冤罪に向き合う不屈のラジオ放送 自由求める叫びに共感、法は素人のミュージシャンはなぜ番組を続けるのか(2024年9月29日『東京新聞』)

 
 冤罪(えんざい)に焦点を当てた国内でも珍しいラジオ番組がある。裁判の再審請求や無罪判決をテーマに据え、事件の当事者や支援者が胸の内を語り尽くす。2017年から企画と制作を続けるのは、シンガー・ソングライターの夏志(なつし)聡さん(64)=本名・木村聡志。弁護士からも「貴重な場」と評価される番組だが、もともと刑事司法については全くの門外漢だ。何がミュージシャンを突き動かしたのか。(西田直晃、山田雄之)
ラジオの収録で、再審の専門家の話に耳を傾ける夏志さん(右)

ラジオの収録で、再審の専門家の話に耳を傾ける夏志さん(右)

袴田巌さんの姉ひで子さんも出演、無罪待つ身のつらさ語る

 「塀の中の白い花。ほんとに何もやってません」
 夏志さんのタイトルコールが響く。奇数週の月曜午後11時半から、FMたちかわ(東京都立川市)で放送される同名の30分番組だ。9月の計3回の放送では、静岡県の一家4人殺害事件で死刑が確定し、26日に無罪判決が出た袴田巌さん(88)の姉ひで子さん(91)が過去に出演した回を再放送することにした。
 ひで子さんはこれまで、番組に3回出演し、逮捕当時の混乱や母の死、無罪を待つ身のつらさを語った。「自白は強要されたものだと思いましたか?」「逮捕後の報道をどう思っていましたか?」と素朴な疑問をぶつける夏志さん。大事にするのは「素人目線」だ。「とにかく格好付けずに、ひとりひとりの人生を見つめるだけ」。気安さもあってか、ひで子さんはよどみなく、あけすけな本音を口にした。「ひどいことが書かれていた。事件のときは、新聞もテレビも全く見なかった」
 扱うテーマは、再審請求中の殺人事件、裁判で逆転無罪が出た痴漢事件、再審制度そのものや捜査官の取り調べなど幅広い。再放送も含めると、すでに放送は180回を超え、100人以上の当事者や家族、専門家などが登場した。本業の合間を縫い、夏志さんは取材にも駆け回る。録音機材を設置すれば、準備完了。インタビューでは「暗い」「重たい」というイメージの払拭を心掛け、複数のゲストの対談では雰囲気づくりに徹する。音楽番組での経験が役立っている。

◆「固定観念で人の可能性を縮めている」、日本社会に嫌気

 中学時代から音楽家の道に憧れていた。受験前の進路指導の面談で、担任の男性教員に「ミュージシャンになる」と伝えると、話も聞いてもらえなかったが、「気持ちに火が付いた」。
ラジオ番組の企画・制作のほか、冤罪被害者支援のCDや詩集も編集している夏志さん=東京都西東京市で

ラジオ番組の企画・制作のほか、冤罪被害者支援のCDや詩集も編集している夏志さん=東京都西東京市

 大学卒業後、25歳でメジャーデビューするが、曲のタイトルを無断で変更した所属事務所に反発。社長に直談判したが、「あらかじめ話の終着点を決め、本音で話さない姿勢に我慢がならなかった」。すぐに辞め、返還前の香港で作曲活動を始めたり、日本でトラック運転手になったりした。
 「中学の担任も、事務所の社長も、ある意味で日本社会を象徴している。個性を抑え付け、固定観念で人の可能性を縮めていた」。自ら立ち上げたインディーズレーベルでの音楽活動に切り替えた。

◆「布川事件」で再審無罪が確定した故・桜井昌司さんとの出会いが契機

 冤罪と向き合う契機は、茨城県で男性が殺害された「布川事件」で、2011年に再審無罪が確定した故・桜井昌司さんとの出会いだという。14年にドキュメンタリー映画の試写会で、受刑中に桜井さんが自作した歌を披露した際、「狭い獄窓から外を眺め、少年時代や死に目に会えなかった両親に思いをはせる映像が瞬間的に浮かんだ。衝撃だった」。自由を渇望する姿が自身に重なった。「開けっぴろげで、人間くさく、涙もろい」性格の桜井さんと意気投合。体験談を紹介する前身番組「桜井昌司の言いたい放題!人生って何だ!」を15年から開始し、出会いの輪の広がりとともに現在の形に。桜井さんを発起人として、19年に設立された「冤罪犠牲者の会」の事務局長にも就いた。

◆自身は突然のがん告知、でも「自由を奪われた人たちを思えば、続けるしかない」

 今年4月に突然、医師から肺がんの告知を受けた。現在は抗がん剤治療を続けている。「不安は強いが、ぬれぎぬで自由を奪われた人たちを思えば、続けるしかない」。8月には、滋賀県の「日野町事件」の犯人として服役し、刑期中に病死した阪原弘さんの長男、弘次さん(63)が番組に出演し、収録後に「冤罪被害者には自ら発信する場がない。夏志さんに頑張ってほしい」と励まされた。
 ラジオ番組の知名度が高まるにつれ、しばしば獄中からも便りが届くようになり、現在は30人ほどの受刑者と文通している。「冤罪を訴えている人の数は、世間で思われているよりもずっと多い。有名事件ではなく、日の当たらない人にこそ救いの場が必要だ」との思いが日に日に強くなる。

◆身に覚えのない痴漢の罪で起訴、無罪となっても「失うものは大きい」

 身に覚えのない痴漢の罪で起訴され、裁判での闘争の末に無罪を勝ち取った矢田部孝司さん(61)もその一人だ。体験談を番組で語ったことがある。
 2000年12月、西武新宿線の電車内で「性器を押し付けられた」と訴える女性から駅員に突き出され、そのまま逮捕。起訴後には勤務先のカシオ計算機をクビになった。妻の尽力で、元同僚や大学時代の同級生が支援団体を結成したが、一審は実刑判決。70人超の支援者が参加し、実物大の電車模型を活用した事件の再現実験による「犯行は不可能」という証拠を提出したことが、二審の逆転無罪判決につながった。
痴漢冤罪を晴らした矢田部さん。無罪確定でも苦難は続いた=東京都東村山市で

痴漢冤罪を晴らした矢田部さん。無罪確定でも苦難は続いた=東京都東村山市

 だが、現在ほどはネットやSNSが普及しておらず、無罪を世の中に訴える手だてが少なかった。「私は家族や学友の支えがあったが、そうしたサポートを受けられない人も多い」。裁判では多くの友人を失い、復職した会社でも嫌がらせを受け、「無罪になったとしても、何一つ元通りにならない。なくしたものはとてつもなく大きかった」
 無罪後に講演に出たり、本を書いたりした。番組に出演したのも「冤罪被害者はある日突然、逮捕される。軽微な冤罪事件でも奈落の底に突き落とされる。社会に知ってもらいたかった」との思いからだ。

◆「人質司法」が問題、被害者は「相当な数」

 「冤罪被害は本当に誰にも起こり得る」と強調する専門家もいる。弁護士でもある甲南大の笹倉香奈教授(刑事訴訟法)。冤罪被害者の支援、事件の検証に取り組む「イノセンス・プロジェクト・ジャパン」の事務局長だ。
 16年の設立以降、8年余りで700件超の相談が寄せられたが、冤罪が色濃く疑われる事件が「相当数」含まれているという。
 一方、笹倉さんは冤罪に関心を寄せる市民は必ずしも多くないとみる。「体感はさて置き、日本の治安は良くなっており、刑事司法は身近ではない。市民が関心を持たなければ、政治課題として扱われない。国が冤罪を起こさないためにどうするべきか、本腰を入れた検証や是正の動きは生まれにくい」と指摘する。
 袴田巌さんの再審無罪判決では、これまでの物的証拠だけではなく、取り調べ時の暴行や監禁で強要された自白も「実質的な捏造(ねつぞう)」と断じられた。
 「否認を続ければ、身体拘束が続く『人質司法』の問題だ。当時から今まで脈々と残り続けている」
 夏志さんのラジオ番組について、「実際に被害に遭った人の声を日常的に届けることで、冤罪を身近に感じてもらえる機会になる」と評価し、「国内で冤罪分野の専門的な知識を学べる機会は乏しい。『人ごとではない』という意識を社会に広げ、被害者になった場合に自身を守る知識や技術を少しでも身に付けてもらうためにも、各地に広がってほしい取り組みだ」と期待する。

◆デスクメモ

 26日、袴田さんの無罪判決の速報が流れた時、寂しさを覚えた。逮捕から58年の月日はどう取り戻せるのかと。冤罪となった大川原化工機事件でも明らかなように、人質司法や証拠捏造の疑いは昔話ではない。刑事司法を巡る手続きが適正か、一人一人が関心を持つべきだろう。(北)