辺野古上告不受理 最高裁は責務を放棄した(2024年3月2日『琉球新報』-「社説」)

 「法の番人」はどこへ行ったのか。民意と地方自治に基づく沖縄の訴えを足蹴(あしげ)にするような暴挙である。司法のあからさまな政府への追随を許すわけにはいかない。

 米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、大浦湾側の軟弱地盤改良工事に向けた設計変更を巡る代執行訴訟で最高裁は1日までに、県の上告を受理しない決定を出した。これによって県の敗訴が確定した。
 玉城デニー知事は「司法が何らの具体的判断も示さずに門前払いをしたことは、極めて残念」と述べた。沖縄の声に向き合い、公正に審理するべき司法としての責務を放棄したに等しい。上告に際し、県民が求めたのは実質審理であった。最高裁の上告不受理はおよそ歴史の審判に耐え得るものではない。
 玉城知事に代わり、斉藤鉄夫国土交通相が大浦湾側の軟弱地盤の設計変更申請を承認するために提起した代執行訴訟で沖縄側が問うたのは、設計変更承認の公益性と新基地建設の公益性である。さらに地方自治の理念に基づき、国が進める手続きの不当性を批判したのだ。
 福岡高裁那覇支部判決は、設計変更申請の承認を拒否する県の姿勢を「社会公共の利益を侵害するもの」と断じた。新基地建設の実現以外には「普天間飛行場の危険性の除去を図り得る方法が見当たらない」とまで判示した。
 新基地建設に固執し続ける政府に司法が付き従ったのである。これでは「司法の独立」はなきに等しい。沖縄にとって、この判決は受け入れられるものではなかった。
 これまでの国との法廷闘争の経緯から見ても、厳しい結果が予想された。それでも県が上告したのは、地方自治をゆがめてまで新基地建設を強行する国の不当性を最高裁法廷を通じて国民に明らかにするためでもあったはずだ。
 1996年7月、未契約軍用地の強制使用手続きを巡る代理署名訴訟の上告審で、当時の大田昌秀知事は最高裁大法廷で陳述した。この中で米軍基地の重圧に苦しむ沖縄戦後史を論述しながら「沖縄の未来の可能性を切り開く判断をお願いしたい」と訴えた。
 同年8月の判決は、大田知事による代理署名拒否は「公益侵害は明らか」として訴えを退ける一方で、「駐留軍基地が沖縄県に集中していることにより、沖縄県および住民に課せられている負担が大きいことが認められる」として、基地負担軽減に向けた国の対応を求めたのである。
 代執行訴訟の上告審で、県は沖縄の基地集中を放置する構造的差別と、日本全国に及ぶ地方自治の危機を訴えるはずであった。最高裁はこの機会を奪ったのだ。日本の司法はここまで後退した。
 大浦湾側の工事は始まっているが、県は退いてはならない。民意に基づき国と対峙(たいじ)することで沖縄の未来を切り開かなければならない。