能登半島地震・石川県ご訪問》「国民に少しでも寄り添うことを目指す」天皇皇后両陛下の思い 東日本大震災では被災者とオンラインでご交流も

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1995年、中東3か国を訪問された天皇皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)。日本を出発する3日前、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生したため、海外訪問の日程を短縮。同年12月の会見で雅子さまが、被災地の様子について感想を述べられている。

「今年は、年初の阪神・淡路大震災で、多くの尊い命が奪われ、多くの人々が計り知れない悲しみ、苦しみを味わわれたことを思い、また、その後にも、痛ましい社会的事件が起きるなど、深く心の痛む一年でした。

その一方で、阪神・淡路大震災の被災地では、被災された方々が互いに励まし合い、助け合いながら大きな困難を乗り越えていこうとされる姿、そして、ボランティアの方たちや海外からの援助を含め、被災地の救援・復興のために尽くそうとされる多くの人々の善意を知り、強く感銘を受けました」

かつて、上皇ご夫妻が被災地を訪問された際には、被災者と目線の高さを合わせてお話しするために、床に膝をつき、話に耳を傾けられていた。両陛下も上皇ご夫妻のスタイルを受け継ぎ、避難所で被災者を励まされる際には正座をされている。

2010年、神戸市の兵庫県公館で行われた「1.17のつどい 阪神・淡路大震災15周年追悼式典」に出席された天皇皇后両陛下。同年12月、雅子さまは被災者へのお気持ちを公表された。

「この1月には、阪神・淡路大震災15周年追悼式典に出席するため、神戸市を訪れる機会がありました。その折りには、15年前の大震災当時の大変な状況やその後の復興の道のりを思い起こし、深い感慨に包まれました。

同時に、今なお癒えることのない傷に苦しんでおられる方々のことを思うと、とても心が痛みます。阪神・淡路大震災をはじめ様々な災害で被災されたり、あるいは、その他の状況においてご苦労を重ねておられる方々のことを心にとどめ、国民の皆様の幸せをいつもお祈りしていたいと思います」 追悼式典のため、神戸へ訪問された雅子さま。宿泊を伴う地方公務は2年ぶりだった。

療養中のなか出席されたのは、犠牲者への追悼、そして遺族への強いお気持ちがあったことがうかがえる。

東日本大震災で被災3県へ 被災者の手を握られ励まされた雅子さま
東日本大震災の発生から約1か月後、2011年4月6日に福島県などから避難してきた人々が身を寄せる東京・調布市味の素スタジアムを訪問され、同月の5月には埼玉県の三郷市立瑞沼市民センターで被災者をお見舞いされた天皇皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)。

同年6月、被災地の宮城県岩沼市へ訪ねられた。津波の影響で家などが流された被災地で、おふたりが並ばれ、黙礼をされた。

避難所の山下小学校体育館で、雅子さまが涙を流す被災者女性の手を握られ励まされたり、7月の福島県郡山市では、雅子さまが涙ぐまれながら、被災者の肩に手を添えられる場面もあった。

震災の翌年、2012年2月の会見で、避難所と被災地を訪問された際の様子を振り返られた天皇陛下

「この1年、東日本大震災を始めとして、国内外で大きな災害が相次いで起こりました。2万人近くの死者と行方不明者を出した未曽有の震災からもうすぐ1年になりますが、この1年、震災のことは常に頭から離れませんでした。

東京都内や埼玉県の避難所を訪れたのに続いて、宮城、福島、岩手の3県を雅子と共に訪れ、被災された方々をお見舞いし、お話を伺ったことや、地方訪問の機会に、その地に避難された方々とお会いしたり、被災地から都内に移り、元気に学ぶ小学生とお話ししたりしたことを一つ一つ思い出します。

震災で家族や親しい人を亡くされた方々の悲しみはいかばかりかと思いますし、今なお、震災や原子力発電所の事故などで故郷を離れたり、被災地で不自由な暮らしをされたりしておられる方々のことを考えると心が痛みます。

そうした困難な状況下にあっても、被災された方々が力を合わせて復興に向け歩んでおられることは、大変心強く思います。一例を挙げれば、昨年8月に岩手県の大船渡市にお見舞いに伺った際に、仮設住宅での暮らしの中で、住民の方々が自治会などの組織を作り、力を合わせ、困難を乗り越えながら前に進んでいこうとされる姿に感銘を受けたことを思い出します」

被災地の状態に心を痛められながらも、お見舞いを続けられた両陛下。慰めだけはなく、被災者に前向きなお言葉も送られていた。

 東日本大震災の被災者らとオンラインでのご交流

新型コロナウイルスの影響で、外出を控えられるようになり、被災地への訪問が難しくなった時期には、オンラインで東日本大震災復興状況について、視察された。2021年3月4日は岩手県、17日は宮城県、4月28日は福島県の被災者らとご懇談。

宮城県気仙沼市で震災を語り継ぐ活動をしている当時中学3年生の女子生徒に、天皇陛下は「語り部になるのは本当に勇気がいったんではないでしょうか」とねぎらわれた。山元町の当時78歳の女性は、2011年6月、避難所で両陛下と懇談しており、画面越しの“再会”となった。

雅子さまは同年のお誕生日のご感想で、オンラインのご交流について触れられている。

東日本大震災の発生から今年で10年になりました。この10年を振り返り、深い悲しみを新たにされた方も多くおられたのではないかと思います。私自身も地震発生当時の大変な状況を思い起こす機会が多くありました。

また、震災後10年に当たり、岩手県宮城県福島県の復興状況をオンラインで見せていただき、被災された方々とお話しする機会を得ましたが、各地で復興が進み、生活の基盤が整いつつある中にあって、今もなお生活を再建できずにいる方や、癒えることのない心の傷を抱えた方々もおられることに心が痛みます。今後とも、陛下と御一緒に被災地の方々に心を寄せていきたいと思っております」

即位後初めて東日本大震災の被災地を訪問
2023年6月3日、天皇皇后両陛下は「第73回全国植樹祭」に出席されるため、7年ぶりに岩手県を訪問された。即位後、初めての東日本大震災の被災地ご訪問でもあった。

「第73回全国植樹祭」に出席される前日に、東日本大震災の追悼・祈念施設で供花、拝礼され、津波で残った「奇跡の一本松」を視察された。

同年の12月、雅子さまはお誕生日のご感想で岩手県ご訪問について触れ、「岩手県陸前高田市や大船渡市、釜石市では、被災地の皆さんが、幾多の困難を抱えながらも弛たゆみない努力を続けてこられた姿に心を打たれました。被災地が今後、真の復興を遂げていくことを心から願うとともに、引き続き被災地に心を寄せていきたいという思いを新たにいたしました」とお気持ちを公表された。

2019年2月、皇太子として最後の誕生日の会見で、以下のように述べられている。

「私は、様々な行事の機会に、あるいは被災地の視察として、各地を訪問してまいりましたが、国民の中に入り、国民に少しでも寄り添うことを目指し、行く先々では多くの方々のお話を聴き、皆さんの置かれている状況や関心、皇室が国民のために何をすべきかなどについて、的確に感じ取れるように、国民と接する機会を広く持つよう心掛けてまいりました。こうしたことは、今後とも自分の活動の大きな柱として大切にしていきたいと思います」

そのお言葉の通り、避難所を訪問されたり、震災から数年経過した後も被災地を気にかけられ、コロナ禍ではオンラインを活用されるなど、雅子さまとともに被災者に寄り添い続けられている天皇陛下。その姿に元気を取り戻された被災者も多くいることだろう。

上皇陛下から受け継がれたお気持ち

能登半島地震の被災地お見舞いのため石川県へ

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