五輪招致検証 核心に迫らず不十分だ(2024年3月3日『北海道新聞』-「社説」)

 札幌市が冬季五輪・パラリンピック招致活動を総括する検証結果を市議会に報告した。
 検証とは本来、第三者が行うべきものだ。それにより公平、公正が担保される。当事者である市が行ったことで、身びいきに陥る傾向はなかったか疑問を抱かせる。
 実際、招致の先頭に立った秋元克広市長の対応の是非に触れていない。人件費を含む招致経費は約27億円に上ったが、詳しい支出先や費用対効果の説明もない。
 国際オリンピック委員会IOC)が札幌を見限った経緯や、日本オリンピック委員会JOC)とのやりとりなど、招致断念に至った核心に迫っていない。
 招致活動は約9年に及んだが、報告文書は7ページにすぎない。不完全かつ不十分で、検証・総括には程遠い。第三者を入れてやり直すべきではないか。
 報告は招致失敗の要因について、東京大会の不祥事による五輪不信を払拭できなかったことや、コロナ禍で機運を醸成する活動が制限されたことなどを挙げた。従来、指摘されたことばかりだ。
 2026年大会から30年大会への招致変更や、30年を断念して34年以降の開催を目指すとした重要な意思決定の分析すらない。失敗要因を掘り下げる姿勢を欠いていると指摘せざるを得ない。
 JOCの責任にも触れておらず、市を含む関係者の責任を回避したい意図も透ける。
 一方、招致活動は市民にとって、まちづくりを考える機会になったと評価した。だが昨夏、各地で行った市民対話では、市への不満の声が相次いだはずだ。
 市と市民に認識のずれがあるのではないか。五輪をまちづくりの起爆剤とする発想に賛同は得られなかった。忘れてはならない。
 招致の是非を問う住民投票を求める請願を不採択とした市議会の対応に関する記述もなかった。
 掲げた方針にこだわるあまり、市民の意思を把握し、市政に反映させる観点を欠けば、市民の信頼を失う。市は教訓とすべきだ。
 市議会にも同じことが言える。住民投票は代表制民主主義を損なうものではなく補完するものだ。
 市は今回、誰もが大会の意義や効果をイメージできる明確なメッセージが必要だったと総括した。
 将来、再び五輪招致に向かう時が来るかもしれない。商業主義に陥った五輪を変革し、札幌で新たな価値を吹き込む。そんなメッセージを発するためにも、詳細な検証記録を次世代に残すべきだ。