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10月の衆議院選挙で、自民・公明の与党が過半数を割り込んだ。2009年に自民党が政権を失って以来のことだ。50議席増やした立憲民主党が、存在感を増している。党首の野田佳彦氏は、政権交代を果たした民主党で代表となり、2011年から12年まで首相を務めていた。野党時代の自民党総裁だった谷垣禎一氏の目には、どう映っていたのか。※本稿は、谷垣禎一、水内茂幸、豊田真由美『一片冰心 谷垣禎一回顧録』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。
《国会は衆参で多数派が異なる「ねじれ」となり、与野党の対立は激しさを増した。政権運営に行き詰まった菅直人氏は2011年3月11日、参院決算委員会で自らの外国人献金問題を追及され、命運が尽きようとしていたが、東日本大震災の発生を受け、与野党の攻防は一時休戦となった》
3月11日の朝は、他の自民党幹部と「もうあと一歩だな。頑張ろうぜ」という話をしていたんです。地震が起きたのは、その後でした。大津波が東北の沿岸部を襲う映像を見て、「これはもうけんかをしている場合じゃない」と思いました。
あのとき、私が「自民党ってすごいな」と感じたのは、党所属議員がみんな党本部に集まってきて、必要な対応について議論を始め、その内容をメモにしていったことです。そうやって考えたことは、けんかに使うのではなくて、彼ら(政府・与党)に使ってもらえたらいい。こういうときは協力してやっていかないと、どうにもならないですから。
● 野田佳彦が相手だったら 手を組んでもよかった?
《約1週間後、菅氏は震災からの復興を大義名分に、谷垣氏に副総理兼震災復興担当相としての入閣を要請した。野党首脳を閣内に取り込むことで、事実上の「大連立政権」樹立を狙ったが、違和感を覚えた谷垣氏は拒否した。菅氏は打診の前にも、谷垣氏と近い加藤紘一元自民党幹事長やマスコミ関係者を通じ、秋波を送っていた》
これは大連立を組まないとだめかなという議論はいろんなところであったし、私自身も「正式に申し込まれたら受けざるを得ない」という考えが基本にありました。この震災に関しては当然、協力できることは協力しなきゃだめだと思っていたからです。大事なのは、そのためにどんな手順を踏むかだと考えていました。大島理森さんら党幹部とも、そういう話をしました。
だけど、菅さんの持っていき方に「そうじゃないんじゃないか」と感じたのです。不信感や不透明感が常に漂っていて、彼の周辺から何となく「これで自分の起死回生があり得る」というにおいを感じました。基本的な信頼感がなかったんでしょう。それまで菅さんとほとんど接点がなかったのもよくなかったのかもしれません。
一方で、後に野田佳彦元首相とは(民主、自民、公明各党による「社会保障と税の一体改革」の)三党合意をまとめたわけですが、あのときは野田さんと直接的にも間接的にも相当話をした上で「彼は本気で信頼できるな」と感じたのです。あんまり簡単に仮定の話をしちゃいけないけれど、大連立構想も相手が野田さんだったら、実現していたかもしれませんね。
● 財源無視の空想政治家とは違う 野田佳彦には異質なものを感じた
《2011年9月、野田佳彦内閣が発足した。民主党政権で3人目の首相。野田氏は東日本大震災からの復旧・復興を最優先課題とする一方、財政健全化は待ったなしだとして、「社会保障と税の一体改革」の実現にも意欲を示した》
無駄を排除すれば財源は捻出できると主張し、マニフェストに子ども手当や農家の戸別所得補償制度などを掲げましたが、それだけの財源をひねり出すには増税するか、国債を大量に発行するか、みんなが悲鳴を上げるような歳出削減をするしかないところまで、あのときの日本の財政はきていました。
それを全然わかっていないところから鳩山由紀夫政権は出発し、案の定、財源を見つけられなかった。次の菅直人政権は、消費税増税の必要性にある程度気づいていました。そこへ東日本大震災が起きて、復興財源の確保も課題となったのです。
ただ、「自民党が提案している税率10%を参考にしたい」という菅さんの言い方は、「自民党がそれをしょって川を渡るのなら自分もおんぶしてもらおう」という印象を受けました。一方、野田さんからは「自分の手でその問題を解決したい」という感じがすごくしましたね。
● 「小沢一郎が出ていってもいい」 党を割ってもやり遂げる野田の気迫
《2012年2月の党首討論で、谷垣氏は民主党内に消費税増税への強い反発があることを踏まえ、野田氏に「本当にやれるのか。足元を固めてほしい」と迫った。これに対し、野田氏は「51対49の党内世論でも、手続きを踏んで決めたらみんなで頑張っていくことを示していきたい」と答弁した》
党首討論で野田さんに協力を求められ、私は「先に党内をまとめなきゃだめなんじゃないですか」と投げかけました。そうしたら野田さんは「自分の党が半分に割れてもやる」という趣旨のことを答えましたよね。彼はそうやって気迫を正面にぶつけてくるスタイルなんですね。そういう正面を切るスタイルが、私に「こいつは本気だな」と思わせたのだと思います。
《同年6月、民主、自民、公明の各党は、当時5%だった消費税率を2段階に分けて10%へ引き上げる「社会保障と税の一体改革」の三党合意をまとめた。8月の三党の党首会談では、関連法案が成立したら「近いうち」に信を問うことで合意。民主党は関連法案に反対する議員の集団離党で分裂した。衆院解散は「近いうち」の合意から約3カ月後だった》
こちらの思惑としては、「近いうち」はもうちょっと近いうちじゃないかと思っていました。野田さんとしても「もう少し早くしないと具合が悪いかな」という気持ちがあっただろうし、こちらの思惑は百も承知だったと思います。自分の党をまとめるのに苦労したのでしょう。「近いうち」をめぐる違いは若干出てきちゃったけど、よくやってくれたと思いますよ。
どうして菅さんとは大連立構想の話がまとまらなくて、野田さんとは三党合意ができたのか。
1つは、相手が考えていることをお互いによくわかっていたからだと思います。あのとき、私が財務相だったときの事務方と、野田さんの周りで税に関する立案をしていた人たちが、全く重なっていたんですね。共通の財務官僚を通じて、私の考えていることが野田さんに正確に伝わっていたと思うし、私も野田さんの考えていることを相当正確に知っていたと思います。その差は大きかったでしょうね。
与謝野馨元財務相もキーパーソンの1人でした。下野した自民党を飛び出し、たちあがれ日本からも離党して、民主党政権に参加していましたが、もともと財政再建の考え方は私と非常に近かった。向こうが案を作る上での重要人物になっていたと思います。
そして何より、野田さんの気迫と度胸。ああいう人を党勢拡大に生かせないようでは、今の野党はどうしようもないと思います(編集部注/筆者の執筆時点では、泉健太体制下の立憲民主党において、野田は名誉職の最高顧問にまつりあげられていた)。
● 対立する政党であろうとも 敬意を持って話せる相手をつくれ
《引退から7年たった今も、政界関係者らの面会依頼は絶えない》
現役の政治家や閣僚のころ一緒に働いた官僚たちが時々、訪ねてきてくれるんです。私がかつてやっていたこととか、それを踏まえて今どうみているかとか、そういったことは聞かれたら答えるようにしています。ただ、今の政治のトピックスに関しては、あんまりOBが口を出すものじゃない。現役の人たちがやるべき仕事ですからね。
後輩議員には、党派が違っても敬意を表することのできるカウンターパートを得てほしいと思います。私にとって野田佳彦元首相がそうだったようにね。
米国では民主党と共和党の対立が激化し、韓国でも肝心なときに保守と革新が対立しています。そういうのを見ていると、立場の違う相手を罵倒し誹謗するだけじゃなくて、何か協力し合うこともないと、いざというときに国の選択を誤ることにもつながりかねないという気がするんです。
もちろん、なあなあではいけないし、国対政治がいいとはいいませんが。
谷垣禎一/水内茂幸/豊田真由美
谷垣 禎一 (著), 水内 茂幸 (著), 豊田 真由美 (著)
・月刊WiLL 24年8月号(6月26日発売)
評者:岩田温さん (政治学者)
・週刊新潮 7月4日号(6月27日発売) 「15行本棚」
・読売新聞 8月18日付 書評欄「本よみうり堂」
政治資金と派閥問題、渦巻く政治不信、戦争と国際秩序の機能不全……
いま、時代の岐路に立つ日本の現代社会。
2009年の政権転落から約3年での政権復帰──いかにして、谷垣総裁は自民党を立て直し、国民からの信頼を取り戻したのか。今まさに振り返るべき「谷垣イズム」の源流を探る貴重な証言集。
2024年現在、自民党は政権復帰した2012年以降で最も深刻な危機に瀕している。
「自民はなぜ、十五年前に政権を手放すことになったのか。苦しい野党時代にどんな目に遭い、国民の信頼を取り戻すためにどんな努力を重ねたのか。その記憶が薄れているのではないか」
2024年3月初旬、谷垣氏に今の自民の窮状をどう思うか尋ねると、苦笑いを浮かべながらこんな答えが返ってきた。
自身も「十年程度は野党だと思った」と振り返る2009年の転落により、久々の野党総裁となった谷垣氏。そこから綱領の改定や「ふるさと対話」を開始するなど地道な努力を重ね、党を立て直し、結果、三年三カ月で政権を取り戻した。その努力は、氏のそれまでの半生からくる信条と人間性に裏打ちされたものであった。
本書では、「谷垣禎一」という一人の人間の生き様を出生から現在までたどることで、その信条がどのように育まれていったのかを探り、政権復帰を成し遂げた「谷垣イズム」の源流を見つめ直していく。「加藤の乱」や政権復帰を目前とした総裁選に不出馬を決めた所以など、戦後から現代までの日本政治史の一端を記す貴重な証言集でもある。
また2016年の自転車事故により、首から下が不自由になるという重傷を負った谷垣氏。悲壮感なくリハビリへ向き合う姿勢、リハビリ病院での交流、そしてパラリンピックをどう観たのか……そこにもまた、谷垣氏の人間性の一端を垣間見ることができる。
大島氏との対談では菅直人元首相からの大連立の打診を断った真相が初めて具体的に語られる。
小林氏とは、今の自民党が何をしなければならないのか、率直な議論が展開された。
本書を通じ、自民を立て直した「谷垣イズム」が、危機に苦しむ日本政治の良薬となって届くことを期待したい。
【目次】
序章:政治不信にどう向き合うか
第一章:火中の栗を拾う ~下野時代の総裁(2009~2012)
第二章:花も嵐も踏み越えて ~日本の戦後と政治家人生のはじまり(1945~1999)
第三章:信なくば立たず ~加藤の乱と平成政治の決算(2000~2009)
第四章:返り咲きの苦心 ~法相・幹事長 第二次安倍内閣 (2012~2016)
第五章:徳は孤ならず ~リハビリとパラリンピック(2017~2024)
終章:誠は天の道なり、これを誠にするは人の道 ~後輩に贈る言葉
《特別対談》
「合意形成と議会政治」
×小林鷹之氏(元経済安全保障担当相)
「自民党は今何をすべきか」