真摯に(2024年2月26日『しんぶん赤旗』-「潮流」)

 岸田首相が「政治とカネ」の問題をめぐる国会論戦で「真摯(しんし)」という言葉を連発しています。いわく「真摯に反省する」「真摯に向き合わなければならない」等々

▼『広辞苑』によれば「まじめでひたむきなさま」。実態とのあまりの乖離(かいり)に噴飯ものですが、耳あたりの良い言葉をふりまいて国民の目くらましを図るのは、政権の姑息(こそく)な常套(じょうとう)手段のようです

▼日本在住のカナダ人翻訳家イアン・アーシー氏が、著書『ニッポン政界語読本』(単語編・会話編全2冊、太郎次郎社エディタス)で、人心をもてあそぶ空虚かつ心地よい言葉を「もふもふ言葉」と名付けて紹介しています

 

▼まずは「寄り添う」。歴代首相が「沖縄の皆さんの心に寄り添い」と言明しているが、これは「寄り切る」の間違いではないのか、いっそ「米国防総省の皆さんの心に寄り添い」とすれば言行一致で潔いのでは、と進言。「共感」も現首相お得意の空文句です。「信頼と共感の政治を全面的に動かしていきたい」という決意も、「不信と反感の世論」であえなく挫折したと揶揄(やゆ)します

▼「感動」「希望」「安心」の浅薄さ。「原則として」「総合的」「俯瞰(ふかん)的」「適切に」「不適切な」の、いかようにも解釈変更可能な曖昧さ。「デジタル」「レガシー」等カタカナ語のハリボテ感。武力行使=「積極的平和主義」に至っては、崇高な理想の骨抜きではないかと警告します

文は人なり。言葉の空洞化は、政治の空洞化。自ら発した言葉に真摯に責任を持つことから始められてはいかが。