映画『拳と祈り―袴田巖の生涯―』、袴田さんと姉・秀子さんの闘いを22年間追い続けた監督を突き動かした衝動(2024年10月20日『JBpress』)

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ボクシングの神社に参拝 ©Rain field Production
 『拳と祈り―袴田巖の生涯―』という映画が、10月19日から順次公開される。58年前、静岡県で一家4人が犠牲になった強盗殺人放火事件。本作品は無実を訴えながらも死刑囚となり、47年7カ月の獄中生活を強いられた袴田巖さんと、弟を信じ、支え、帰りを待ち続けた姉・秀子さんを追った長編ドキュメンタリーだ。再審開始決定と同時に死刑囚のまま釈放されるという異例の事態の中、2人に寄り添い、22年間にわたって取材を続けた笠井千晶監督。笠井氏と親交のあるジャーナリスト・柳原三佳氏が話を聞いた。
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■ 常に歩き回っているのは長期拘留による拘禁症状、映像でなければ伝わらない
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 (柳原 三佳・ノンフィクション作家)
 ――今年8月に行われた試写会で150分を超える作品を観させていただきました。本当に心を揺さぶられました。まさに、映像で真実を伝える貴重なドキュメンタリー作品です。歴史に残る傑作だと感じました。
 笠井千晶監督(以下、笠井) ありがとうございます。あの時点ではまだ再審無罪判決が確定していなかったので、確定後に再編集して、完成版を仕上げました。
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笠井千晶監督
 ――袴田さんは釈放後もご自分の精神世界を持ち、自由の身となってからもご自宅の部屋の中や近所をずっと歩き続けておられました。あの状況は、映像でしか伝わらない、精神医学的にも大変貴重な記録と言えるのではないでしょうか。
 笠井 そうですね、袴田巖さんという、死刑囚としては世界でも例のない長期の拘留を経験された方に現れている拘禁症状、その現実は、実際に映像で見なければなかなか理解できないものだと思います。
 ――巖さんにとって「歩く」ということは、どのような意味をもつのだと思われていますか。
 笠井 もともとプロボクサーのスポーツマンですので、「歩いている限り、自分は大丈夫だ」という思いがあったのではないでしょうか。あの行動は拘置所時代から始まっていて、同じことをずっとされてきたそうです。
 罪など犯していないのに47年7カ月も自由を奪われ、死刑囚となった後は、明日、執行されるかもしれないという恐怖におびえながら毎日を過ごす……、その苦しみは想像を絶するものです。死刑の残虐性というものを考える意味でも、記録する意味の重さを感じていました。
■ 22年前、監督自身もよく知らなかった事件
 
 ――笠井さんと初めてお会いしたのは今から20年くらい前でした。私が名古屋で交通事故に関する講演をしたとき、聴きに来てくださったのですよね。
 笠井 そうでしたね。私がまだテレビ局に勤めている頃でした。
 ――あの日私は、ずさんな捜査で「死人に口なし」的な処理をされている事案をいくつか取り上げたのですが、講演後の懇親会で笠井さんがおしぼりを強く握りしめながら、「あんな理不尽なことがあるなんて、なんで、なんで!  と思いながら聴きました」と、熱く語っておられたんです。第一印象がとても物静かな雰囲気だったので、そのギャップに驚いた記憶が今も残っています。すごく気骨のある方なんだなあと。
 笠井 実は私、昔からそうなんですが、印象と行動があまりにも違うとよく言われるんです。一見、ソフトな、女性っぽい人に見られるんですが、ひとりでどこへでも行ってしまうし、どんな環境でもまったく平気。自分の内面の意識と人から見られる印象が乖離しているんですよね。
 ――内に秘めるパワーというか、信念というか、本当に強いものをお持ちなんだと思います。今回の作品もこれほど長い年月、ぶれることなく記録を続けられたからこそ完成したわけですが、そもそものきっかけは? 
 笠井 私が静岡放送で報道記者をしているとき、袴田事件のドキュメンタリーを作ることになりました。2004年のことです。当時、この事件は世の中から見向きもされず、光が当たっていませんでした。私も2002年に静岡県警の記者クラブでレクを聞くまで詳しいことは知らなかったのです。
 ――まず、何から始められたのですか。
 笠井 事件について閲覧できる証拠や裁判資料をひとつひとつあたっていきました。その作業の中で、巖さんが犯行に関わることはどう考えても不可能、つまり本件は無罪だと確信したのです。
 獄中で誰にも知られず、明日、死刑が執行されるかもしれないという恐怖の中におられる巖さんのことを思うと、このまま放っておくことはできない、この人のことをもっと知りたいという強い気持ちが湧き上がってきました。
 ――それでも、巖さんと直接会うことはできませんでしたよね。
 笠井 はい、死刑囚は、基本的には家族と弁護士以外は会えないので。そんな中、巖さんが獄中から家族に手紙を送り続けていたことを知り、ぜひそれを見たいと思いました。そして、秀子さんというお姉さんが浜松市にいらっしゃると聞いて、すぐに会いに行ったのです。
 とにかく、巖さんという人の存在に対して、居ても立ってもいられない、そんな気持ちでしたね。
■ 「釈放されただよ」
 ――秀子さんとはそこからのお付き合いなのですね。
 笠井 もう22年になります。とにかく、日常の邪魔をせず、ということを最優先に撮影させていただきました。今は、取材者というより、親しい友人のように接していただいています。
 ――映画を見ていると、笠井さんがどれほど袴田さんのご家族に信頼されているかがよくわかります。毎月のように東京拘置所へ面会に行く秀子さんの姿、そして、2014年3月、巌さんが47年7カ月ぶりに釈放された日にも、笠井さんはメディアとして唯一、同じ車に乗り、カメラを回しておられましたね。
 笠井 あの日は、マスコミに囲まれたり、弁護士たちにもあちこちから電話がかかってきたり、大混乱だったんです。とにかく巖さんを安全なところに移動させることに必死で、嬉しいとか、よかったとか、そんな感慨に浸る余裕はありませんでした。
 ただ、ホテルの地下駐車場に着いたとき、秀子さんが巖さんに、「釈放されただよ」と言葉をかけられたときには、2人がこうして、何も隔てるものなく向き合えていることに感動し、それだけで胸がいっぱいになりました。そして、自分はカメラを回さなくっちゃ、そういう気持ちになったことを覚えています。
 ――その後も笠井さんのカメラは優しい視線でお2人を記録し続けました。リリースによれば、静岡放送を退社されてから、撮りためた映像は約400時間分に上るそうですね。長年、フリーランスのお立場で、よくぞこうした地道な取材を続けられたと思います。普通はとてもできないことです。
 笠井 締め切りがない中、時間も、お金も、自分で賄い続けて、ひたすら投資し続ける、そんな日々でしたが、私にとってそれは苦ではなく、むしろ喜びでした。今となっては、この作品は我が子のような存在です。
■ 死刑判決を書いた裁判官の運命も一変
 ――150分を超える長編映画ですので、ここではその膨大な内容をとても語りつくせませんが、ご高齢の秀子さんが弟のために日々作っておられたフルーツたっぷりで色とりどりの朝食、また、巖さんにできる限りの自由をと願うお姿には大変感銘を受けました。お部屋の中もいつもぴかぴかで、整然としていますよね。
 笠井 獄中ではなかなか食べることのできなかったフルーツをふんだんに食べさせてあげたいというお気持ちなのでしょうね。また、秀子さんは長年経理というお仕事をされてきたこともあって、職業柄、すべてがきちんとされていて生活全般にいきわたっているんです。お宅はいつ伺っても、散らかっていることは絶対にありませんでしたね。
 ――本当に、いつも凛とされていて、すごい方ですよね。また、この作品の中で私の印象に重く残ったのは、袴田事件の一審に関わった熊本典道元裁判官との再会の場面でした。余命いくばくもない熊本氏の病床に駆け付けた巖さんと秀子さん、2人を前に、熊本氏が振り絞るように投げかけた言葉。二度と戻すことのできない悔恨の日々の重みが、胸に響きました。この方もまた、袴田事件がなければ、このような人生にはなっていなかったのでしょうね。
 笠井 なっていなかったと思います。熊本さんは司法試験にトップで合格し、期待されて裁判官になりました。袴田事件のときはまだ若手で、左陪席をつとめていたのですが、自身は無罪だという心証を持ちながらも、裁判長と右陪席を説得しきれず、不本意ながら死刑の判決文を書くことになったそうです。その後、間もなく裁判官を辞めておられるのですが、この件がなければ、おそらく順調に出世をされていたと思います。
 ――熊本さんは2020年、83歳でお亡くなりになりましたが、笠井さんのおかげで、あの瞬間が歴史に刻まれました。私は過去に裁判官の問題について取材し、本を書いたことがあるのですが、絶対的な階級社会の中、正義を貫けないという現実が明らかに存在していることを本件は突きつけました。こうして、冤罪事件はいろいろなところに波及して、関係した人たちの人生を狂わせるのですね。
 笠井 本当にそう思います。本作は、冤罪や死刑囚という言葉で括られてきた袴田さんを、一人の人として伝えます。明けない夜はない。袴田さんの言葉にぜひ耳を傾けていただきたいと思います。
 ――ありがとうございました。
 『拳と祈り―袴田巖の生涯―』
 10月19日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開

拳と祈り ―袴田巖の生涯―
10月19日(土)公開
釈放当日――。世紀の瞬間の舞台裏を撮った、1台のカメラがあった。
拳と祈り ―袴田巖の生涯―
ⒸRain field Production
2014年3月、東京拘置所。死刑囚の袴田巖さんが、突如釈放された。1966年6月に静岡県で味噌会社専務一家4人が殺害され、放火された事件の犯人とされ、47年7ヶ月もの獄中生活を送ってきた。明日突然、死刑が執行されるかもしれない。そんな恐怖の日々をくぐり抜け、30歳の青年は78歳になっていた。着の身着のままワゴン車で東京拘置所を後にした時、本作監督の笠井千晶が助手席でまわすカメラが捉えたのは、まるで夢から覚めたような袴田さんの表情だった。死刑囚が再審開始決定と同時に釈放されるという、驚くべき事態を当日のニュースは劇的に報道した。その夜、半世紀近く引き裂かれていた姉と弟が枕を並べた。拘置所の壁に隔てられ、想像を絶する苦難を生き抜いたものの、奪われた時間は戻らない。なぜこれほどの試練が与えられなければならなかったのか。言葉にしがたい悲しみや喪失を2人の寝息が静かに包み込む。さらに続くことになる司法との闘いを覚悟しながら、カメラは2人の生活を記録し、対話を重ね、袴田さんの心の内面深くに迫っていく。
プロボクサーとして青春を駆け抜けた袴田さんは30歳で突然、逮捕された。無実の訴えは裁判所、そして世間からも黙殺された。そんな過酷な状況下でも、リングに上がり拳ひとつで闘った遠い記憶は、生き抜くための支えとなっていた。やがて袴田さんは獄中で、自らを「神」と名乗り始める。一方で、釈放され故郷・浜松に戻ってからもボクサーとしての記憶が袴田さんの足を思い出の地へと向かわせる。弟の無罪を信じて闘ってきた秀子さんは、そんな巖さんを明るく見守り、「この映画は、笑ってるとこでも泣いてるとこでも、私は真実のものを伝えてくれればいいと思ってます」と語る。生きて歩く死刑囚——。その存在は、権力によって覆い隠されてきた「死刑」という刑罰の残酷さを、白日のもとに晒す。そして、時に人の理解を超えた袴田さんの言動が意味するものとは何なのか。やがて一つの答えにたどり着く。
釈放から10年の節目に完成する本作は、死刑囚のまま生きることを強いられた、袴田巖さんの闘いの軌跡だ。22年間にわたって袴田さんを追い続けてきた笠井監督は現在もカメラを回し続けている。そして、来るべき再審判決(2024年9月26日)の結末を見届け、いよいよ劇場公開される。
監督・撮影・編集:笠井千晶/出演:袴田巖、袴田秀子
音楽:Stephen Pottinger/整音:浅井 豊/撮影協力:三上誠志、原 徳則、永田靖、福田典嗣(スチール)/デスク:杉浦邦枝/特別協力:川崎新田ボクシングジム
企画・製作:Rain field Production/配給・宣伝:太秦
2024年/159分/16:9/カラー/日本


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