朝鮮人虐殺の追悼文(史実)に関する社説・コラム(2024年8月30日・9月3・5日)

 
朝鮮人追悼 「負の歴史」伝えてこそ(2024年9月5日『東京新聞』-「社説」)
 
 関東大震災発生直後に虐殺された朝鮮人犠牲者の慰霊式に、自治体の首長が追悼文を送る動きが広がっている。「負の歴史」を教訓として後世に伝えるため、こうした取り組みを後押ししたい。
 1923年9月1日の大震災直後、朝鮮人による暴動が起きたとのデマが拡大。各地で官憲や民間の自警団が朝鮮人らを殺害した。内閣府の中央防災会議が2009年にまとめた報告書によると犠牲者数は震災死者の「1~数%」。千~数千人に当たる計算だ。
 大規模な殺りくとして記憶にとどめ、後世に伝える責任が、今を生きる私たちにはある。
 千葉県の熊谷俊人知事は、1日に船橋市で開かれた民間式典に追悼文を送付。埼玉県の大野元裕知事も、4日にさいたま市で行われた民間式典=写真=に追悼文を送った。いずれも今回が初めてで、主催者から案内状を受け取ったことがきっかけだという。
 一方、東京都の小池百合子知事は今年も、1日の墨田区での民間式典に追悼文を送らなかった。歴代都知事が1974年から続けていた追悼文の送付を、小池氏が2017年に取りやめた。
 小池氏は「別の法要で全ての震災犠牲者を慰霊している」などと釈明するが、虐殺は家屋倒壊や火災による死と意味合いが違う。追悼文の送付中止は不適切だ。
 小池氏は朝鮮人虐殺を巡り「さまざまな研究がある」と明言を避け続ける。虐殺が「なかった」とも「あった」とも言わない。
 ドイツなどでは、ユダヤ人の大量殺りく(ホロコースト)を公に否定する行為を処罰対象とし、歴史の修正は許されない。
 日本に同様の法律はなく、政府も近年、朝鮮人虐殺を巡り「記録が見当たらない」と事実認定を避ける見解を繰り返している。
 受け止めがたい「負の歴史」でも、事実を把握し、後世に正しく伝えていくことが、過ちを再び起こさないためには欠かせない。
 特に、選挙で選ばれた政治家には、その責任を強く自覚する必要がある。私たちメディアも、記憶や教訓を風化させないための報道を続けたい。

朝鮮人虐殺の追悼文 歴史から目を背ける愚(2024年9月3日『茨城新聞山陰中央新報』-「論説」)
 
キャプチャ
関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑前で披露された「鎮魂の舞」=1日、東京都墨田区
 歴史と謙虚に向き合い、史実から教訓を導き出し、現在の政治に生かすのは、為政者の責務ではないか。首都を預かる東京都知事もそれを自覚してもらいたい。
 小池百合子知事が、1923年の関東大震災の際に虐殺された朝鮮人らを悼む9月1日の式典に、今年も追悼文を送らなかった。2017年から8年連続だ。8月初旬に東京大の教職員の有志83人が(1)朝鮮人虐殺の史実を認定する(2)追悼メッセージを出す―よう求める要請文を提出したが、小池氏は拒んだ。
 追悼文は石原慎太郎氏ら歴代知事が出してきた。それを見送る理由について、小池氏は式典とは別に都慰霊協会が主催する大法要で「全ての犠牲者に慰霊の意を表している」と説明する。まるで「二度手間」と言いたげな姿勢は、首をひねらざるを得ない。そもそも大震災という天災の犠牲者と、人災といえる虐殺は全く性格を異にしており、同列視するかのような知事の認識は、非難されても仕方あるまい。
 小池氏も初当選後の16年には「このような不幸な出来事を二度と繰り返すことなく、誰もが安全な社会生活を営めるよう、世代を超えて語り継いでいかねばなりません」との追悼の辞を送った。だが、追悼文をやめて以降は、虐殺の有無についても「何が明白な事実かは歴史家がひもとくもの」と明言を避けており、歴史修正主義と受け止められかねない。
 しかし、政府の中央防災会議が09年にまとめた報告書で、「朝鮮人武装蜂起した」「放火した」「井戸に毒を入れた」といったデマを背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部による殺傷事件が生じ、「虐殺という表現が妥当する例が多かった」と明記。虐殺の被害者は約10万人に上った大震災の犠牲者数の「1~数%」の千~数千人と推計している。
 都発行の「東京百年史」も、自警団による朝鮮人の殺傷を、首都の歴史の「ぬぐうことのできない汚点」と記載。背景には朝鮮人への差別感情があったと指摘される。
 小池氏のかたくなな姿勢は、7月の都知事選も影響しているのかもしれない。小池都政の評価を当事者に直接問いただす機会にもなる候補者同士の討論会の機会が少なく、追悼文問題は争点にならなかった。大差で3選を果たしたことも強気にさせているようだ。
 政府側の対応にも問題がある。国会では野党議員らが虐殺に関わる公文書を示しながら政府側に答弁を迫ったが、「政府内に記録が見当たらない」と強調し、事実認定を避けているからだ。
 現代でも、在日コリアンたちへの差別がなくならず、偏見を助長するような発信もインターネットや交流サイト(SNS)上に氾濫している。
 また、今年1月の能登半島地震の発生直後には、SNSでうその救助要請が投稿され、石川県警が現場に向かう騒動となった。16年の熊本地震の際は「動物園からライオンが放たれた」とのデマが拡散している。
 私たちは、関東大震災当時と比べようもなく、ネットやSNSで虚偽投稿が瞬く間に広がる社会を生きている。だからこそ101年前の出来事は、記憶に刻むことが欠かせない今日的な課題だ。政治に携わる者は、歴史から目を背ける愚を改めなければならない。

朝鮮人虐殺の史実 向き合うのが知事の責務(2024年8月30日『信濃毎日新聞』-「社説」)
 101年前の東京で根も葉もないデマによって民族差別を増幅させた住民たちが、憎悪に駆られ多くの朝鮮人の命を奪った。
 この史実と真摯(しんし)に向き合い差別を許さない姿勢が、都政のトップに欠けているのは深刻な問題だ。小池百合子都知事は、今年も関東大震災の際に虐殺された朝鮮人らを悼む式典に追悼文を送らない方針を示している。
 関東大震災は1923年9月1日に発生。地震により10万人を超える死者・行方不明者を出した。「朝鮮人が暴動を起こす」といったデマが広がり、軍隊や警察、住民の自警団などが朝鮮人らを暴行し殺害。犠牲者は千人から数千人と推計される。
 式典は例年9月1日に墨田区の都立公園にある朝鮮人犠牲者追悼碑の前で開かれる。碑の建立の際には都議会全会派が関わり、歴代の都知事が追悼文を寄せてきた。
 小池氏も初当選直後の2016年には送ったが、翌17年からやめている。都慰霊協会が主催する大法要で「全ての犠牲者に慰霊の気持ちを表している」との説明を繰り返す。天災による死者とヘイトクライム憎悪犯罪)の犠牲者をひとくくりにするのは、歴史に対し誠実とは言えない。
 虐殺についても「さまざまな研究がされている」などと述べるにとどめ、議論を避けている。
 小池氏の曖昧な態度は、SNSなどで広がる「虐殺否定論」を勢いづかせかねない。その自覚はあるだろうか。朝鮮人の暴動は事実だとして加害を正当化する虐殺否定論は、単にうそをばらまくだけでなく、被害者を加害者に仕立て上げる点がいっそう悪質だ。
 朝鮮人への加害を正当化する主張をしてきた保守系団体は、昨年9月1日に追悼碑近くで集会を開き、抗議する人たちに「朝鮮帰れ」などと発言。都は条例に基づきヘイトスピーチと認定した。
 今も災害が起きると流言飛語が飛び交う。能登半島地震でも「外国人窃盗団」のデマが流れた。外国籍などのマイノリティーが標的となる点が共通している。
 埼玉県の大野元裕知事は、さいたま市で市民団体が開く式典に追悼文の送付を検討している。会見で「デマ情報に基づいて朝鮮人に対する虐殺があったことは、痛心に堪えない」と述べた。
 自治体の長が歴史に学び、二度と過ちを繰り返さない姿勢を事あるごとに示す。それが足元の差別やヘイトの抑止につながる。多様なルーツの住民が暮らす首都のトップこそ肝に銘じるべきだ。