム商人のほか、日本、朝鮮半島ベトナムなどアジア各地から多様な人々が集まっていました。
 ほぼ20年に1度、海を渡った留学生の目的は最新の学問と技術、語学を学び、仏教や儒教の経典などを手に入れることでした。
 真備は入唐(にっとう)から18年後、儒教全般にわたる典籍や史書を日本に持ち帰ります。さらに天文暦書、楽器、武器などを伝え、朝廷で異例の出世を果たしました。
 一方、仲麻呂は勉学に励んで科挙の最難関の進士に合格し、皇帝側近として位階を上ります。盛唐の詩人、李白や王維(おうい)とも親しく交流しました。しかし、帰国船が難破し、奈良の「御蓋(みかさ)の山」を再び見ることなく、半世紀余りを過ごした唐で亡くなりました。
 804年には空海最澄がともに留学僧として唐に入り、帰国後それぞれ真言宗天台宗の開祖となったのはご存じの通りです。
 国を挙げての留学ブームは日本の歴史上3度あったとされます。遣隋使・遣唐使の後は、江戸の幕末から明治期にかけて欧米に使節・留学生が盛んに派遣されます。第2次大戦後はフルブライト交流をはじめ米国留学が主流になり、日本の復興と科学技術の発展に有為の人材を多数輩出しました。
 いずれも日本社会の大きな変革期に当たり、新たな政治・社会制度や先端技術を学ぶ必要に迫られてのことでした。

4度目の留学熱なるか

 政府は今、4度目の留学熱を盛り上げようと躍起です。2033年までに年間50万人の留学生を送り出す目標を掲げました。新型コロナ禍前の19年の実績が22万2千人ですから、それを倍増させる野心的な計画といえます。
 内訳は学位取得などを目的とする大学生・大学院生らの長期留学が15万人(コロナ禍前は6万2千人)、中・短期の留学23万人(同11万3千人)、高校生の留学・研修12万人(同4万7千人)。
 しかし、大きな壁が立ちはだかっています。まずは経済的な問題です。1ドルが152円に迫る34年ぶりの円安は、海外での勉学と生活には大打撃です。奨学金制度の拡充が急務になります。
 大学に進学した若者が留学を志そうとするのは3~4年次が中心ですが日本ではインターンシップ(就業体験)や就職活動の時期に当たります。留学生を増やすには企業が採用制度を抜本的に見直す必要があるのかもしれません。
 人類は地球温暖化や、エネルギーと食糧・水資源の不足など共通の危機に直面しています。こういう激動の時代だからこそ海外で学ぶ意義があるのではないか。
 さまざまな人々と文化、多様な社会、価値観に触れることで相互理解が深まれば、単独では不可能でも、国際社会の協調により解決できる問題があることにも気付くでしょう。平和の尊さを再認識する機会にもなります。

絶えぬ紛争防ぐために

 コロナ禍は想像以上に海外との往来を妨げました。日本学生支援機構の最新の調査によると、22年度の大学生らの留学は、18年度のピーク時(約11万5千人)の半数余りにとどまります。
 米中対立など国際情勢の緊張も暗い影を落としています。
 北京大の賈慶国(かけいこく)教授は3月、米国からの留学生が、10年前の約1万5千人から昨年は約350人に激減したと明らかにしました。中国の「反スパイ法」も一因です。日本から中国への留学も18年度は8千人に迫りましたが、22年度は200人余りとみられます。
 米中対立の余波で日中関係も改善が進まない中、北京の日本大使館で3月、日本人留学生と中国人大学生の「合同成人式」が開かれました。14回目の式典には約150人が参加し、振り袖や漢服姿で談笑しました=写真、共同。
 ウクライナパレスチナ自治区ガザなど世界各地で紛争が絶えませんが、主義主張が違うからこそ留学などを通じてお互いの立場を知り、存在を認め合うことが重要です。相互理解こそが無益な衝突を防ぐのです。
 日本は居心地がよく、外に目が向かないかもしれません。でも未知の世界に飛び込む選択肢があることも忘れないでください。