米軍本島上陸79年 沖縄戦の教訓今こそ共有(2024年4月1日『琉球新報』-「社説」)

1945年3月26日 『米軍、慶良間列島に上陸』 - 〜シリーズ沖縄戦〜

 

 沖縄戦の教訓を後世に伝え、「新しい戦前」を生まないために何ができるのか。今を生きる私たちが問われている。

 79年前の1945年、米軍は3月26日に慶良間諸島に上陸、4月1日には本島に上陸し、約3カ月にわたる沖縄戦が始まった。日米の激しい地上戦は多くの住民を巻き込み、住民約9万4000人が犠牲となった。この数は日本軍の戦死者数とほぼ同じだ。
 米軍の本島上陸は、日本軍の反撃をほとんど受けない「無血上陸」だった。沖縄守備軍は本土決戦の準備が整うまで米軍を長く沖縄に引きつける作戦をとったため、上陸時に兵力を温存したためだ。沖縄は本土決戦に向けた「捨て石」とされた。
 米軍の上陸に伴い、渡嘉敷村座間味村読谷村をはじめ各地で「集団自決」(強制集団死)があった。なぜこのような悲劇が起きたのか。そこには日本軍の「軍官民共生共死」の考え方があり、それが住民を悲劇に追いやったのだ。
 沖縄戦の最大の教訓は「軍隊は住民を守らない」ということである。沖縄戦の実相を見つめ直し平和構築への道を歩み続けなければならない。
 しかし、その教訓を踏みにじる動きが進んでいる。
 防衛省自衛隊の「南西シフト」を進め、与那国、石垣、宮古に相次いで陸上自衛隊の駐屯地を開設。3月21日にはうるま市陸自勝連分屯地に地対艦ミサイル連隊が発足、与那国駐屯地には電子戦部隊を配備した。那覇に拠点を置く陸自第15旅団は「師団」に格上げする方針だ。2024年度の防衛省予算では、駐屯地の拡張など約473億円が計上された。
 「要塞(ようさい)化」とも言える自衛隊の急速な増強は、沖縄戦を前に県内で進められた飛行場建設や部隊展開など日本軍の動きを想起せざるを得ない。
 加えて政府は、安全保障上、必要性が高い空港や港湾など民間インフラ施設を「特定利用空港・港湾(特定重要拠点)」に指定する方針だ。全国の候補地32カ所のうち12カ所が沖縄県内で、最も多い。平時には自衛隊が訓練・演習に使用するだけでなく、有事には制空・制海権を確保するため管理下に置かれるとみられる。「軍隊は住民を守らない」との教訓に照らせば、住民避難ではなく軍事優先になることは明白だ。在日米軍専用施設の7割が集中し、さらに軍事施設の整備が進む沖縄が標的になる恐れは高まりつつある。
 先の大戦の経験から、日本は戦争放棄をうたった「平和主義」を憲法の基本原則に据えた。しかし、政府は集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を明記した安保関連3文書を閣議決定した。平和憲法は形骸化しつつある。「軍隊は住民を守らない」からこそ、外交と国際協調による安全保障を目指すべきだ。沖縄戦の教訓を国民全体で共有しなければならない。