「やっぱりここでなきゃいかんなと思ってます」
そう話すのは、石川県珠洲市の男性の99歳の父親です。
先月、一緒に2次避難先のホテルへ行きましたが、元いた避難所へ戻ってきました。
生活環境が整ったホテルではなく、段ボールのベッドを使う避難所を選んだ理由を聞きました。
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地震と津波で自宅が
鉄郎さん
「車の後ろ側にいたときに地震があって、どこにも行けず、ただしがみついていた感じでした」
揺れが収まったあと、家の中から鉄郎さんの妻と勝栄さんが飛び出してきました。
「津波が来るよー」
誰かがそう大きな声で言うのが聞こえ、まわりの家に住む人たちと一緒に、近くの高台へ急ぎました。
そして、近くの避難所での生活が始まりました。
自宅に戻るめどは立たず、トイレや入浴に不自由な暮らしが続きました。
環境のいい2次避難先へ しかし…
鉄郎さん
「することがないのでね。一階に新聞が置いてあるんですけど、そこへ行って新聞見たりしているだけで、部屋に帰ってくればテレビ見ながら、あとは寝ているか。ずっとその状態が続いていましたから」
生まれ育ち、慣れ親しんだ土地から離れ、知り合いが1人もいませんでした。
「孤独感ですね。人との触れ合いがないので、それが一番つらいというか、気持ち的にこもるというか。これはだめやなと思って」
見かねた鉄郎さんは「珠洲に戻るか」と声をかけました。
「うん」
勝栄さんはうれしそうな表情でうなずいたということです。
「親父が納得すればそこが一番」
2月21日、2人は再び自宅近くの避難所に戻りました。
珠洲市はいまもほぼ全域で断水が続いていて、避難所では仮設トイレや段ボールのベッドを使うなど厳しい環境です。
それでも勝栄さんは、避難所で知り合いと話したり、長男の鉄郎さんと一緒に田植えの準備をしたりして過ごしているということです。
勝栄さん
「ここから離れるってのはちょっと考えられない。生まれてからずっとここばっかりいるから。やっぱここにおらにゃならんかなと思っています」
鉄郎さん
「こっちに帰ってくれば知り合いがいますので、そこへ行って話をしたりもできるし、意外と充実しているのではないかと私は思っています。自分の思ったように動けるというところかな。田んぼとか畑とか、自分の好きなことをしているので、一番ここが好きなんじゃないかと思います。親父が納得してくれれば、どこも行かずここが一番いい場所だっていう。納得さえすれば、そこにいるのが一番かな。それは変わらないです」
石川県によりますと、能登半島地震のために地元を離れホテルなどの宿泊施設に2次避難している人は、2月29日の時点で4700人余りにのぼるということです。