岸田総理大臣は記者会見で「自民党が変わることを示す最もわかりやすい最初の一歩は私が身を引くことだ」と述べ、来月の自民党総裁選挙に立候補しない意向を表明しました。
これによって、新総裁が選出されたあと、総理大臣を退任することになります。
※記者会見の詳報とノーカット動画を掲載しています。
立候補の動き活発に 名前挙がる候補者は
岸田首相 自民総裁選に立候補しない意向
岸田総理大臣は、14日午前11時半から総理大臣官邸で記者会見を開きました。
会見の冒頭で、来月の自民党総裁選挙について「自民党が変わることを国民の前にしっかりと示すことが必要だ。変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は私が身を引くことだ。来たる総裁選挙には出馬しない」と述べ、立候補しない意向を表明しました。
岸田総理大臣は、自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる問題を受けて、政治の信頼回復を図る必要があるとして派閥の解消などの党改革や関係議員の処分に加え、政治資金規正法の改正などに取り組んできました。
しかし、政権への世論の批判が強まり、内閣支持率が低迷する中、自民党内からは「今の政権では次の衆議院選挙を戦えない」という声も出ていました。
これにより岸田総理大臣は、総裁選挙で新総裁が選出されたあと、総理大臣を退任することになります。
3年前の10月に就任した岸田総理大臣の在任期間は、8月14日の時点で1046日で、岸信介・元総理大臣に次いで戦後8番目の長さとなっています。
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【会見詳報】午前11時半から記者会見
岸田総理大臣は午前11時半から、総理大臣官邸で記者会見しました。
「最初の一歩は私が身を引くこと」
「大きな成果あげることができたと自負」
そして「30年続いたデフレ経済に終止符を打つための賃上げや投資の促進、電力需要の大幅な増加などに対応するためのエネルギー政策の転換のほか、大規模な少子化対策の実行や防衛力の抜本強化、それに、強固な日米関係を基礎にしたG7広島サミットの開催や、分断が進む国際社会で協調に向けた国際的な議論をリードし、外交を多角的に展開することなど、大きな成果をあげることができたと自負している」と述べました。
「総裁選挙では積極的に手を挙げて」
さらに「日本が直面する難局は、本当に厳しい状況だ。総裁選挙では、われこそはと積極的に手を挙げて、真剣勝負の議論を戦わせてほしい。そして、新総裁が選ばれたあとはノーサイド。主流派も反主流派もなく、新総裁のもとで一致団結、政策力・実行力に基づいた真のドリームチームを作ってもらいたい。そして、大切なことは、国民の共感を得られる政治を実現することだ。それができる総裁かどうか、私自身も自分の1票をしっかり見定めて投じていきたい」と述べました。
「国民の政治不信を招く事態が相次いだ」
「私が身を引くことでけじめ」
岸田総理大臣は「残されたのは自民党トップとしての責任だ。もとより、所属議員が起こした重大な事態について、組織の長として責任を取ることに、いささかのちゅうちょもない。今回の事案が発生した当初から思い定め、心に期してきたところだ。当面の外交日程に一区切りがついたこの時点で、私が身を引くことでけじめをつけ、総裁選に向かっていきたい」と述べました。
さらに「政治資金規正法改正で残された検討項目について早期に結論を得ていかなければならない。党の政治刷新本部に新たなワーキンググループを設けるよう指示を出したところだ。私の政治人生、政治生命をかけて一兵卒として引き続きこうした課題に取り組んでいく。まずは来月までの任期中、総理・総裁としての私の責任で、できるところまで最大限、進めていく」と述べました。
総裁選「改革マインドが後戻りすることがないよう」
「来月の総裁選挙で誰を支持するか」と問われ「不出馬を表明した人間が、あとのことについて何か申し上げることは控えるべきだと思う。ただ、政治とカネの問題、政治の信頼回復の問題について一連の改革努力が続けられてきたし、これからも続けていかなければならず、一連の改革マインドが後戻りすることがないような方であってもらいたい」と述べました。
「政治家としての意地を示した」
そして「自分自身、今日まで取り組んできた政策課題の成果は大きなものだと自負している。それらについても改めて最後に整理し、今後の方向性を示した上で今回の不出馬表明をしたいと強く思ってきた」と述べました。
その上で「いわば政治家としての意地を示した上で、これから先を考えた場合、自民党の信頼回復のために身をひかなければならないと決断した」と述べました。
自民総裁選「信頼得て共感得ながら」
「最後は自分で決定するのは当然のこと」
判断に至った経緯を問われ「いろいろな方の考え方は伺った。しかし、最後は自分で決定するのは当然のことだ。私が決定した」と述べました。
【リンク】各界・各地の受け止めは
【リンク】岸田首相 就任からこれまでの歩み
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岸田政権のこれまで
岸田総理大臣は、3年前の2021年9月、菅前総理大臣の辞任に伴う自民党総裁選挙で当選。
10月に第100代の総理大臣に就任しました。
池田勇人・元総理大臣の流れをくむ「宏池会」からの総理大臣誕生は30年ぶりでした。
直後に衆議院を解散して、総選挙に臨み、自民党単独でも安定して国会を運営できる「絶対安定多数」の261議席を獲得。
内閣支持率は年明け1月には57%に上昇しました。
最重要政策に掲げたのは社会課題の解決を図りながら経済成長を目指す「新しい資本主義」の実現でした。
「政労使会議」の開催なども通じて賃上げや投資拡大などに取り組み去年は30年ぶりの水準となる賃上げを実現。
おととし7月の参議院選挙では自民党単独で改選過半数を確保。
当面、本格的な国政選挙が予定されていないことから、「黄金の3年間」を手にしたとも言われました。
一方、選挙期間中、安倍元総理大臣が銃撃され、その後の「国葬」をめぐって世論の賛否が分かれました。
事件をきっかけに閣僚や自民党議員らと旧統一教会の関係が次々と発覚し政権運営に影を落としました。
その後、国は教団の解散命令を請求。
現在も裁判所で審理が続いています。
外交面ではロシアのウクライナ侵攻開始以降G7などと連携し、対ロ制裁とウクライナ支援を継続してきました。
NPT=核拡散防止条約の再検討会議では、日本の総理大臣として初めて演説を行い、核保有国に戦力の透明化を促すことを明記した行動計画、「ヒロシマ・アクション・プラン」を発表しました。
さらに安全保障関連の3つの文書を改定し「反撃能力」の保有を決めたほか防衛費を増額する方針を打ち出しました。
政権2年目に入った去年は、G7の議長を務めました。
3月には電撃的にウクライナを訪問し、ゼレンスキー大統領に支援を伝達。
韓国のユン・ソンニョル大統領との間ではシャトル外交が再開し「戦後最悪」とまで言われた日韓関係は改善しました。
5月のG7広島サミットでは、ゼレンスキー大統領も出席する中、自由で開かれた国際秩序の維持・強化の重要性を国内外に発信しました。
一方、国内では4月に選挙応援で訪れた和歌山市で、岸田総理大臣に爆発物が投げ込まれ、選挙活動の安全確保が課題となりました。
また、新型コロナについては、感染状況が落ち着いたことなどから、平時の社会経済活動を取り戻していく必要があるとして感染症法上の位置づけを5類に移行。
エネルギー政策では、原発の新規建設や運転期間の延長を認める方針を決定し、東京電力福島第一原発にたまる処理水の海への放出も開始しました。
「次元の異なる少子化対策」の実現も掲げ、児童手当の拡充や「多子世帯」の大学授業料の実質無償化などを盛り込んだ「こども未来戦略」を策定。
物価高対策としては、所得税と住民税の定額減税なども実施し、政策面で実績を重ね、政権浮揚につなげる狙いがありました。
しかし、去年秋以降、自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる問題が相次いで明らかになりました。
安倍派と二階派、それに岸田派の会計責任者や現職の国会議員が立件されました。
安倍派の閣僚4人を交代させ、みずからが率いていた派閥、「宏池会」の解散を打ち出すなど党改革や関係議員の処分などに取り組みました。
衆議院政治倫理審査会では、説明責任を果たしたいとして、報道機関にも公開する形でみずから出席。
現職総理大臣の出席は初めてでした。
政治資金規正法改正の議論では、公明党の山口代表、日本維新の会の馬場代表と党首会談を行い、両党の主張を踏まえた修正案をまとめ、通常国会で成立させました。
ただパーティー券の購入者の公開基準額を公明党に譲歩する形で、引き下げを決断したことをめぐり自民党内からは「譲りすぎだ」との批判が噴出。
政権発足当初は、“三頭政治”とまで呼ばれた麻生副総裁、茂木幹事長との協力関係の悪化が指摘されるようになりました。
政策面でも所得税などの減税をめぐって、自治体や企業の負担が重くなることへの批判も出るなど政権浮揚にはつながらず、内閣支持率は20%台に低迷。
4月に行われた衆議院の3つの補欠選挙では、いずれも敗北するなど、自民党政権運営はいっそう厳しさを増していました。内からは「次の衆議院選挙は岸田総理では戦えない」との声があがるなど、政権運営はいっそう厳しさを増していました。