「昔の名前で出ています」は1975年に小林旭が歌った大ヒット曲だ。小林の代表作と世評も高い。一方、「昔の名前しか出ていない」と呆れられているのが立憲民主党。代表戦が9月23日の投開票と決まったことから、時事通信は8月8日、「『第3の候補』模索続く 推薦人20人高いハードル―立民代表選」との記事を配信した。
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時事通信が《代表戦への出馬が取り沙汰される議員》と報じたのは8人。年齢が若い順からご紹介しよう。
翌15日に岸田首相は閣僚に対し「総裁選挙に立候補する場合には、職務に支障のない範囲内で、気兼ねなく堂々と論戦に臨んでもらいたい」と発言。“ポスト岸田”を選ぶという総裁選の号砲が鳴ったことを、首相自らが印象づけた。
自民党の弥縫策
「もともと岸田内閣は低支持率に苦しんでいましたが、そこに裏金事件が直撃しました。有権者は怒り心頭となり、静岡県知事選や衆院島根1区の補選では敗北。東京15区と長崎3区の補選では候補者を擁立できず、不戦敗でした。自民党内では『岸田首相では選挙が戦えない』という不満の声が渦を巻きましたが、首相は出馬に意欲を示していたのです。それが一転して不出馬となり、『最後の引き際だけは潔い』と首相を評価し、新しい総裁に期待するとSNSに投稿する有権者も増えてきました」
一気に自民党総裁選に注目が集まり、立憲民主党の代表選は影が薄くなった。おまけに立民は顔ぶれも代わり映えしない。特に枝野、野田、馬淵の3氏は民主党政権のイメージが強く、「昔の名前しか出ていない」との批判が殺到する原因になっている。
岸田首相とバイデン大統領
代表的な意見をXからご紹介しよう。一部の投稿は誤記の修正や、改行を省略するなど、手を加えた。
《自民党も酷いが、立憲民主党も古株ばかり。新しい人材は居ないの? 》、《岸田首相の不出馬表明で、自民党総裁選が事実上開始。話題性に欠ける立憲民主党の代表選はますます空気に》、《こんな代表選に誰も興味ない》──。
「自民党は裏金事件の責任を全く取っていません。総裁という“表紙”を変えることで世論が変わることを狙っており、これは許されることではないと念を押しておきます。その上で、岸田さんが不出馬を決めたという第一報に接した時、脳裏に浮かんだのはアメリカのバイデン大統領でした。ご存知の通り、大統領は7月21日に大統領選からの撤退を発表しました。この決断は有権者に高く評価され、民主党には追い風となったのです。同じ効果を狙って、岸田さんは不出馬を決断したのかな、と思ったのです」
さらに伊藤氏は「岸田さんが宏池会という派閥の出身者だったことも、不出馬の決断に少なからぬ影響を与えたかもしれません」と言う。
お公家集団の“宏池会”
「宏池会は池田勇人氏が創立した名門派閥で、今も自民党の“保守本流”を自認しています。なおかつ、昔から『政策通の議員も多いが、政争は苦手なお公家集団』という派閥でもありました。政争に弱いという代表例としては2000年に加藤の乱を起こした加藤紘一さん、2012年に総裁選再選を断念した谷垣禎一さんが挙げられます」(同・伊藤氏)
加藤の乱とは、当時の森喜朗内閣に対する不信任決議案を野党が提出しようとした際、加藤氏が同調する動きを見せたことを指す。加藤氏は加藤派のトップとして宏池会を率いていたが、所属議員をまとめきれず、乱は不発に終わった。
加藤の乱が失敗に終わり、宏池会は分裂。2005年9月に谷垣氏が会長に選出され、谷垣派が誕生した。さらに09年7月の衆院選で民主党が政権交代を実現すると、9月に行われた自民党総裁選で、谷垣氏が総裁となった。
巨大野党である自民党と対峙していくうち、次第に民主党政権の支持率は下がっていく。自民党の政権奪回が現実味を帯びてきた2012年の総裁選で、総裁である谷垣氏は当初、再選を目指す意志を鮮明にしていた。ところが党内では支持が広がらない。最終的に谷垣氏は出馬断念を決断せざるを得なくなる。
立憲民主党の“密室政治”
野党時代と与党時代という違いはあるとはいえ、共に宏池会を率いていた谷垣氏と岸田首相が総裁選で再選を果たせなかったという根幹部分は非常に似ている。
「自民党は一応、複数の派閥が解散したことになっています。実際は今も水面下で“派閥の論理”が幅を利かせているのですが、立候補を巡る自由な発言を見ると、あたかも派閥の枠組みが消滅したかのような印象も受けます。自民党が『少しは変わったかもしれない』と感じさせる“演出”を行っているのに対し、立民はあまりに旧態依然としています。枝野さんは出馬にあたり、党内最大勢力のサンクチュアリに挨拶をしました。サンクチュアリは旧社会党系が中心の議員グループです。また、小沢一郎さんは人事を巡る私怨で“泉おろし”に動き、先日は野田さんと会合を持ちました。いずれも有権者の目が届かない場所での動きで、これでは自民党がかつて批判された“密室政治”そのものです。今の立民は昭和の自民党より自民党らしい組織になっているのかもしれません」
旧社会党の悪弊
「しかし残りの半分は、やはり立民に原因があると思います。私が事務局長を勤めていた当時の太陽党や民主党で、スタッフは議員をマスコミに取り上げてもらおうと様々な努力を重ねていました。一方、私が全国紙やNHK、民放キー局の政治部記者と話をしていると、彼らは立民のマスコミ対応に強い不満を持っています。これでは立民の若手議員にスポットライトが当たるはずがないと言わざるを得ません」
政治とカネを巡る問題で、自民党は説明責任を果たしていないし、国民が納得する再発防止策も打ち出せていない。
「結局、立憲民主党とは、小池百合子さんの“排除の論理”で追い出された残党中心の集まりであることもあって、あちらこちらに旧社会党の悪弊が残っています。かつて社会党は野党第一党であることを最優先とし、政権奪取を目指さず、55年体制の枠内で安閑と政治活動を行ってきました。今の立民も非常に似ており、だからこそ代表選に注目が集まらないのです。多くの有権者から『立民は批判だけ』という批判が出る原因もそこにあります。立民がしっかりとした政策と国家ビジョンをまとめ上げ、自分たちの手でスター議員を育て上げなければ、政党支持率を回復させることなど夢のまた夢でしょう」(同・伊藤氏)
デイリー新潮編集部