やめたら原発OKになっちゃうから…毎週金曜「反原発ソング」集会が500回 「よく続いた。ほぼ意地」(2024年2月16日『東京新聞』)

東京電力福島第1原発事故発生の1年半後の2012年9月から毎週金曜夜、市民有志が東京・永田町の坂道で反原発のメッセージソングを歌う活動が500回を迎えた。再稼働にとどまらず、建て替えや運転期間の延長などの推進策が次々と決定される中、参加人数は減っても「私たちは黙らない」。強い意志を胸に反原発を訴え続ける。(小形佳奈)

◆夕刻、議事堂近くの路上で

 原発を止めて 風や太陽エネルギーに替えて 明日も笑顔で暮らしてゆける そんな世界が一番
国会議事堂の見える歩道で歌う森理子さん(右)ら=東京都千代田区で

国会議事堂の見える歩道で歌う森理子さん(右)ら=東京都千代田区

 カーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」のメロディーに乗せた歌詞には、反原発への思いが込められている。
 今月2日の金曜日午後6時半過ぎ、国会議事堂の南側を東に下る茱萸(ぐみ)坂。「反原発うたいたい」と銘打つ市民活動には15人が集まった。最近は5、6人で歌うことが多かったが、500回目のこの日は、いつもより多めの人が駆けつけた。
 「500回です。よくぞ続いてまいりました。ほぼ意地です。やめたら(原発を)オッケーにしちゃってる気がするから。みんなが帰ってこられる場所、持ってて良かった」。アコーディオンを抱えた森理子(まさこ)さん(63)=東京都調布市=が参加者に呼びかけた。

◆歌なら参加しやすいと勧められ

 福島原発事故を契機に結成された市民団体「首都圏反原発連合」が首相官邸前で12年3月、原発再稼働に反対するデモをスタート。6月のデモには20万人が参加するなど大きな盛り上がりを見せた。
 森さんたちは官邸前デモから半年ほど遅れ、勤労者の音楽団体「日本音楽協議会(日音協)」の活動の一環で歌い始めた。会員外にも広がったことから翌13年8月に「うたいたい」と名付けた。日音協東京都支部事務局長でもある森さんは「当時、仲間と集会やデモに参加すると、シニアの人から『歌だとより参加しやすい』と言われた。やる価値がある、となった」と振り返る。

◆オリジナル曲も50を超えた

アコーディオンを弾きながら歌う森理子さん

アコーディオンを弾きながら歌う森理子さん

 当初は数曲だった「オリジナル」の反原発ソングは50曲を超えた。参加者が歌謡曲や童謡をもとにつくった替え歌もあれば、日音協の先輩で「かあさんの歌」を作詞作曲した窪田聡さんが一から制作した「あたりまえの地球」もある。暑い日も雪の日も、参加者が一人の日でも歌ってきた。仲間が亡くなった時は「その人の分まで歌おう」と結束を深めた。
 20年春からの新型コロナウイルス禍中は活動を中断、21年3月には官邸前デモが休止し、「うたいたい」をどうするか迷う時期もあった。それでも続けてきたのは「茱萸坂は『ご縁の場』」と森さん。米軍基地問題や護憲など他の活動にも軸足を持つメンバーが週に1度、一緒に歌い、また来るね、と言える場所だから—。

◆事故から13年、沈黙しない

 未曽有の事故からまもなく13年。脱原発が進まないからこそ、活動を止められない。森さんはきっぱり言う。「沈黙は承認を意味する。1人でも黙っていない人がいると示したい」

 福島第1原発事故後の原発政策 2011年3月11日の東日本大震災による大津波福島第1原発事故が発生。原発では今も汚染水が発生し続け、23年8月から浄化処理後の水の海洋放出が始まった。1〜3号機内に残る溶け落ちた核燃料(デブリ)は、取り出せる見通しはない。政府は22年12月、事故後は想定してこなかった原発の建て替えについて、廃炉を決めた原発で実施する方針に転換。23年5月には原発の60年超運転を可能にする改正法が成立し、積極活用に踏み出している。