ゼロ戦 正式名称は「零式艦上戦闘機」。第2次世界大戦中の旧日本海軍の主力戦闘機で、当時の航空機として最高レベルの運動性能と航続距離を誇り、約1万機製造された。制式採用された1940年が神武天皇即位紀元(皇紀)2600年にあたり、末尾2桁の0から名付けられた。主な型式は初期の21型と主翼を短くした後期の52型。首都圏では、靖国神社(千代田区)、ユメノバ(茨城県筑西市)が復元機を展示している。米国では飛行可能な機体がある。
◆「操縦席が見られるゼロ戦は他にない」
今月上旬、航空自衛隊浜松基地に隣接する浜松広報館「エアーパーク」を訪れると、展示格納庫の天井からつり下げられていたゼロ戦が、床に置かれていた。主翼やプロペラは取り外され、胴体は操縦席の後ろを境に後部がない状態。後方から機内をのぞき込むと、操縦かんや計器類がきれいに並んでいた。
今回の分解は施設内の展示場所の移動に伴うもの。周囲に「移設作業中 危険、中に入らないでください」との張り紙があるが、来訪者は危険のない範囲で作業を見ることができる。移設先の展示資料館2階には、胴体後部やプロペラ、尾翼などが復元に向けて既に運ばれていた。
◆終戦・帰還…ぼろぼろだった機体は展示用に修復
作業が行われているゼロ戦の型式は「52型甲43―188」。1943年製造で、翌44年にグアムに配備された。米軍のグアム奪還の際に廃棄処分になったとみられる。63年4月、グアム国際空港西側で見つかり、64年に日本に移送された。
帰国後、ぼろぼろだった機体は製造元の三菱重工が展示用に修復した。ゼロ戦開発者でアニメ映画のモデルになった堀越二郎さん(1903~82年)が見学に訪れたという記録も残っている。復元後は、全国の自衛隊基地や靖国神社、イベント会場などで巡回展示。浜松基地で80年ごろから保管され、99年のエアーパーク開館に伴って常設展示されるようになった。
◆マニュアルと異なる部品も…60~80代のベテランが整備に汗
分解前、つり下げ展示されていたゼロ戦=渋谷さん提供
機体後部を取り外すメンバー=渋谷さん提供
今回、協会が作業を請け負ったのは、全国の展示施設で機体の復元などを格安で続けてきた実績から。入札でも相場より大幅に低い額で落札した。メンバーは60~80代で、5月から現地に通う。渋谷さんは「年寄りが趣味で安くやっている」と笑いつつ、「マニュアルとは異なる仕様の部品も使われている。戦後に復元された時、メーカーにも部品が残っていなかったんだろう」と思いをはせる。
協会は当初、7月中に全作業を終える計画だったが、猛暑の影響で遅れているという。「エアコンがない場所もあり、長時間の作業は厳しい。契約は来年3月までとなっているけど、今は9月ぐらいが目標かな」
エアーパークの9月末までの休館日は8月28、29日と9月2、9、17、24、25、30日。問い合わせは電053(472)1121へ。
◆文と写真・佐久間光紀
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