子を守るため…でも「孤独だった」 原発事故13年 母子避難を決断した10家族の「その後」が映画に(2024年3月7日『東京新聞』)

 
映画「決断」に登場する自主避難した母子や家族ら(ミルフィルム提供)

映画「決断」に登場する自主避難した母子や家族ら(ミルフィルム提供)

 東京電力福島第1原発事故(2011年3月11日)が起きた後、放射能汚染への不安から福島を離れ、避難を続ける母子や家族がいる。映画監督の安孫子亘(あびこわたる)さん(64)は彼女らを7年かけて撮影し、ドキュメンタリー映画「決断」を完成させた。東京・吉祥寺で8日にある先行上映を前に「震災から13年、避難者がどう生きてきたのか。その経緯と難しさを知ってほしい」と語った。(小川慎一)

◆二重生活、離婚、選挙に挑む人も

 90分にまとめられた映画は、原発事故後に政府が出した避難指示区域の外に住んでいた10組の家族の証言で構成された。中心的な登場人物は、子どもを被ばくから守ろうと、北海道や大阪、京都、沖縄などに避難した母子たち。夫が福島に残る二重生活を続ける家族や、避難への意見の食い違いから離婚した女性、「社会を変えたい」と避難先で選挙に挑んだ人たちもいる。
 区域外からの避難は「自主避難」とされ、東電の賠償や政府と自治体の支援も十分でなかった。「いつまで避難者をやっているんだ」と批判され、肩身の狭い思いを強いられもした。
 
映画について語る安孫子亘監督と森松明希子さん=東京都中野区で

映画について語る安孫子亘監督と森松明希子さん=東京都中野区で

 10組の家族の1人、森松明希子(あきこ)さん(50)は13年前、0歳と3歳の子どもと郡山市から大阪へ避難。医師の夫は郡山にとどまり、今も離れ離れの生活を送る。「とにかく、子どもを守りたかった。私を含め母子避難をしたお母さんたちはみんな孤独だった」と映画を見た後に涙ぐんだ。

◆8日に吉祥寺で先行上映

 安孫子さんは8年前、別の作品を上映した際に自主避難者と出会い、そこから30組ほどの家族を取材してきた。「幼い時にはカメラの前で話をしてくれた子どもも、大きくなれば学校の関係でカメラの前に出られなくなる」。月日の長さは、証言を映像で記録することを難しくもさせたという。
 昨年中に映画は完成したが、年明け早々に能登半島地震が起きた。北陸電力志賀(しか)原発(石川県志賀町)で事故が起きたらどうなっていたのか。安孫子さんは「避難経路の寸断は大問題。万全の準備を整えても想定外が起きることを、映画で伝えたい」と語り、森松さんは「想定外を免罪符にしてはいけない」と訴えた。
 先行上映はアップリンク吉祥寺で8日午後1時55分から。宇都宮ヒカリ座(宇都宮市)で8~14日、アップリンク吉祥寺では4月12~25日も上映。予告編や先行上映チケット、今後の公開予定は映画製作会社「ミルフィルム」のウェブサイトから。