歌手・水森かおりさん 思い出いっぱいの「輪島朝市」いつかまた歌えるように(2024年2月13日配信『東京新聞』)

地震で被災した能登半島ゆかりの著名人からのメッセージを随時掲載します。今回は、各地を舞台にした曲を歌い「ご当地ソングの女王」とも呼ばれる歌手の水森かおりさんです。
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能登が…テレビにくぎ付けに

 地震のときは休みで家族と過ごしていました。テレビをつけたら震源地が能登だったので驚いて。去年のゴールデンウイーク、小松市でのイベント中に大きな地震に遭ったんです。それ以上の揺れを観測していたので大丈夫かなって。テレビにくぎ付けになりました。
 2008年に「輪島朝市」という曲をリリースし、朝市通りの入り口付近に歌碑も建立してもらいました。通りのお店にCDを置いてもらったことも。おじいちゃん、おばあちゃんたちに、たくさん「頑張ってね」って言ってもらいました。
「輪島朝市」の思い出を語る水森かおりさん=東京都千代田区で

「輪島朝市」の思い出を語る水森かおりさん=東京都千代田区

 何度も朝市通りを歩きました。キリコ祭りに参加したり、花火大会のステージで歌わせてもらったり。「白米千枚田」の一画を1年間限定でいただいたこともあります。地元の人たちのアドバイスを受けながら稲刈りをしました。自分の田んぼで育てたお米を食べさせてもらったのは、貴重な経験でした。

東日本大震災で歌わなくなった「松島紀行

 東日本大震災の前年に、宮城県の松島を舞台にした「松島紀行」っていう曲を出したんです。だけど、震災があったから、しばらくその歌は歌わないようにしていました。でも後に松島を慰問で訪れた際に地元の方に「かおりちゃんそれは逆だよ」「歌で松島の風景を全国に届けて私たちの背中押してほしい」って言われて。そのときのことを思い出します。
 でもやっぱり、今、「輪島朝市」を歌えるかっていうと葛藤があります。今は歌より必要なものがあるんじゃないかと思いますし、本当に現地は大変な状況で、邪魔になってはいけないし。自問自答しながら、自分にできることを精いっぱいやっていくしかないかなって。「輪島朝市」のときにお世話になった市職員には「何かできることがあれば、言ってほしい」とだけ伝えています。
 いつか「かおりちゃんの歌を聴きたい」って思っていただけたなら、すぐにでも飛んでいきたいです。これからも輪島に寄り添っていきたいし、一日でも早く元の生活に戻って、みなさんと笑顔で再会できることを願っています。

 水森かおり(みずもり・かおり) 1973年、東京都生まれ。さまざまな地域を舞台にした曲を歌っており「ご当地ソングの女王」とも呼ばれる。2003年にリリースした「鳥取砂丘」がロングヒット。現在、21年連続でNHK紅白歌合戦に出場している。