復興支える仙台空港 「空からの目」がとらえた大津波写真の衝撃(2024年3月10日『毎日新聞』)

上空からみた仙台空港=宮城県名取市で2013年9月20日午後、本社ヘリから武市公孝撮影

上空からみた仙台空港宮城県名取市で2013年9月20日午後、本社ヘリから武市公孝撮影

 3月上旬、西高東低の冬型の気圧配置で、仙台空港では「蔵王おろし」といわれる強風が吹くことがある。東北地方の撮影で訪れたこの日も強い西風だ。本社ヘリコプター「はばたき」号は貞山運河と閖上海岸を眼下に、滑走路27へ向け右旋回で進入を開始した。

 13年前、この穏やかな太平洋の波が空港周辺に猛威を振るったとは信じがたい。2011年3月11日14時46分、東日本大震災が起きた。発生当時、仙台空港に居合わせていた本社ヘリは、約1時間後に到達した津波の猛威を空から撮影する。同日15時55分、「3・11大津波襲来の瞬間」をとらえた写真は新聞協会賞を受賞した。一枚の写真がもたらす衝撃は時に言葉を必要としない。この瞬間の衝撃と想像を絶するような惨状は、空からの目がなければ世に出ることはなかったであろう。

仙台空港を襲う大津波。この後、滑走路は使用不能となり、仙台空港は孤立した=宮城県名取市で2011年3月11日午後4時、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
仙台空港を襲う大津波。この後、滑走路は使用不能となり、仙台空港は孤立した=宮城県名取市で2011年3月11日午後4時、本社ヘリから手塚耕一郎撮影

 震災直後、仙台空港自衛隊及び米軍による「トモダチ作戦」の拠点となった。その後、大地震からわずか1カ月たらずで空港の機能は復旧することになる。着陸後の仙台空港に震災当時の面影はもはや見られない。これからも東北の玄関口として、復興への道のりを空路から支えていくことだろう。【操縦士 広田慎也】

津波の到達直前に離陸、難逃れる

 宮城県名取市岩沼市にまたがる仙台空港は、1956年、連合国軍総司令部GHQ)より返還された「矢ノ目飛行場」が翌年に仙台飛行場として開港したことに始まります。

 2011年3月の東日本大震災では、津波に襲われ、ターミナルビルや駐機していた航空機にも大きな被害が出ました。

 当時、別の取材で同空港に着陸していた本社のヘリコプターは津波が押し寄せる直前に離陸することができ、難を逃れました。