【テレビ用語の基礎知識】 TBSのドラマ「不適切にもほどがある!」が結構、話題になってますね。私も毎週楽しみに見ています。
「昭和はこれが当たり前」 さすが宮藤官九郎さんの脚本だけあって、いろいろと細かい描写でクスッと笑わせてくれるので、私たちくらいの年代には見ていて、非常に「ツボ」の多い、いいコメディードラマだと思います。
ただ、毎週楽しみに見ていて、なんだか少しずつ妙に疲れを感じるようになってきました。初回の頃は見ていて爽快感しかなかったのですが、なんだかジワジワと読後感というか、ドラマを見終わった後の感じがちょっとずつダルくなってきたんです。
あれ? なんだろ? と思いつつ理由がよく分からないまま数週進んだのですが、だんだんその「ダルさ」の理由に気がついてきました。
それは変な「オヤジの説教臭」とでもいうのでしょうか。それに気がついたのは「みんな誰かの娘だと思って接しろ」みたいな話が出た回のあたりです。
なんていうか、個人的には「コメディーなんだからもっと単純にいまの風潮をドライにちゃかして笑いにするだけでいいのに」という思いがあります。単純に笑わせてくれればそれでいいのに、なんでいちいち「それっぽい結論」を出そうとするんだろ。それじゃ結局、オッサン的な理屈を押しつけてるだけじゃん。
「湿っぽいオヤジの説教」じゃん。と思った瞬間になんだかサーッと気持ちがシラケました。 当初から「この設定じゃ、きっと若者は完全に置いてきぼりだな」と思っていたのですが、「誰かの娘」段階で周囲の反応を見回してみると、おおよそ快哉(かいさい)を叫んでいるのはオッサンないしはオッサン化したほぼ同年齢層のオバハンばかり。女性や若者サイドからはまあまあ冷ための反応もチラホラです。 結局は「なんで俺たちのこと、分かってくれないんだ。
どうして嫌われるんだ」というオッサンの「引かれ者の小唄」ドラマないしは、時代についていけないバブル世代の盛大なバックラッシュドラマという感じなのかなあと思ってしまいました。 みんなきっと、いまの「過剰コンプラ時代」には疲れています。
引かれ者の小唄=引かれ者が虚勢をはり、鼻歌などを歌うこと。転じて、敗北が明らかであるのに平静を装い、しいて余裕をみせたり、強がりを言うことのたとえ。
そして「真剣にコンプラの問題の本質に対応せずに、ヤバそうなことはとりあえずやめとこう」みたいな風潮がテレビをつまんなくしたのは間違いありません。だから、こういう設定のドラマをこの時期にやるのは、とてもタイムリーだし、面白い。
だからこそもう少し、あらゆる年代のあらゆる状況の人たちがゲラゲラ笑い飛ばせるドラマにしてほしかったな。少し残念。
■鎮目博道(しずめ・ひろみち) テレビプロデューサー。1992年、テレビ朝日入社。「スーパーJチャンネル」「報道ステーション」などのプロデューサーを経て、ABEMAの立ち上げに参画。「AbemaPrime」「Wの悲喜劇」などを企画・プロデュース。2019年8月に独立。新著『腐ったテレビに誰がした? 「中の人」による検証と考察』(光文社)が発売中。
【関連記事】