国の援護区域外で長崎原爆に遭ったため被爆者と認められていない「被爆体験者」に関して、岸田文雄首相はきのう、医療費助成を拡充し被爆者と同等にする救済策を発表した。全ての体験者を対象とし、年内に開始するという。
救済策は高齢化が進む体験者に支援が行き渡る点で異論はない。だが「被爆者並み」というなら、なぜ被爆者と認めず線を引き続けるのか。岸田氏が長崎原爆の日に体験者へ約束した「合理的な解決」とは到底胸を張れまい。
現行の医療費助成は被爆者援護法の枠外で、被爆体験によるうつ病、不眠症などの精神疾患とその合併症や、胃がんなど7種類のがんが対象。申請時や毎年1回の精神科受診を必要としている。対象は約6300人とされる。
救済策は精神疾患の条件をなくし、遺伝性や先天性の疾患などを除く全ての疾病を助成の対象とする。被爆者と同じく医療費の窓口負担はなくなるが、特定の疾病罹患(りかん)で支給される被爆者向けの手当は対象外だ。
地裁判決は、援護区域外の一部地域に放射性物質を含む「黒い雨」が降ったとの判断を示した。提訴した体験者44人(うち4人死亡)のうち、死亡2人を含む15人を被爆者と認めた。29人の訴えは退けたため、新たな線引きが生じてしまう格好になった。
これには納得できない。「疑わしきは救済」という援護法の趣旨に沿えば、放射線による健康被害を否定できない限り被爆者と認めるのが筋だ。広島高裁が3年前、広島原爆の援護対象区域外で黒い雨を浴びたとされる原告全員を被爆者と認めた判決は、その原点に立ち返ったと言えよう。
一方で、国は高裁判決が内部被曝(ひばく)の健康影響を広く認めるべきだとした点は受け入れなかった。体験者に援護対象が広がること、そして東京電力福島第1原発事故の被害認定に波及するのを恐れたからではないか。今回の救済策はその姿勢と変わっていない。
武見氏は「高齢の方が多くいるので速やかに対応した」と強調したが、原爆被害は国が起こした戦争でもたらされたことを忘れては困る。
広島と長崎、被爆者と被爆体験者が分断されたままでいいはずがない。退任を控えた岸田氏による全面解決への期待は大きかった。控訴せず、被爆体験者が被爆者かどうか、これ以上争わなくて済む政治判断をすべきだった。
小さな町役場も、霞が関の中央省庁も。この国の行政を説明するキーワードの一つに「無謬(むびゅう)性神話」という言葉がある。「謬」は〈間違い〉のこと。〈行政は間違いを犯してはならない。現行の制度や政策は間違っていない〉とする考え方をいうようだ
▲確かに、役所が間違えてばかりでは市民は安心して暮らせない。税金で仕事をしているのだから、と誤りを忌避する責任感や使命感にはいちおう敬意を表しておきたい
▲だが“お役所仕事”の安易な前例踏襲や硬直的な対応の多くはこの神話から生まれる。「上級審の判断を仰ぎたい」と裁判の負けをかたくなに受け入れない態度もそうだ
▲職業裁判官が「誤り」を指摘した事実は一度でも重い。行政側は控訴を見送るべきだった。話はそれからだ。医療費助成は被爆者援護施策の大きな柱には違いない。しかし、全てではない
▲ほら、と病院代を投げてよこすような-と書いたら言葉が過ぎるか。「合理的な解決」を目指す約束ではなかったか。問いたい。どこがどう、理にかなっていると言うのか。(智)
長崎で原爆に遭いながら、国の定める援護区域から外れたために被爆者と認定されない「被爆体験者」の44人(うち4人死亡)が、長崎県・市に被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の判決で、長崎地裁は死亡者2人を含む15人を被爆者と認め、手帳の交付を命じた。
争点は被爆者援護法が定める「放射能の影響を受けるような事情の下にあった」かどうかだった。地裁判決は、長崎市などが1999年度に実施した証言調査に基づき、15人がいた旧3カ村で放射性物質を含む「黒い雨」が降ったと判断した。
広島高裁判決は、原爆の放射能による健康被害が「否定できない事情」に置かれていたと立証できれば全面的に救済する画期的な判断を示した。一方、地裁判決は「高度な蓋然(がいぜん)性」の立証責任を原告側に求めた。高裁判決に比べて後退したと被害者が批判するのも無理はない。
戦後80年近くが経過して被爆体験者は高齢化が進み、物故者も相次いでいる。その中で新たな「線引き」をし、立証責任を負わせるのはあまりにも理不尽だ。被害者の間に溝をつくりかねない。
長崎での援護区域は半径南北12キロ、東西7キロの範囲で、行政区画を基にしており明確な科学的根拠はない。不合理な線引きで被害者を被爆者援護から置き去りにし続けることは許されない。広島高裁が示した「疑わしきは救済」を図るのが、政府のとるべき姿勢ではないか。
行政側は勝訴した15人について控訴せず、残る29人にも救済の道を開くべきだ。長崎では被爆体験者が約6300人に上る。手帳交付の審査を担う県と市は被告の立場だが、国には早期解決を求めている。幅広い救済に一体となって努めてほしい。
「被爆体験者」とは長崎原爆の爆心地から半径12キロ圏内のうち、被爆者援護法に基づく南北約12キロ、東西約7キロの援護区域外で原爆に遭った人を指す。被爆者健康手帳は交付されない。広島にその用語はなく、被爆者がいるだけで、「被爆体験者」はいない。
米国による投下から79年となった「長崎原爆の日」の8月9日、岸田文雄首相は現職の首相として初めて被爆体験者と面会し、救済の要望に「具体的な対応策の調整を指示する」と応じた。同席した武見敬三厚生労働相も「早急に合理的な解決方法を検討する」と約束した。
岸田氏は会見で、「体験者の方々は高齢化されている。広島との公平性に関する指摘もあった」とも述べた。
首相の言葉は重い。体験者の方々が被爆者としての認定や本格的な支援に希望を持ったのは当然である。この5日後、岸田氏は突然、退陣を表明した。自民党総裁選に向けて一気に政局が動き、体験者救済の協議は進んでいない。
武見氏は先進7カ国(G7)労働雇用大臣会合出席のためイタリア出張中で、同省の宮崎敦文総括審議官らが対応し、岸田氏の言葉はなかった。
令和3年の広島高裁「黒い雨」訴訟で原告住民84人全員を被爆者認定した判決では、菅義偉首相の政治判断で上告を断念し、確定した。原告以外の同様の被害者についても、「早急に対応を検討する」との首相談話が閣議決定された。首相の決断で、やれることはある。
すでに告示された自民総裁選は27日に投開票され、新総裁が決まる。10月1日にも新首相が指名される見通しだ。
岸田氏に残された任期は短いが、この問題は「時間切れでした」では済まない。高齢の体験者との約束を果たすべく、解決への道筋を明確に形として残す責任がある。首相の言葉が、軽くあってはならない。
被爆者と認められていない長崎の「被爆体験者」が長崎県と長崎市に被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟で、長崎地裁は原告44人のうち15人を被爆者と認定し、手帳の交付を命じた。一方、残る29人の訴えは退けられる結果となった。
国が定める援護区域は長崎市の爆心地から南北に約12キロ、東西に約7キロ。原爆投下の際、この区域内にいて被爆した市民らに被爆者健康手帳が交付され、医療費の自己負担が原則無料となっているが、区域外にいた人は被爆者と認められず、支援は限定的となっている。
今回の判決が、区域外の人についても被爆があったと認めたのは評価できるが、一部にとどめたことで原告団を分断しかねない結果となったのは残念だ。原告は高齢化が進み、既に亡くなった人もいる。これ以上、法廷闘争を長引かせることは避けなければならない。政府は政治的判断を下し、救済拡大に乗り出すべきではないか。
これに対して地裁は、県と市の調査や国の検証などを踏まえ、15人がいた地区で黒い雨が降ったと認める一方、29人がいたそれ以外の地区では、そうしたことが認められないとした。米調査団の記録については、信頼性が低いなどとして主張を退けた。
原告側は「被爆の実態を見ようとしない、行政に忖度(そんたく)した判決だ」と反発。識者からも「被害を小さく見せようとした判決」との指摘があった。
反発が大きかった背景には、2021年の広島高裁判決で、国の援護区域外で黒い雨を浴びたとされる人を含め原告84人全員に被爆者健康手帳を交付するよう命じる判断が下されたことがある。今回の判決ではそれよりも被爆者認定のハードルが上がり、救済への歩みが後退してしまった印象が否めない。
岸田文雄首相は「長崎原爆の日」の8月9日に被爆体験者らと面会した際、「早急に、課題を合理的に解決できるよう指示する」と述べた。その後程なくして退陣を表明したが、言いっ放しでいいはずがない。被爆体験者の切実な訴えを真摯(しんし)に受け止め、責任を持って救済拡大に力を尽くしてもらいたい。
「黒い雨」判決 幅広い被害者の救済が必要だ(2024年9月11日『読売新聞』-「社説」)
原爆の投下から79年が経過し、被害者は高齢化が著しい。国や地元自治体は、被害を幅広く認定し、早期に救済の道を開く必要がある。
原告らは原爆投下時、爆心地から遠くない距離にいたが、国が定める「被爆地域」外だったため、被爆者と認定されなかった。手帳が交付されない「被爆体験者」と位置づけられ、医療費が原則無料の被爆者とは支援に差がある。
判決は、県や市が1999年頃に地元住民の証言を集めた調査などから、被爆地域外の3村に放射性物質を含む「黒い雨」が降ったと認定した。その上で、手帳の不交付は「社会通念に照らし、著しく合理性を欠く」と指摘した。
長崎の原爆投下では、黒い雨が降った地域が限定的で、研究資料も少ない。そのため、判決は過去の住民証言を重視し、一定の被害救済につなげた。
ただ、残る29人の原告らについて、判決は、放射性物質が降った証拠はないとして訴えを退けた。原爆投下後に広範囲に降った灰の影響も認めなかった。
その後、国は新基準を設け、黒い雨に遭ったことを否定できず、がんなどを患っている場合は、被爆者と認定する仕組みを導入した。だが、長崎の被爆体験者については、客観的な記録に乏しいとして救済の対象外としてきた。
被爆者援護法は、原爆という特殊な戦争被害について、国に補償や救済の責務を課す制度である。にもかかわらず、対象となる区域を機械的に線引きし、救済範囲を狭めていることは、法の趣旨にもそぐわないのではないか。
放射性物質が降った地域を厳格に特定しようとすれば、被害の救済はおぼつかない。国は、県や市と連携し、病に苦しむ患者を一人でも多く救済できる方策を検討してもらいたい。
救済の範囲を広げる司法判断で、国や地元自治体は重く受け止める必要がある。裁判に加わっていない人も含め、支援が必要な人が取り残されないよう、改めて幅広い救済が求められる。
長崎では対象区域外で原爆に遭った人を「被爆体験者」と位置付け、一定の疾患に対し医療費を助成している。ただ被爆者健康手帳を持つ被爆者に比べると支援内容が限られるため、原告側は手帳の交付を求め提訴していた。
今回の裁判で長崎地裁が前提としたのが、2021年の広島高裁の「黒い雨」判決だ。指定区域外でも、黒い雨による健康被害を否定できなければ被爆者と認定するとの内容だった。国は上告を断念し、広島では黒い雨の体験者の救済範囲が広がった。
長崎地裁は「長崎でも黒い雨が降った地域は広島と同様に取り扱うべきだ」と判断し、該当者に手帳を交付するよう命じた。他方で灰などの放射性降下物の被害は認めず、勝訴したのは原告44人のうち15人にとどまった。
長崎は広島より黒い雨の記録が乏しいなどとして国は支援拡充に消極姿勢を見せてきた。もともとの区域指定が硬直的との指摘もあった。判決はより柔軟な対応を行政に促すもので、評価できる。
ただ降雨の証明を厳格に求め、全員を一括認定しなかった点には原告側から不満が出ている。
希望者を無条件に被爆者と認定するのは難しいとしても、80年近くが経過した今、健康被害に苦しむ人に高度な証明を求めるのは酷と言わざるを得まい。必要な人に必要な支援を届けるのは行政の役割である。国などは改めて幅広い救済策を検討するべきだ。
爆心地から半径12キロ圏内で長崎原爆に遭ったが、国の援護区域外だったため「被爆者」の認定を受けられなかった「被爆体験者」の44人が、長崎県と長崎市に被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟で、同地裁は15人を被爆者と認定、手帳交付を命じたが、残り29人の訴えは退けた。
判決は、12キロ圏内でも、旧長崎市より東側の、当時三つの村だった区域では放射性物質を含む「黒い雨」が降った事実が認められるとし、この区域内にいた15人はいずれも、2022年に運用が始まった被爆者認定の新基準が定める11疾病のどれかを発症したと認定した。広島の「黒い雨訴訟」を機にできた基準だが、判決は「(広島で認められた地域と)同一条件、同一事情下にあるのは明らか」と踏み込み、救済の理由とした。
一方、旧3村以外にいた29人については訴えを認めず、同じ原告で明暗が分かれた。原告側が重要な被爆の根拠としていた米国調査団の報告書を「測定手法の精度が低かった」とし「放射性降下物の証拠は存在しない」と断じた。
広島高裁では21年、国が定めた援護区域外の原告84人全員が被爆者に認定された経緯がある(国は上告を断念)。放射能被害が生じると「否定できない事情」に置かれていたことを立証できれば十分とした同判決に対し、長崎地裁判決が、原告側に、放射能の影響について「高度の蓋然性(がいぜんせい)」を伴う証明を求めた点は、明確な「後退」と言わざるを得ない。
米軍の原爆投下により、今なお深刻な後遺症に苦しむ人が数多くいる惨状に広島、長崎の違いはない。今回の原告団長、岩永千代子さん(88)も、9歳で閃光(せんこう)と爆風を浴び、歯茎からの出血や顔の腫れ、甲状腺の異常などに苦しめられてきたが、旧3村の外で原爆に遭ったため、今回、被爆者と認定されなかった。
「一石日和(いちこくびより)」とは雨が降るような降らないよ…(2024年9月11日『東京新聞』-「筆洗」)
「一石日和(いちこくびより)」とは雨が降るような降らないような定まらない天気のことをいうそうだ
▼その昔、筑紫(福岡県)でそんな天気を「降るごと(如)降るまいごと(如)」といった。如(五斗)が二つ。尺貫法で合わせて「一石」というしゃれらしい
▼「黒い雨」は降ったのか降らなかったのか。長崎原爆の被害を巡る新たな司法判断が出た。長崎地裁は国が定めた援護対象区域の外にある長崎市東部でも放射性物質を含む「黒い雨」が降ったと認定し、15人を被爆者と認めた。これまでは被爆者ではなく「被爆体験者」とされ、医療費など国からの支援も限られていた人々である
▼援護対象区域外で「黒い雨」を浴びた住民らを被爆者と認めた判断は初めてだが、東部以外の地域にいた29人の訴えは退けられた
▼29人がいた地域では放射性降下物が降った的確な証拠がないという。広島原爆を巡る広島高裁判決では黒い雨を直接浴びずとも内部被ばくの可能性があれば被爆者に該当するとしたが、これとは異なる判断で被爆者と認めるには「黒い雨」が降ったという立証が必要という姿勢を崩さなかった。同じ原爆被害でも広島と長崎で認定に差があるのは原告団には納得できまい
▼降ったのか降らなかったのか、はっきりしない雨。疑わしきは救済をという訴えに別の雨が降るか。「空知らぬ雨」。空と関係ない雨とは涙のことをいう。
原爆の被害の救済に国が責任を負う範囲をあくまで限定し、新たな線を引いて被害者を分断した。納得できない判決である。
長崎の被爆地域は旧市町村の区域を基に指定され、南北約12キロ、東西7キロ余のいびつな形をしている。爆心地から12キロ圏内で、指定地域の外にいた「被爆体験者」に対しても一定の援護はあるが、被爆者とは隔たりが大きい。
地裁は、15人がいた旧3村で原爆投下後に「黒い雨」が降ったことを認め、放射性降下物があったのはほぼ確実だと判断した。しかし、それ以外の地域については、原爆に由来する放射性降下物を認めるに足りる証拠は存在しないと結論づけている。
広島の黒い雨をめぐる裁判では広島高裁が2021年、指定区域外にいた原告全員を被爆者と認める判決を出している。灰などの降下物による内部被ばくを含め、原爆による健康被害を明確に否定できないなら、被爆者として救済すべきだとする判断だった。
今回の判決は、明らかに後退している。被爆者と認める「高度の蓋然(がいぜん)性の証明」を求め、合理的な根拠だけでなく一定の科学的根拠が必要だとして、立証責任を原告側に課したことも、被害者を突き放す判断と言うほかない。
広島高裁の判決は、政府が上告を断念し確定した。ところが政府は、改定した認定基準でも被害者の選別をやめていない。雨が降ったとされる区域にいたことが依然として判断の拠り所となり、一律の線引きを排した高裁判決の根幹がないがしろにされている。長崎地裁はそれを追認した。
高齢の被害者がなおも裁判で争い続けなければならない現状に終止符を打つのは政府の責務だ。広島高裁の判決を踏まえ、被爆者認定の基準や援護行政のあり方を根本から見直す必要がある。
前進はあったものの、原告らが望んでいた判断ではなかった。幅広い救済へ政府の姿勢が問われる。
長崎で原爆に遭いながら、国の援護区域外にいたとして被爆者と認定されていない「被爆体験者」44人が被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の判決で、長崎地裁は15人を被爆者と認める判決を出した。長崎県と長崎市に手帳交付を命じた。
体験者は過去2回、司法に救済を求めたが、2019年までにいずれも敗訴。放射性物質を含む黒い雨が降ったとする客観的な記録がないとの判決に基づき、国は援護拡大に否定的な姿勢を維持してきた。
判決は、高度の蓋然(がいぜん)性の証明が必要と指摘し、一部地区では、県と市の調査や国の検証などに加え、降雨体験の証言に裏付けがあるとして、黒い雨が降った「相当の蓋然性」を認めた。
さらに、被爆者の手当支給対象となる11種の疾病などを発症しており、広島の黒い雨訴訟の原告と「本質的に同じような事情にあった」と認定。広島訴訟の原告らと同等の扱いがされるべきだと結論付けた。
ただ、29人の原告の訴えは退けた。「放射性降下物を認める的確な証拠は存在しない」と、放射線の影響を否定した。
被爆者と認められなかった原告の1人は「同じ原爆で、同じ空気を吸い込んだ人を見過ごすのは、差別ではないか」と言う。広島高裁判決を経て運用が始まった新基準を踏まえれば、納得がいかないのは当然と言える。
長崎の援護区域はもともと行政区域に基づいて決められている。科学的な根拠とは言えない線引きで救済に差が生じている状況を、これ以上放置するべきではない。
原爆投下から79年がたち、当事者の高齢化が進む。判決にかかわらず、国は速やかに全ての体験者を救済しなければならない。責任ある政治判断が求められる。
新たな線引きで、またも切り捨てられた人たちの無念はいかばかりか。国はこの苦しみを真摯(しんし)に受け止め、全ての当事者を救済すべきだ。
一方、29人の地域では灰が降ったことは認めつつ「原爆由来の放射性物質であったとまでは認められない」として請求を退けた。
被爆者の救済を巡っては、広島と長崎で見過ごせない格差がある。
国は長崎では黒い雨が確認できないとして、基準を適用してこなかった。今回の長崎地裁判決で、長崎でも黒い雨が降ったと認め、手帳交付しないことは「社会通念に照らし著しく合理性を欠く」と断じたことは救済に向けた一歩ではある。
しかし根本的な解決には至っていない。黒い雨がいつどこで降ったのか、灰にどれほどの放射性物質が含まれていたのか。80年近くたって明確にするのは困難だ。
長崎地裁判決は、事実の立証について「一定の科学的根拠を踏まえる必要がある」と指摘した。立証が難しければ、被爆体験者は永遠に被爆者と認められないことになる。被爆者援護法の趣旨を踏まえ「放射能による健康被害が否定できないことを立証すれば足りる」とした広島高裁の判断から大きく後退したと言わざるを得ない。
約6300人に上る被爆体験者は高齢化が著しい。今回の原告も4人が亡くなった。
原爆投下による放射性物質を含む「黒い雨」が長崎の一部で降ったことを新たに認めたが、それ以外の場所については認めなかった。被爆者認定の線引きを一部広げた司法判断とはいえ、全面救済には程遠いと言わざるを得ない。
国の援護区域外で長崎原爆に遭った「被爆体験者」44人が被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟で、長崎地裁は原告15人を被爆者と認めた。旧長崎市より東側の地区で「黒い雨が降った」とする原告らの証言などを重んじた。
被爆者に認められると、ほぼ全ての疾病で医療費の自己負担が不要で、健康管理手当などを受けられる。体験者とは支援の隔たりが大きい。過去2度の訴訟は原告敗訴だったが、今回初めて黒い雨が降った範囲を広げ、それによる被爆を認めた。
一方、ほかの地区では放射性降下物が確認できないとして、残る29人の訴えを退けた。黒い雨以外の灰などに起因する内部被ばくの可能性も認めなかった。原告側は原爆と健康被害の因果関係に科学的根拠を求められたため、難しい立証を強いられた。
広島の黒い雨を巡って争われた訴訟では、2021年の広島高裁判決が「放射線による健康被害を否定できないことを立証すれば足りる」と判断し、援護区域外にいた原告全員を被爆者と認めた。国は22年度から、新たな基準による手帳交付を進めている。
長崎地裁判決は、黒い雨による被爆者を認めながら、広島のように「疑わしきは救済する」という結論には至らなかった。原告はがんや肺気腫など11種の疾病にかかったとして救済を求めた。被爆者と同じく爆心地から12キロ圏で原爆に遭った事実を踏まえ、体験者の病状を直視すれば、救済対象を絞り込んだ判決は妥当とは言えまい。広島と長崎の「認定格差」も放置できないはずだ。
長崎の援護区域はそもそも、いびつな形をしている。爆心地を中心に南北12キロ、東西7キロで、広島のような同心円状ではない。同じ市町村に暮らす住民の不公平感に配慮し、行政区画で線引きされた経緯もある。明確な科学的根拠に基づいた指定とは言い難い。それが被爆者かどうかを分けるのだから、体験者が理不尽さを感じ、憤るのは無理もない。
長崎地裁判決に対し、原告弁護団は「不当判決」と反発した。控訴を検討するという。一方、武見敬三厚生労働相はきのうの記者会見で「長崎県・市、関係省庁と協議した上で適切に対応したい」と述べた。これ以上解決を長引かせてはならない。原告はさらに高齢になり、亡くなる人は救済の機会を奪われてしまう。
岸田文雄首相は8月、体験者との面会の場で、合理的な解決に向けた「具体的な対応策の調整」を厚労相に指示した。政治の責任で一人でも多くの体験者を救済するという明確な意思だろう。解決策を速やかにまとめるのは、新政権に引き継ぐ最重要課題の一つとしなければならない。
黒い雨という現象だけに目を向けて救済対象を狭めた判断と言え、大いに疑問が残る。
不合理な線引きで長崎の被害者を被爆者援護から置き去りにし続けることは許されない。国が全面的な救済を急ぐべきだ。
広島高裁判決は、黒い雨に直接打たれただけでなく、雨に含まれた放射性物質が混入した井戸水や野菜の摂取による内部被ばくを認めている。
本来これが被爆者援護のあるべき形ではないか。「疑わしきは救済」を図るのが政府の取るべき姿勢のはずだ。
だが、広島高裁判決を受けて政府が新たに設けた認定基準は広島で黒い雨に遭ったことと、がんなどの疾病にかかっていることを要件とし「新たな線引きだ」と被爆者の反発を招いた。
それにも増して長崎では約6千人に上る被爆体験者の救済が一向に進まず、高齢化が進む。
全面的救済が唯一の戦争被爆国の責務だ。約束を次の政権に確実に引き継がねばならない。
長崎でも「黒い雨」認定 早急な救済が政治の責任(2024年9月10日『毎日新聞』-「社説」)
「一部勝訴」と書かれた紙を掲げる支援者ら=長崎市で2024年9月9日、金澤稔撮影
長崎でも原爆の「黒い雨」が降ったと認める司法判断である。被害者の証言に耳を傾けたものだ。
広島では、「黒い雨」による健康被害を認めた2021年の広島高裁判決を国が受け入れ、援護区域外で「黒い雨」に遭った人も救済対象となった。
しかし、長崎には「降雨があった客観的な記録が見当たらない」として、国は適用しなかった。
米軍の報告書や国の土壌調査結果も踏まえ、投下後に「黒い雨」が降った地域にいた原告15人を被爆者と認定した。
行政の対応が広島と異なることも批判した。同じような事情だったにもかかわらず、被爆者手帳を交付しないのは著しく合理性を欠くと指摘した。
ただ、被爆者と認められたのは爆心地から風下の地域にいた人だけで、救済が図られたのは一部にとどまる。
長崎の援護区域はもともと、行政区画を基に指定されたものだ。機械的な線引きによって、支援の仕組みに差が生じている現状は理不尽である。
被爆者の高齢化が進んでいる。今回の判決を真摯(しんし)に受け止め、幅広い被害救済へ早急に動くのが政治の責任だ。
被爆体験者は放射性物質を含む「黒い雨」や飛散物を浴び、がんや肺気腫など11種の疾病にかかったとして救済を求めてきた。しかし、国などは指定した区域の外であることを理由に、これまで十分な支援をしてこなかった。
長崎での援護区域は南北12キロ、東西は7キロ。ほぼ同心円状の広島とは違って、極めていびつな形になっている。行政区画で線引きしたことを国も認めており、そこに明確な根拠があるとも思えない。「自分たちも12キロ圏内にいたのになぜ被爆者と認められないのか」と、被爆体験者が憤るのも当然だろう。
長崎地裁の判断は「放射線による健康被害を否定できないことを立証すれば足りる」とした2021年7月の広島高裁判決を踏まえたものだ。科学的な線量推計より黒い雨による内部被曝(ひばく)を重視したことは、被害の実態をより反映させたものと評価はできる。
ただ、わずか数キロのエリアで降雨の有無がどこまで正確に把握できるのか。雨に限らず飛散物を吸引しても内部被曝は起こり得る。旧長崎市より東側の東長崎地区だけ降雨を認めて被爆者と認定した判断が、理不尽な線引きと闘ってきた原告の間に溝をつくってしまわないか気がかりだ。
住民の体験記などを厚生労働省が調査した結果、降雨の記述は41件だったのに対し、飛散物に関する記述は159件もあった。広島高裁が示した「疑わしきは救済する」という被爆者援護の画期的判決を踏まえれば、降雨があったとする区域の住民だけを、新たに被爆者に加える判断で十分だとは思えない。
1978年2月の衆院予算委員会で「極めて不合理な線引き」と援護区域を批判された小沢辰男厚生相は「科学的根拠というよりは、住民の人たちの不公平な感情を政治が取り除く判断をするかだ」と述べている。その宿題を長らく放置してきた政治の責任は重いと言わざるを得ない。
80年近く前の原爆被害を科学的に立証することはなかなか難しいはずだ。だとすれば個々の状況をよく踏まえながら、可能な限り柔軟に対応するしかなかろう。
被爆体験者は高齢化し、これ以上、訴訟を継続することに限界もある。岸田首相の後任を託される新政権は、国の責任で全員救済を図る政治的解決策を示すべきだ。
◆その第一歌集にこんな一首がある。〈被爆時の記憶さへ妻と相たがふ三十五年念念の生〉。同じ被爆者として、戦後をともに歩んできた妻でさえ、あの日の記憶は違っている。それは月日のせいかもしれない。原爆という手に負えない災厄の前では、個人が体験したできごとは、別々のごく一部分に過ぎないのかもしれない
◆国の援護区域外で原爆に遭った住民が救済を求めていた訴訟で、長崎地裁はきのう原告の一部を被爆者と認める判決を言い渡した。爆心地から同じ距離でも、あの日見た光景は一人ひとり違う。それが行政区域に基づいた機械的な線引きで「被爆者」ではないと選別される。原告のやりきれない思いが伝わってくる
◆高齢であと何年、被爆者として生きられるか、という人たちである。戦後79年がたち、科学的な立証にも限界がある。裁判が問うているのは、戦争被害を受けた一般市民に広く救済の手をさしのべることなく、「受忍」を強いてきたこの国の戦後処理のあり方ではないか
◆〈被爆死と記せる七万四千の確かなりや否や誰にもわからぬ〉。竹山さんの残した歌を思い返す。(桑)
長崎原爆の「被爆体験者」44人(うち4人が死亡)が被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の判決で、長崎地裁は死亡した2人を含む15人に手帳を交付するよう県と市に命じた。原告全員を被爆者と認めた広島黒い雨訴訟の広島高裁判決に照らし、国の援護区域外の一部地域の原告を被爆者と認めた。区域外の一部にも「黒い雨が降った」と認定した。
岸田文雄首相は体験者の救済要望を受け、8月に厚生労働相に解決に向けた調整を指示している。国は今後の対応に際して判決を重く受け止める必要がある。国の責務として、被害実態の解明と全面的な救済を急ぐべきだ。
地裁判決は、原告の大半である29人の訴えは退けた。放射能の影響について、旧長崎市の東側の風下に当たる旧3村について認めた。一方、29人のいた地区には「放射性降下物が降った的確な証拠は存在しない」と結論づけた。
訴訟を通じて、原告からは「行政区域に沿って放射線の被害が出るわけがない」との疑問の声が上がった。「雨は行政区域ごとに降るのか」と言い換えることもできよう。
支援の網から取り残された一部原告らの訴えは退けられた。被爆者と同じ疾病を発症しながら「被爆体験者」と呼ばれて被爆者健康手帳は交付されなかった原告たちである。「被爆体験者」とさえ長年認められなかった原告もいる。判決は原告らの間に格差を生じさせたとの批判もある。
黒い雨の降雨地域を線引きすることが理解を得られるとは思えない。
援護区域外の救済を巡っては、広島の黒い雨被害者が2021年に広島高裁で原告全員の被爆者認定の判決を得て全面勝訴している。広島高裁判決は「黒い雨」の雨域をより広く捉え、空気中の放射性微粒子を吸い込むことなどによる内部被ばくで健康被害が出る可能性を指摘していた。
この判決は確定し、被爆者認定の新基準の運用が始まったが、長崎の体験者は対象外だった。
今回の長崎地裁判決について原告側が「認定のハードルを上げた」「広島高裁判決を後退させた」と批判しているのはもっともなことだ。
今回の判決は、被害実態が未解明である長崎原爆について、さらなる広範な調査が求められていることを国や自治体に突きつけたとの識者の指摘がある。実態解明にも国の積極的な関与が必要だ。
「埋もれた被爆者」ともいわれる被爆体験者44人(うち4人死亡)が、長崎県と長崎市に被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の判決で、長崎地裁は原告の一部15人(うち2人死亡)を被爆者と認め、手帳交付を命じた。
国はこれまで、降雨の客観的記録がないとしてきたが、判決はこの地域で黒い雨が降った「相当程度の蓋然(がいぜん)性があった」と判断した。
残る地域については放射性降下物を認めなかった。
原告は、放射性微粒子を吸引したり微粒子が付着した飲食物を摂取したと訴えてきた。全員が被爆者の手当支給対象となる疾病を発症した人たちでもある。
一部勝訴とはいえ、国の理不尽な線引きは残されたまま。埋もれた被爆者をいつまで埋もれたままにするのか。
被爆体験者が望んでいた判決からは、かけ離れた内容である。
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国が広島と長崎の被爆地域の設定を始めたのは、原爆投下から12年後の1957年。
長崎の被爆地域が南北に約12キロ、東西に約7キロのいびつな形をしているのは、当時の行政区域を単位に指定したためだ。
区域外の救済を巡る訴訟では、広島高裁で2021年、黒い雨に遭った84人全員を被爆者と認める判決が確定している。
広島より被爆者認定のハードルが上がったことは否めない。
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長きにわたる苦しみや痛み、病に倒れ亡くなった人たちのことを考えると、「これ以上何を証明すればいいのか」との原告の言葉が重く響く。
政府はいびつな形での支援をやめ、全面救済へ速やかに動くべきだ。
証言を読み直してみた。〈やがて油のような黒い雨が降ってきて、白いシャツに黒い斑点を作った〉〈黒く焼け焦げた紙屑(くず)みたいなものが、小粒の水滴と一緒にバラバラっと落ち始めたのです〉
▲今夏、長崎の地で「早急に合理的に解決できるように」と語った岸田文雄首相は近く退陣する。政権が代わっても約束は守られるのだろうか。そもそも国は現状こそが「合理的」と考えているのではないだろうか