センバツあす開幕 未来へつなぐ100年の歴史(2024年3月17日『毎日新聞』-「社説」)

甲子園練習でグラウンドに駆け出す京都外大西の選手たち=阪神甲子園球場で2024年3月13日、中川祐一撮影

甲子園練習でグラウンドに駆け出す京都外大西の選手たち=阪神甲子園球場で2024年3月13日、中川祐一撮影

 第96回選抜高校野球大会があすから阪神甲子園球場で始まる。大会は1924年に創設され、今年は100年の節目である。

 名古屋市山本球場に8校を招待して産声を上げたセンバツは、第2回大会から甲子園へと舞台を移し、現在に至る。長い歴史の間には、戦争による5年間の中断があった。2度の震災や新型コロナウイルス禍の影響も受けた。

雪の中で体力作りをする別海の選手たち=北海道別海町で2024年1月27日、貝塚太一撮影
雪の中で体力作りをする別海の選手たち=北海道別海町で2024年1月27日、貝塚太一撮影

 大会運営の改革も進められてきた。試合の成績だけでなく、学業との両立や困難な状況下での健闘なども選考条件とする「21世紀枠」を2001年に創設した。

 最近では選手の健康や安全への配慮を重視し、延長タイブレーク方式や投手の球数制限などを新たに採用している。

 今大会で注目されるのは、低反発バットの導入である。投手への強烈な打球による事故を防ぐのが主な目的だ。打撃戦が減ることで、投げ過ぎによる肩や肘への負担も軽減されそうだ。

避難先のグラウンドで練習する日本航空石川の選手たち=山梨県富士川町で2024年1月19日午後3時47分、古川修司撮影
避難先のグラウンドで練習する日本航空石川の選手たち=山梨県富士川町で2024年1月19日午後3時47分、古川修司撮影

 少子化が進む中、野球人口の急速な減少が懸念されている。スポーツ庁によると、高校野球部の部員数(硬式)は、14年度にピークの17万人に達したが、48年度には5万2500人にまで落ち込むとの試算がある。

 選手の健康面だけでなく、勝利至上主義や非科学的な指導、理不尽な上下関係など、改めなければならない点も多い。旧弊にとらわれず、時代に合わせた変革が求められている。

 一方、継承していくべき価値もある。地域とのつながりだ。

 21世紀枠で選ばれた別海(北海道)は「地域に愛され、応援されるチーム」を目指し、少年野球のサポートや除雪作業にも励んできた。酪農や漁業従事者が多い地元の人たちも練習設備などの面で協力し、活気づいている。

 能登半島地震で石川県輪島市の校舎が損壊し、学校生活が送れなくなった日本航空石川は、山梨県の系列校で練習を重ね、大会に備えてきた。金沢市に学校がある星稜とともに、甲子園での雄姿が被災地を勇気づけることだろう。

 1世紀に及ぶ歴史を刻み、未来へとつながる舞台だ。選手たちのひたむきなプレーが人々の心を動かし、野球の魅力が次代の子どもたちへ伝わることを期待したい。

 

 「身動きならぬ大観衆を集めて…(2024年3月17日『毎日新聞』-「余録」)

 

第1回大会の入場式=名古屋市の山本球場で1924(大正13)年4月1日
第1回大会の入場式=名古屋市山本球場で1924(大正13)年4月1日

山本球場跡地に建つ「センバツ発祥の地」のモニュメント。前面のプレートには、歴代優勝校の名が刻まれている=名古屋市昭和区で2024年2月9日、川瀬慎一朗撮影
山本球場跡地に建つ「センバツ発祥の地」のモニュメント。前面のプレートには、歴代優勝校の名が刻まれている=名古屋市昭和区で2024年2月9日、川瀬慎一朗撮影

戦後最初に開かれた大会では、スタンドに進駐軍専用の観覧席も設けられた。写真は決勝戦を楽しむ進駐軍兵士たち=兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で1947年(昭和22年)4月7日
戦後最初に開かれた大会では、スタンドに進駐軍専用の観覧席も設けられた。写真は決勝戦を楽しむ進駐軍兵士たち=兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で1947年(昭和22年)4月7日

 「身動きならぬ大観衆を集めて 大会の幕は開かれた」。1924(大正13)年、第1回の「センバツ」、全国選抜中等学校野球大会の4月1日開幕を報じた大阪毎日新聞の見出しだ。会場は名古屋市山本球場関東大震災から7カ月しか経ておらず、首都復興が進む中での開催だった

▲第2回から阪神甲子園球場に舞台を移し、創設100年の節目に18日の開会を待つ選抜高校野球大会である。新型コロナウイルス感染対策として見送られていた甲子園での練習も復活した

▲社会や世相を反映しての歩みである。太平洋戦争で42年から46年まで中断した。47年の開会式は米軍機が低空から始球のボールを投じ、祝福している。阪神大震災があった95年と東日本大震災後の2011年は応援方法などを見直し、復興に向けたスローガンを掲げている

▲コロナ禍で20年は開催を中止した。翌21年の開会式。「当たり前だと思う日常は、誰かの努力や協力で成り立っています」「穏やかで鮮やかな春、そして1年となりますように」。コロナ禍や東日本大震災発災10年への思いをこめた選手宣誓を思い起こす

▲今大会に出場する日本航空石川能登半島地震のため石川県輪島市の校舎が被災し、野球部は山梨県で練習を重ねた。金沢市にある星稜も、チームの始動が遅れたという

▲新基準である低反発バット導入の影響など、新しい試みへの関心も尽きない。「野球ができる日常」のかけがえのなさを胸に刻みつつ迎えたい、センバツ100年の春だ。

 

「飛ばない」金属バット(2024年3月17日『中国新聞』-「天風録」

 <きみは あのやまびこをきいたか/逞(たくま)しい少年たちが/自信で打ち出す球音の/冴(さ)えざえとしたやまびこを>。大の高校野球ファンだった阿久悠さんの詩集「甲子園の詩(うた)」にある。題名の「やまびこ打線」は徳島・池田の代名詞

▲この詩が書かれた1982年夏、決勝で広島商を破り初の頂点に。手堅さと意外性のある戦術を併せ持つ広商野球がねじ伏せられた記憶は甲高い打球音とともにある。筋トレで鍛えて金属バットを使いこなし、翌春も制してパワー野球の幕を開いた

▲100年の節目の選抜大会があす開幕する。甲子園に金属バットが登場して50年。高校野球がまた変わるかもしれない。強烈な打球にさらされる投手のけが防止を目的に、金属バットが「飛ばない」ものしか使えなくなるからだ

▲見た目は少しスリムに。従来品より反発力が抑えられ、飛距離が落ちるという。打球音は高くなるようだ。技術を徹底的に磨くか。小技や守備を重視するのか。各校の対策に注目したい

▲やまびこを伴う豪快な一発は減るかもしれぬが、1点にこだわる野球も捨てたものではない。阿久さんのこと。飛ばないバットが生むドラマを空の上で心待ちにしているに違いない。