佐賀の乱150年(2024年2月20日『佐賀新聞』-「有明抄」)

 評論家の谷沢永一さんが歴史的な事象の捉え方について書いている。「国家や人間を判断するのに、悪玉か善玉かという両極端でしか捉えられぬ硬直から、歴史の真実は見えてこない。既に起こった事柄はそれ自体が善でもなく悪でもない」

◆将来、どう位置づけられるかは分からない。世界各地で起きている紛争も善と悪では語れない複雑さがある。世の中の事象はその時々の権力や社会情勢などによって評価され、歴史として残される

◆1874年2月16日、県庁が置かれていた佐賀城に駐屯する政府軍との戦闘が始まった。今年は「佐賀の乱」から150年。江藤新平島義勇らは反乱の首謀者として処刑されたが、近年の研究で評価は変わってきている

特別企画展 佐賀の乱と武雄

◆当時の政府からみれば許されない反乱だろうが、一方で、権力闘争の末に江藤らを排除するために追い込んだという見方がある。佐賀に戻ったのは蜂起のためではなく、士族の不満を鎮めるために帰郷して巻き込まれたとする捉え方である

◆江藤の視点で「佐賀の乱」を考える特別展が来月15日から、佐賀城本丸歴史館で開かれる。県の新年度当初予算案には江藤の「復権」を図る映像制作などの事業費も盛り込まれている。悪玉か善玉かの硬直を解いて俯瞰(ふかん)すれば、どんな真実が見えるのか。歴史の面白さに触れる機会になりそうだ。(知)