黒柳徹子=90歳のトットちゃん 違ってこそ、生まれがい(2024年2月26日『日本経済新聞』)

 
 

 


「ひとりひとりが、みんな違ってこそ、生まれてきたかいがある」と力を込める。

「窓ぎわのトットちゃん」(講談社・1981年)は、授業中に騒ぎ立てて皆の迷惑になるからと小学校を「退学」させられたトットちゃんが自由な校風のトモエ学園に転校し、いきいきと過ごした数年間を描く作品だ。校長だった小林宗作先生は彼女の個性を受け止めて「きみは、本当は、いい子なんだよ」と声をかけ続けてくれた。

「退学になったのは、事実あたしがいけないんですよ。窓からチンドン屋さんを呼んだりね。でも、だったら先にね、学校は遊ぶところじゃない、勝手なことをしてはいけないって、教えてくださればいいんですよ。そうしたらあたしだって、しなかったのに」

そう笑いながらも「ひとりひとりが、みんな違ってこそ、生まれてきたかいがある」と力を込める。「人と同じじゃなきゃいけない風潮を確かに感じますけれど、それはとてもつまらないことですものね。人と自分を比べないことよね。比べるから、あたしのほうが劣っているとか、あの人のほうがきれいだとか、自滅の方向へゆく。本当はそうじゃない。自分は自分、ひとりひとり、個々、自分らしくあっていいのじゃないかなって」

「続 窓ぎわのトットちゃん」(同・2023年)の前半では、父の出征や青森での疎開生活など、少女時代の戦争体験を書いた。続編執筆のきっかけはウクライナ戦争だという。本書のあとがきでは、76年から司会を務めるテレビ番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)で俳優たちから戦争の話を聞き続けてきたこと、22年暮れの放送で、ゲストのタモリに翌年がどんな年になると思うかを尋ねた際「新しい戦前になるんじゃないですかね」と返ってきたことにも触れた。

「『新しい戦前』というのは、戦前がもう一度くる、という意味にとらえました。今がそれほどひどいとは思いませんけれど、気をつけないと、とはすごく思います」

「前の戦争のときは、はっと気づいたら戦争が始まっていたとみんなが言うんですよね。ある日突然、アメリカとイギリスと戦争を始めますっていうラジオを聞いて、びっくりしたって。気をつけないと」

戦後、女学校から音楽学校を経て、NHK劇団で俳優としての道を進むトットちゃんの姿が続編の後半につづられる。日本でようやくテレビ放送が始まろうというときに、米放送局NBCのプロデューサーが話した言葉が心に残っているという。

「その人は、テレビはこれから一番大きいメディアになるだろう、外国の結婚式も、何を食べているかも、戦争までもがテレビで見ることができるようになるかもしれないといい、願わくば、テレビを通して永久の平和が来ることを望んでいるとおっしゃったんです。それであたしは、テレビに出ることが平和の手助けになるならうれしいと思って」

しかしながら「永久の平和」には遠い現実が、世紀をまたいでなお続いている。それでも、テレビの持つ可能性を語る。「ウクライナのことひとつ取っても、皆がテレビで見て、ああ嫌だな、(戦争は)ないほうがいいと感じるだけでも、テレビのしている仕事は、まだ捨てたもんじゃないと思っています」

どんな世相にあってもトットちゃんは自ら楽しみを見つけ、まわりの人に心を寄せる。その姿が多くの読者の心をつかんできた。前を向いて生きるために、いまの時代に必要なことは何だと考えるか。

「やっぱり、人に親切にすること。困っている人がいたら手を貸すとか、ちょっと声をかけることが、もっとあってもいいんじゃないかなって思いますね」

(桂星子)