2月29日、3月1日に開かれた衆院政倫審では、岸田文雄首相や自民党安倍派幹部だった4人など計6人の審査が行われた。だが、派閥パーティー収入のキックバックを裏金にする安倍派の慣行が始まった時期や、いったん中止が決まった裏金づくりが継続されることになった経緯など、事件の核心部分は明らかにされなかった。
14日は、安倍派の有力者「5人衆」の1人だった世耕氏らが何を語るのか、注目される。
◆党の調査報告書をなぞる説明に終始
岸田首相は冒頭の弁明で「党総裁として出席し、説明責任を果たすことにした。前例にとらわれないという私の決意だ」と意気込みを語ったが、その後の質疑では、既に公表されている党の聞き取り調査報告書などの内容をなぞるばかりだった。
◆裏金づくりが始まった経緯「判然としない」
この日の質疑で浮かび上がったのは、いったん中止が決まったキックバックが一転して継続されることになった経緯を巡る証言の食い違いだ。
4人の説明などによると、派閥会長だった安倍晋三元首相と西村氏、塩谷氏、世耕氏、下村博文元文科相、松本淳一郎事務局長(職員)が出席した2022年4月の会合で、安倍氏がキックバックの中止を指示。その後、所属議員にその方針を伝えたものの、22年7月の安倍氏死去後の8月の会合を経て、中止の撤回が決まった。
4月の会合でキックバックの中止の流れになったことと、8月に再び会合が開かれたことについては、幹部間の証言は合致している。だが、塩谷氏が8月の会合でキックバックの継続が決まったと説明した一方、西村氏はこの会合では結論は出なかったと語った。高木氏は、これらの会合に出席していなかったとして「誰がどんな形でそうしたのかは、私には分からない」と答弁した。
2回の会合のいずれにも出席していたとされる世耕氏がこの点についてどう語るかが、14日の参院政倫審の焦点の一つとなる。
◆森元首相への調査や国会出席には後ろ向き
安倍派の裏金づくりが始まった経緯については、1日の衆院政倫審では、「歴代会長と事務局長との間で長年慣行的に扱ってきたことだ。判然としない」(西村氏)、「二十数年前から始まったのではないかと思うが、明確な経緯は承知していない」(塩谷氏)といった説明以上のものは聞かれなかった。
だが、岸田首相は「自民党の調査では、森元総理の関与を指摘するような証言は確認されていない」などとして拒否。一方、西村氏は「森元総理が関与していたという話は聞いたことがない」とした上で、「疑念が生じるのであれば、(派閥の)幹部が確認しても口裏を合わせたのではないかと言われかねないので、第三者が確認するのがいい」と話した。(宮尾幹成)