最後の日本海軍大将・井上
井上邸は、伊豆大島を見渡せる高台に1934年に完成した150平方メートルほどの木造平屋住宅。肺結核を患った妻の療養のため、この土地に建てたといわれる。井上が亡くなった後は、足跡をたどる記念館(2011年に閉館)として使用。寝室などは建て替えられたが、暖炉がある応接室や井上が植えた庭のソテツなどは当時のまま残されていた。
井上は、元首相の米内光政、連合艦隊司令長官を務めた山本五十六とともに日独伊三国同盟の締結(1940年)に反対したことで知られる。終戦まで海軍の軍務局長や兵学校校長、次官などを歴任したが、戦後は軍人としての責任を取る形で隠せいした。
横須賀市若松町の藤原俊子さん(89)は戦後、井上から英語を教わった最初の一人だ。近くの相模湾に停泊する米軍の船から英語のジャズが聞こえ、母親が「これからの子どもには英語が必要」と、堪能だった井上に頼み込んだという。
藤原さんは小学5年生だった1946年の2月頃から毎晩のように通い、1対1で英会話や英語の歌、西洋のマナーを教わった。「部屋に入るときにはノックをする」「座るのはプリーズ・シットダウンと言われてから」などの教えを今も覚えている。
井上はアコーディオンを演奏しながら「オールドブラックジョー」や「ABCの歌」も歌ってくれた。藤原さんが中学に入学する頃には大勢の子どもたちが井上邸に集まるようになったという。藤原さんは「暖炉のまきも井上先生が自分で割っていた。何でもできる人で井上邸で過ごす時間が楽しかった」と振り返る。
解体作業はすでに始まっており、売却された跡地には別荘が建設されるという。