天皇、皇后両陛下の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは26日、伊勢神宮参拝のため、三重県に入られた。27日には同県明和町にある「斎宮歴史博物館」と「いつきのみや歴史体験館」を見学される。いずれも、飛鳥時代から南北朝時代まで存在した、伊勢神宮に仕えた未婚の皇女「斎王(さいおうまたは斎皇女(いつきのみこ))」にまつわる施設だ。令和の内親王である愛子さまが学ばれる、いにしえの皇女「斎王」とは、どのような方々だったのか。
【写真】伊勢神宮内宮で行われた式年遷宮「遷御の儀」で、臨時祭主を務めた黒田清子さん(平成25年10月2日)
■飛鳥時代にさかのぼる
斎王は飛鳥時代から南北朝時代まで、天皇に代わり、皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる伊勢神宮に仕えた未婚の皇族女性を指す。
斎宮歴史博物館によると、制度上は飛鳥時代の天武天皇の娘である大来皇女(おおくのこうじょ)から始まり、約660年間に60人以上が存在した。
平安時代に編纂された「延喜式」から、天皇の代替わりごとに占いによって、内親王や女王(内親王ではない皇族女性)から選ばれていたことが分かるという。
■未婚が必須条件
「斎王」の役割は、具体的には、伊勢神宮で年3回行われる大祭(9月の神嘗祭、6・12月の月次祭)に参加することだったという。
ただ、斎王の「斎」は「いつき」と読み、心身を清めて世間から離れることを意味する。 大祭に参加しない日々も、精神的には常に神に仕える身で、家庭を持ちながら務めを果たすことは難しく、未婚が必須条件とされていた。
斎王制度は、14世紀前半になくなったが、伊勢神宮の神職の長である「祭主」の制度が現代まで続いている。
伊勢神宮によると、明治以降は主に男性皇族が担ってきたが、戦後は明治天皇の七女である北白川房子さん、昭和天皇の三女の鷹司和子さん、四女の池田厚子さん、上皇ご夫妻の長女、黒田清子さんと、内親王だった元皇族の女性たちが、その役職についている。
■源氏物語や卒論が接点に
愛子さまがお一方で伊勢神宮に参拝するのは、今回が初めてだが、これまでの学業の中で、愛子さまが「斎王」の歴史と接点を持たれている可能性が高い。その理由に挙げられるのが「源氏物語」だ。
愛子さまは20歳のご成年の記者会見で、学習院大文学部日本語日本文学科での学びに関し「以前から興味のあった『源氏物語』などの平安時代の文学作品、物語作品をはじめ古典文学に関心を持っている」と述べられていた。
その「源氏物語」に斎王に関連したストーリーがある。
光源氏の年上の恋人として登場する六条御息所には、夫だった亡き皇太子との間に娘がおり、その娘が斎王に選ばれたのを機に、源氏と別れて伊勢に向かう。
もう一つの接点は、愛子さまが卒業論文のテーマに選ばれた中世を代表する女流歌人、式子(しょくし)内親王だ。
斎王は伊勢神宮だけでなく、もう一つ別の神社にも存在した。9世紀初めの嵯峨天皇の時代、平安京の守護神である賀茂神社にも皇女が斎王として奉仕することになった。
後白河天皇の娘である式子内親王は、この賀茂神社の斎王を務めていた人物でもある。
学業を通じて、天皇家に生まれた女性たちの生き方に思いをはせられてきた愛子さま。
伊勢神宮参拝や斎王に関する博物館の視察は、〝皇女のルーツ〟を改めて学ばれる機会となりそうだ。(篠原那美)
【関連記事】